東京五輪柔道競技のプレスセンター開設の日。
オリンピック公式取材チームの外人記者たちが挨拶に来られ、日本武道館を案内することになりました。
私的には、話題は2日後にスタートされる柔道競技のことだと思い込んでいたため、3名の記者との時間に意気込んで一人臨みました。
結果は、
通訳入れれば良かった・・・。
でした。
なぜなら、彼らの質問のほとんどが競技そのものではなく、世界の柔道・空手の選手たちが日本武道館で試合をできることの意義に対してのものだったからでした。
幸いにも、小学生の時から日本武道館での試合を経験させていただいていた自分にとって、正直、「日本武道館で試合ができる!」ということの意味をその時まで深く考えたことはありませんでした。
ただ、
小学生の時に全日本柔道錬成大会に出場。見たこともない人数の参加選手とともに畳の上に立ち、とてつもなく大きい小学生と対戦した時、
大学三年生で初めて試合に出せていただいたにも関わらず1回戦で10秒で投げられた時、
翌年、念願の団体戦レギュラーとなって準々決勝で対戦相手をにらんでいると、ふと目に入った観客席にそれまで一度も息子の試合を見に来たことのない我が父親の姿を見つけた時、
社会人になって、後輩たちが念願の日本一の座を手にし、監督を胴上げした時、
日本武道館の思い出の各場面で、そのフレームに鮮明に写し込まれていたものが日章旗、日の丸の旗でした。
なので、インタビューを受けた時、
そういえば、今回は日の丸の旗が外されているんだよなぁ・・
という彼らには到底思いつかない気付きが頭を埋めたとたん、その事を同説明しようかばかり考えてしまい、質問に対して(それも英語で)彼らが求める正しい答えを一言も発することができませんでした。
しかし、柔道、空手の全階級・記者会見の司会という立場で、メダリストのコメントを目の当たりにしたとき、海外選手の『日本武道館で試合ができてうれしい』という言葉が多かったことに驚かされ、あらためてその意義を考えさせられました。
そして、ふと2001年の全日本柔道選手権で運営責任者の一人として、最後の仕事を終え、撤収で武道館の会場を見渡した時のことを思い出しました。
これで仕事としてこの会場と関わることはないんだよなぁ・・
と見渡した時のことを・・。
そういえば、その時の思い出のフレームには日の丸の旗はなかった・・と。
それから、20年後。
パラリンピックが終了し、会場内の造作物が撤収されているとき、同じ気持ちでいる自分に気が付きました。
日章旗のないことを意識し見上げた天井に、心の底から湧き出る言葉がありました。
ありがとう、日本武道館
TOKYO2020最後の思い出、その時の日本武道館天井。
無機質だけど、日の丸の旗はないけど、生涯忘れないワンショットです。
スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげるテーマパークを目指すひのまるキッズ。
どんな大会でも、『日本武道館での思い』となってしまう強烈なインパクトを持つには、繰り返される長い歴史によるものが大だと確信します。甲子園もそうですよね!
いまから、ここから、とにかく、続けます。やり切ります!!
永瀬義規