いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その405:恩と汗と涙の結晶)


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やっと揃いました!

コロナ禍の中、リアルイベントが開催できない我々ができること・・・。

これまでの柔道大会を全て振り返る冊子

スポーツひのまるキッズ小学生大会の軌跡

軌跡という名で恩を振り返り、

その場面場面で受けたご恩を再認識し。

深夜バスで向かって、レンタカーを使って、

大汗をかいて重い資料を手に事業説明、協賛のお願いの毎日・・・。

門前払いされては悔し涙、

粘りに粘ってOKをもらった時には嬉し涙

そして、大会中に親子の絆が深まるのを見たときの確信の涙

この一年間

一冊創り上げるたびに、様々な思いが走馬灯のように頭の中を駆け巡る

巻頭で『想い』をぶつけた文字は8冊で3万文字以上。

白内障が進んでどんどん見えなくなる右目を酷使して確認した写真は約1万枚。

こんなことがなかったら・・・

絶対に踏み切ることが無かった企画でした。

あらためて

この制作にかかわることで、『ひのまるキッズ六訓』の全ての心を感じることができました。

ひのまるキッズ六訓

是非とも、これまでスポーツひのまるキッズ柔道大会にかかわった人々、独りでも多くの人に読んでもらいたいと思っています。

皆様、本当に、本当に、ありがとうございました!

そして、スタッフの頑張りに感謝の気持ちで一杯、その仕事ぶりに誇りを持っています。

いまから、ここから、さらにパワーアップした一歩を踏み出すつもりです!

永瀬義規

P.S 全ての冊子がここからダウンロードできます。

http://hinomaru-kids.jp/judo/tsushin.php

 

 

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その404:スポーツを元気の源に)

2011年6月22日朝日新聞全国版(トリミング)

会社パソコンのデスクトップデータの整理をしいていたら、懐かしい新聞切り抜きデータが目に付きました。

いまからちょうど10年前の6月22日、朝日新聞の切り抜きでした。

テーマは

スポーツを元気の源に

記事内容は、東北大震災の直後に敢行した「スポーツひのまるキッズ東北大会」が注目され、着いたサブキャッチが

脈打つ嘉納治五郎の信念

でした。

当時から88年前。10万人以上の死者や行方不明を出した関東大震災の1か月後に

災い転じて福とせよ

と道場で稽古を再開。失意の底に落とされていた人々に、スポーツで元気を与えた柔道の創始者・嘉納治五郎師範の行いとオーバーラップしていただいた身に余る評価に、スタッフ一同、逆に元気をいただきました・・・。

いい思い出です。

そして、今。

我々が置かれている状況はどうでしょう。

夢の祭典、オリンピックの開催に対しても賛否両論が生まれ、挙句の果てに出場するアスリートにまでボイコットを強要する意見が飛び交う始末。

正直、

スポーツを元気の源に

と簡単にはいかない状況です。

そんな中で、我々ができることは何か?

答えはいまだ見えていません。

ただ、我々だからできることを真剣に見極め、そのことにとことん向き合い、将来振り返った時に

コロナ禍転じてどうなるのか。。。

福に一ミリでも近づける努力を愚直に行うしかないと改めて思います。

いまから、ここから、過去は変えられないけど、未来は変えられる

どう変えるかは我々次第です!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その403;心、晴れ晴れ)

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手術は無事終了したと思います。今夜はゆっくりお休みください。視界も心も晴れ晴れする筈ですよ!

