『永瀬さん、何やってるんですか(笑)? 久しぶりですね。え、縁ですって?? いえいえ、運命ですよ!!』
2019年の夏。宮城県仙台市の東北高校での『東北復興支援企画~スポーツひのまるキッズ親子夏合宿』に参加する講師を迎えに仙台駅改札にいたところ、後ろから急に声をかけられました。
平成の三四郎・古賀稔彦。
その1年半後の本日。天国に旅立ちました。
彼との出会いは、私が大学卒業後、出版社に入り運よく希望の柔道専門誌『近代柔道』の編集部に配属された時。確か彼が高校生で破竹の勢いで日本の頂点に上り詰めるときだったと思います。
特に、知り合って1年後の嘉納杯特集号で初めて表紙を任され、彼の背負い投げが書店に並んだ時の感動は今も忘れられません。
彼とは、その天真爛漫な性格からすぐに打ち解けることができ、取材される立場とする立場という関係で知り合ったものの、それ以来、様々な立場でちょうどいい距離を保ちながらこれまで付き合ってきました。公私ともに・・。
初めてのオリンピック取材だったソウル五輪で見た彼の落胆。でもその2年後の全日本選手権で見せた彼の雄姿。小川との決勝戦で鳥肌が立ったのは私だけではなかったでしょう。
そして、渡米先のテレビで最高の感動を与えてくれたバルセロナ五輪での金メダル
私が帰国して初めて運営の責任者の一人として臨んだ大舞台で、見事に世界一の座を獲得してくれた幕張世界選手権。
翌年のアトランタ五輪では、広報担当としてアテンドし、銀メダルだった彼の取材を身を呈して断ってメディアから大顰蹙をかいました。
引退後も彼は幾度となく私のお願いを引き受けてくれ、
会社を設立して、スポーツひのまるキッズを開催した時には誰よりも喜び、第1回大会から率先して足を運んでくれました。
冒頭の『運命の再開』から直接会うことはあまりなく、SNSで連絡を取り合う中、先日、関東大会11年の軌跡を辿る『スポーツひのまるキッズ通信~関東大会11年の軌跡』の巻頭を執筆するにあたり、過去の写真を見返し、懐かしい写真がザクザクと出てきたので思わずその写真を送ったところ、帰ってきた返事が・・
ありがとう御座います・・・・(中略)・・・
あの情熱や愛情を懐かしく感じてます
これからも『あんな時があったね』ではなく
あんなことしたい
こんなことしたい
そんな気持ちが必要だと、今の写真を送って頂きあらためて思いました。
ちょい泣きしながら、パワーもらいましたよ。
ありがとう御座います。
2月7日。
これが最後のメッセージとなってしまいました。
その後、3月に入り、近畿大会、九州大会成功の報告はしましたが、残念ながら既読にはならず、心配していたところの訃報に、言葉がありません。
53歳。
あまりにも若すぎます。
今日一日、これまでのことが走馬灯のように頭の中をグルグルと回っています。
ただ今は、稔彦が送ってくれた最後のメッセージ、
あんなことしたい
こんなことしたい
その気持ちを胸に刻み込んで己が与えられた人生、最後の最後まで全うしたいと改めて思うだけです。
平成の三四郎。稀代の柔道家。
誰よりも繊細で、誰よりも周りのことを気遣う男。
あなたのことは、絶対に忘れません。
ありがとう。稔彦。安らかに眠ってください。
ありがとう。本当に、ありがとうございました。
永瀬義規