7日に右目白内障の手術をしました。

ほぼ1年前から、目の周りのかゆみがひどく、目薬や軟膏を塗っていましたが、徐々に視界が曇り、最初は、

薬が合わなくて目に膜ができたみたいだなぁ・・。

と思っていました。

ちょうど、『スポーツひのまるキッズ軌跡シリーズ』で月に一冊のペースで冊子を発行していたこともあり、目の使い過ぎかなぁ・・くらいで医者にもいかなかったときに、一緒に仕事をしている仲間(同じ年)が、白内障の手術をするということで症状を聴いたら全く一緒。

その方の手術の結果を聞いて、よし、俺も!と決断して手術に至りました。

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私の場合は、レーシックを15年くらい前にしていたこともあり、少し事前準備がかかりましたが、主治医のいる病院に眼科の名医がいるということで、話はとんとん拍子に決まり、冊子校了と同時に入院、二泊三日で退院しました。

冒頭の言葉は、手術直後にその仲間からいただいたメッセージです。

翌日、しっかり固定された眼帯を外して周りを見た時。レーシックをした時以上に、はっきり見える外界の景色に思わず

いやあ、良ーく見えるもんですね!!

と先生に言ってしまいました。

そして、しばらくしてなおさら、彼の言葉が心に響きました。まさにその通り、

心が晴れ晴れ。

しています。

もちろん、視界がはっきりしたからという物理的なこともありますが、見えない目で一生懸命原稿を書き、何千枚もの写真を見ていたことから解放された精神的な問題もあったと思います。

でも何よりも、メッセージをくださった仲間と同様、経営者として先の見えないこのコロナ禍の中で、眼だけでもスッキリ見えてくれたことに、言葉では言い表せない一筋の光明を感じ、大袈裟なようですが、眼が見えるという当たり前のことに心から感謝感激できています。

気が付くと、世の中は東京五輪開催の是非で大騒ぎしています。

正直、様々な人たちが、それぞれの立場でたくさんの意見を言っているようにみえますが、私は本当に言うべき人が言うべきことを責任をもって発言しているとは思えません。

ただ、私は、末端の関係者として、与えられた職責を全うすべく、来たるべき日のために、粛々と準備をするだけだと思っています。

結果がどうであれ、一日一死で己を尽くすのみです。

いまから、ここから、一日でも早く、人々の心が晴れ晴れとする日が来ることを願って。

永瀬義規

P.S 帰宅したらパートナーが準備していたプレゼントに思わず笑ってしまいました。感謝です。

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その402;父の形見)

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今日は4月25日。

私の父の誕生日。生きていれば84歳、亡くなってから12年と半年が経ちます。

今朝、ふと父が私の歳の時は何を考え、どう生きていたんだろう・・。と考えていました。

私の歳、58歳の時、私は33歳。

私自身は、大役を任された幕張世界柔道大会を終えホッとする間もなく、アトランタ五輪に向けて寝る間もなくバタバタしていた・・のは覚えているのですが、正直、たぶん実家には1年以上帰っていなく、時々、母とは電話で話をしたくらいで、当時の父が何を考えどう生きていたのか、正直、全く見当もつきません。

ただ、そのちょっと後、オリンピックから帰国した後にお土産を持って帰省した際、夕食前に、冬でもないのにガサガサな手にハンドクリームを黙々と塗り込んで「やっぱりこれが一番効くんだよね」と言っている父の姿を見て(仕出し弁当店を営んでいたので、いつでも洗い物で手が荒れていました)、

もうそんなになるまで働かなくてもいいのに

と思っていた記憶はあります。

その気持ちは年々強くなり、2008年3月に念願の会社を立ち上げ、そろそろ父にもゆっくりしてもらえるかな?と思った矢先、その半年後に旅立ってしまいました。まさかの急死でした。

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父の遺品を整理していた時に、早稲田大学学生ベンチャー(?)で成功し、次から次と出てくる派手やかな若き父の写真を見て、一緒にいた叔父に『父さんはなんでこういう世界から一転して弁当屋さんなんか始めたんだろう』と聞いたことがあります。以前もここで書きましたが、その時の答えが

お前が生まれたからだよ

父は25歳でした。

私が渡米した際に現地に遊びに来た時に『いやあ、店始めて初めて定休日以外の休みを取ったね』を母と笑っていた時、私は28歳。父は、53歳28年間、休みなしの人生をさらりと言ってのけている父に驚かされました。

ある意味、私と妹、子供を育てることに自分の人生をかけた父。

私の起業が父のゴールみたいな結末になってしまいましたが、果たして父はそれで良かったのだろうか・・としみじみと思ってしまいます。

明らかに父と真逆な人生を歩んでいる私が、もういない父に親孝行ができるとすれば、父が命をかけて育ててくれた私自身が、天国で父に『よくやった。お前の人生、なかなかだったぞ』と言わせることだと思っています。

それには、まだまだ、です。

よく考えてみれば、モノは何にも残してくれなかった父。

残してくれた頑丈な身体と、不屈の精神で、天国の父に会えるその時まで、ただひたすら愚直に人生を全うしたいと改めて思います。

感染予防で洗いすぎて、ガサガサになった手にクリームを塗りながら(笑)

ある意味、このクリームが形見(モノ)ですね!

いまから、ここから、ハッピーバースディー、父さん

永瀬義規

 

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その401:恩を返す)

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FBでもアップしましたが、昨日の土曜日、専修大学柔道部を訪れました。

藤田監督にご案内をいただき、稽古を見学。

一言では言い表せられませんが、ここ数年でメキメキと頭角を現してきたきた理由がよくわかりました。

主将を初め、大変魅力ある学生たちの姿に感動を覚え、道場を後にしようと思って下駄箱の靴を取ろうとした時、そこに飾ってあった一枚の木彫りの書に目が釘付けになりました。

そこには、こう書かれていました。

生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう

生きていくということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり逢い愛しあいやがて別れの日
その時に悔まないように
今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない

私たちが学生時代に柔道部の師範をされていた故・岩間幸治先生が残されものとのことでした。

調べると、これは「上を向いて歩こう」や「黄昏のビギン」「こんにちは赤ちゃん」など皆に愛される沢山の歌を残した、昭和の顔とも言うべき偉大な作詞家・永六輔氏が作詞し、中村八大さんが作曲した歌、「生きているということは」という歌詞の言葉でした。

永六輔氏は、2016年83才で亡くなられました。

歌詞の意味をあえて説明することしませんが、ある人が、

「借りとは恩のことである」と解釈されていました。

まさしく、その通りだと思いました。

恩を受けた人に恩を返せない場合は多いと思います。

私自身、このところ、公私にわたって失うものが多く、そのことを悲しみ、出来なかったことを悔いていたことが多かったように感じます。

でも、

受けた恩は、今日を明日を、共に歩く人たちに一生懸命返せば、それでいいんだ。仮にその恩を受けた人がいなくなっても、他の誰かに返してあげよう。

今日、明日・・そのことを悔いの残さないようにやり続けること、それが生きるということなんだ。

と感じることができました。

ある人の恩に報いるためにとった行動で、大きなことを得ることができたこの日のことを、決して忘れません。

いまから、ここから、これまでたくさんいただいた恩を返して、返しまくります!!! そう、ひのまるキッズという舞台で。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その400:あきらめない、あきらめない、必ずできる)

池江さん

正直、この結果が訪れるのはもっと先のことだと思っていた。

努力は必ずむくわれるんだ

自分をほめてあげたい

白血病から復帰し、競泳日本選手権で4冠を飾った池江璃花子さん。

もう、言葉にならないくらいビックリしたし、本当に最高の感動を与えてくれました。

正直、オリンピックに携わる一人としても、こんなに本番を楽しみにする気持ちが生まれるかと思うほどワクワクし、開催を望むようになってきています。

努力は必ずむくわれる、とはむくわれた人だけが言える言葉。

でも、むくわれると信じて人一倍、自分が持てるすべてを尽くして努力をしなければ、それを手にすることはできません。

そして、どんなに努力をしても叶わないことはあるということは現実にあります。

54歳と53歳、共に癌で亡くなった斉藤仁と古賀稔彦。この二人が病気克服のためにどんなに努力をしたであろうかは、何をかいわんや、です。

関東大会の冊子を作っているときに話ができた稔彦。

6年生表彰・稔彦&息子

近畿大会の冊子を作っているときに過去の写真でまた目の前に現れた斉藤先輩。

第2回・斉藤ファミリー

己ができることは、この二人が子供に夢を託し、親子の絆を深めることができたこの『ひのまるキッズ』を、将来、その子供たちが我が子とこの舞台に戻ってきてもらえるように、ただひたすら、愚直にやり続けることだと思っています。

そのシーンを見たときに、

私が、そして今のスタッフが『やっと出来た!』と初めて言えると確信しています。

それまでは、仮に倒れることがあっても、その時は前のめりで、後から来る者たちが前に進みやすいように踏み台になる覚悟はできています。

400回の独り言。

天国の先輩、後輩に笑われないように、心に刻みます。

いまから、ここから、その日まで。

永瀬義規

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その399:頑張ったね 花川君)

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3月31日のこのブログで本人から発表があったように、『頑張れ花川君』投稿者、花川了がスポーツひのまるキッズ協会を退職しました。

私にとっては同期の吉原とともに息子のような存在でした。

やっと仕事を覚え、これから!というときの別れは非常に残念ではありますが、

これも人生。

いまから、ここから、の精神で新天地でも誰からも愛される貴重なキャラクターを存分に活かしてもらいたいと思います。

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今、福岡にいます。

全日本選抜体重別選手権大会

晴れある体重別最高の舞台に立った男女112名の顔ぶれを見ると、

若い!!

そして、嬉しいことに、ひのまるキッズ出身者も確実に多くなっています。

彼らを含む多くのひのまるキッズ経験者が、お父さん、お母さんになり自分たちの子どもと再びひのまるキッズの舞台に立つ日が実現するまで、老体に鞭打ってやり切ろうと改めて気合を入れています。

その時には、花川も呼んで一杯行きたいですね。

3年間という短い期間でしたが、激務に耐えてよく頑張った!花川君。

また逢う日まで!!!

いまから、ここから、気張れ!了!!

永瀬義規

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いまから、ここからひのまる社長の独り言(その398:ありがとう稔彦)

古賀稔彦

『永瀬さん、何やってるんですか(笑)? 久しぶりですね。え、縁ですって?? いえいえ、運命ですよ!!』

2019年の夏。宮城県仙台市の東北高校での『東北復興支援企画~スポーツひのまるキッズ親子夏合宿』に参加する講師を迎えに仙台駅改札にいたところ、後ろから急に声をかけられました。

平成の三四郎・古賀稔彦。

その1年半後の本日。天国に旅立ちました。

彼との出会いは、私が大学卒業後、出版社に入り運よく希望の柔道専門誌『近代柔道』の編集部に配属された時。確か彼が高校生で破竹の勢いで日本の頂点に上り詰めるときだったと思います。

特に、知り合って1年後の嘉納杯特集号で初めて表紙を任され、彼の背負い投げが書店に並んだ時の感動は今も忘れられません。

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彼とは、その天真爛漫な性格からすぐに打ち解けることができ、取材される立場とする立場という関係で知り合ったものの、それ以来、様々な立場でちょうどいい距離を保ちながらこれまで付き合ってきました。公私ともに・・。

初めてのオリンピック取材だったソウル五輪で見た彼の落胆。でもその2年後の全日本選手権で見せた彼の雄姿。小川との決勝戦で鳥肌が立ったのは私だけではなかったでしょう。

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そして、渡米先のテレビで最高の感動を与えてくれたバルセロナ五輪での金メダル

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私が帰国して初めて運営の責任者の一人として臨んだ大舞台で、見事に世界一の座を獲得してくれた幕張世界選手権。

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翌年のアトランタ五輪では、広報担当としてアテンドし、銀メダルだった彼の取材を身を呈して断ってメディアから大顰蹙をかいました。

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引退後も彼は幾度となく私のお願いを引き受けてくれ、

2014年アクシス講演

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会社を設立して、スポーツひのまるキッズを開催した時には誰よりも喜び、第1回大会から率先して足を運んでくれました。

古賀稔彦会場

冒頭の『運命の再開』から直接会うことはあまりなく、SNSで連絡を取り合う中、先日、関東大会11年の軌跡を辿る『スポーツひのまるキッズ通信~関東大会11年の軌跡』の巻頭を執筆するにあたり、過去の写真を見返し、懐かしい写真がザクザクと出てきたので思わずその写真を送ったところ、帰ってきた返事が・・
稔彦&息子

ありがとう御座います・・・・(中略)・・・
あの情熱や愛情を懐かしく感じてます
これからも『あんな時があったね』ではなく
あんなことしたい
こんなことしたい
そんな気持ちが必要だと、今の写真を送って頂きあらためて思いました。

ちょい泣きしながら、パワーもらいましたよ。
ありがとう御座います。

2月7日。

これが最後のメッセージとなってしまいました。

その後、3月に入り、近畿大会、九州大会成功の報告はしましたが、残念ながら既読にはならず、心配していたところの訃報に、言葉がありません。

53歳。

あまりにも若すぎます。

今日一日、これまでのことが走馬灯のように頭の中をグルグルと回っています。

ただ今は、稔彦が送ってくれた最後のメッセージ、

あんなことしたい

こんなことしたい

その気持ちを胸に刻み込んで己が与えられた人生、最後の最後まで全うしたいと改めて思うだけです。

平成の三四郎。稀代の柔道家。

誰よりも繊細で、誰よりも周りのことを気遣う男。

あなたのことは、絶対に忘れません。

ありがとう。稔彦。安らかに眠ってください。

ありがとう。本当に、ありがとうございました。

永瀬義規

表彰式・稔彦

 

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その397;誇るべき、くそ真面目集団)

 

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俗評の知らない高品質の大学である。中大は入学と同時にクソ真面目集団であることに築くはずである。

中大は、スクールカラーとして生真面目、クソ真面目人間の養成所である。

他人のお役に立てる職業技術、生活技術を4年間で見につけて社会に送り出すところである。我中大の校是は質実剛健、家庭的情味である。

社会に出て、「あいつ中大だよなぁ」と言われるような「中大」になり切ってくれ。

本日、母校の柔道部の新人歓迎会でOB会相談役の重鎮が「進入部員歓迎の辞」で学生に贈った言葉。

こんな風に言われて初めて自分のDNAがそこにあったことに気付き、こんな不器用な男についてくるスタッフがそうなっていることに誇りを持ちます。

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昨日実施した第12回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会。

まさに、クソ真面目の固まりのスタッフが、『六年生の夢を叶える』という目的だけで愚直に挑みました。

将来、

あいつ、ひのまるキッズだよね~

と言われる何かは、何だか、わかったような気がします。

いまから、ここから、愚直に一途に!!

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その396;夢、また一つ叶う)

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『6年生になって最初で最後の大会をありがとうございました!』

大会が終わり、会場を後にするたくさんの親子にいただいた言葉・・・。

本日、第10回スポーツひのまるキッズ近畿小学生柔道大会が、大阪講道館で無事に成功裏に終了することができました。

大会の詳細はプロジェクトリーダーの花川から報告があるので、彼に任せます。

北信越大会、中国・四国大会に続いての『6年生大会』第三弾。

冒頭のお言葉が嬉しかったのはもちろんのこと。ただ、なにより嬉しかったのが、今回も補助係員として大活躍した常翔学園高等学校の生徒たちと、ひのまるキッズたちの夢を叶えるお手伝いができたということです。

撤収が終わり、帰り際に取らせていただいた彼らの集合写真。

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次へ踏み出す何よりの活力をなりました。

もちろん、大阪府柔連、大阪講道館、審判の先生、そして内村、山部両講師には感謝の気持ちしかありません!!!

皆さん、本当にありがとうございました。

いまから、ここから、夢、一つ叶いました。

永瀬義規