いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その385;やんちゃ坊主の有終の美(技))

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『先輩、今日は本当にありがとうございました。せっかく応援していただいたのに勝てなくてすみませんでした・・・。現役はこれでおしまいにします!! でも先輩、あれでほんのちょっとですが、中大柔道部に恩返し出来ましたかね(笑)??』

コロナ禍の中、講道館にて無観客で開催された令和2年全日本柔道選手権大会

仕事柄、試合場すぐ近くで観戦していた私にかかってきた一本の電話。先ほどまで目の前で大試合を演じていた後輩の開口一番がこれでした。

北海道代表として念願の大舞台に立ったこの後輩は、過去2度の優勝経験を持つ巨漢・王子谷剛志選手に一歩も引かず、それどころか、体重50キロ差をものともせず、キレッキレの体落としで技ありを奪取。テレビ解説の穴井氏も『あれは、一本と言っても良いですね』と唸らせる美技でした。結果は残念ながらその後に捻り倒され一本負け・・なので、冒頭の電話でした。

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学生時代は、とにかくヤンチャ。

矢嶋監督に、就任以来今日に至るまで『最も頭を悩ませた・・・』と言わしめた後輩。正直、監督の苦労は並大抵ではなかったと思います。

そんなに接していないのに偉そうに言える立場ではありませんが、私にとってはとにかく気になる存在。

団体戦で敗れ、ふてくされた態度をOBに注意さえたときに、

『いつも道場で指導している矢嶋監督に言われるなら納得いくけど、道場に来たこともない人にそんなことを言われる筋合いはない!』

と私に泣きながら食って掛かかってきたとき、返答に困ったことは忘れられません。

試合では、居合抜きのような背負い投げで、多くの重量級強豪選手を宙に回したものの、そこで一本取れないと体力勝負で負けて最後にスタミナ切れ・・・。

最後の最後まだ彼らしい闘いを披露してくれたと思います(笑)。ある意味、有言実行。最高のパフォーマンスは発揮されましたね!

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記録よりも記憶に残る後輩、

石原隆佑

~りゅうらしいね!~

彼ほど、良きにつけ悪しきにつけ、これを言われる男は会ったことがありません。

これからの人生。その『らしい』を、どう具現化させていくのか、場面場面を楽しみに見守らせていただきます。

そして、それは、全て己次第。

りゅう、まずは、お疲れ様でした!!そして、俺は、見てるよ!!

いまから、ここから、何が起こるかわからないのが人生。だから、面白いんですよね!

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その384;頼りになる仲間たち)

中国四国オンラインセミナー&練習会集合写真

本日は、『スポーツひのまるキッズオンライン練習会&セミナー』

朝飛道場スタジオ(勝手に命名)から4回目のZOOM生配信でした。

思い起こすとコロナ禍でリアルイベントができず、手足をもぎ取られた状況の3月。

口では、

できることをやるんだ!!

まずは、オンライン。休眠同様のYouTubeチャンネルを充実させるんだ!

と言ったものの、正直、いつもの自信はどこ吹く風・・

そんな中、テレワーク中に粛々と勉強し、2カ月で何とか見れる状態にまでこぎつけ、

さらに、

オンラインでは到底カバーできない。少なくてもこれまで出場した子供たちに思い出を!

ということで急きょ決定した『10年(11年)の軌跡』特集の記念冊子制作に一言も文句を言わず、

挙句の果てには、

何とか『6年生限定』ならできそうだ!夢を叶えるぞ~!安心安全対策にやりすぎはない!!

と北信越、中国四国と大会開催にこぎつけたスタッフたち。

今回ばかりは、

俺が一人で協賛営業で日本中を奔走して・・

なんて、エバってられません。

本当に大したものです。自分の部下ながら、頭がさがるとはこのことです。

そして、本日、セミナーを終わらせ朝飛、中村講師たちとの彼らの顔。

かなりイケてます。素敵じゃないですか?(私はオフィスからのリモート参加だったので『遺影』のような状態で参加していますが(笑)

なんともタフで頼りになる仲間たち。まさに爾今生涯。

自慢のスタッフです(もう一人、全日本選手権のプログラム作成でドツボにはまっている幹部も含めて(笑))

いまから、ここから。こいつらと一生懸命見れば、先は必ず何かが見えてくる!

コロナに負けるな!!!

永瀬義規

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その383;拝啓、天国の吉岡剛先輩)

永瀬&吉岡先輩写真

拝啓

そろそろ、天国での生活も慣れてきたことと存じます。先輩、お元気でしょうか?

あなたが旅立つと同時に襲いかかってきたコロナ禍で、世界中が見えない『先』に怯える中、本日、周南市において無事に

『吉岡剛追悼記念』第11回スポーツひのまるキッズ中国・四国小学生柔道大会

が成功裏に終了しましたことを、ご報告いたします。

中国四国開会式

とにかく、自分が正しいと思うなら、ただひたすら粛々と進めればいい。いいか永瀬、粛々と、粛々とな(笑)。結果は必ずついてくるものだ』と生前、顔を見るたび、クイっ、くいっと手で『おいで!』と私を呼び、大きな身体の身を乗り出して言っていただいた教えを守って、すべての関係者のお力添えをいただき、なんとか参加した六年生の夢を叶えることができました。

詳細は、プロジェクトリーダーの吉原がここでご紹介差し上げますが、

徳山大学女子柔道部

徳山大学柔道部(男子)

前日の準備、そして当日の大会では、先生の教え子たちが120%の活躍をしていただき、

久幸中国四国大会

やっぱり、先輩がいないと始まる前のあのピリッとした緊張感がないね』と寂しい笑顔を見せた青井講師が山部講師、中井講師と見事にセミナーをまわしてくれて、子供たちが少ない時間を十二分に満喫できたと思います。

そして、

大智焼肉

先輩が残してくださったたくさんのことを伝えるべく、今後は先輩の後輩のこの男を、ガンガン鍛えることを粛々と進めていこうと思っていますので、見守っていてください。本人は体躯だけは順調に先輩に近づいています(笑)

私自身も、当分は目に見えないとてつもない『でっかい敵』を様々な手を使いながら必ず乗り越えてやろうと思っています。

いまから、ここから! 粛々とですね、先輩。

天国の吉岡剛先輩へ

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その382;目標は『めじるし』)

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コロナ禍で都外に出れなくなる前にやれることはやろうと出張を前倒しにして全国を奔走していたため、全く訪れることができなかった母校に久しぶりにお邪魔しました。

まだまだ、稽古は様々な感染予防で思いっきりできているとは言えないものの、後輩たちの元気な顔を見れて一安心。

そして、稽古後、本日の目的である3年生の就活指導をコーチングの境修氏と一緒に行いました。

監督の意向で、どうせなら1年生も2年生も聞いたほうがいいということで、みんなで輪になって境氏の話を聞くことに・・・。

学生たちの真剣な眼差しに、思った以上の成果を(失礼)感じました。

内容は、またのチャンスでご紹介しますが、話の中で私的に一番刺さったのが、

目標はめじるしです。

という説明。

よく、目的と目標の違いは話題に上がり、私自身もレンガ積みの職人さんの話などを講演等でも使わせていただきますが、境氏が『目標はめじるし』と言い切った瞬間、自分の中ですぅ~と腹落ちするものがありました。

週末、同じような出来事でガミガミとスタッフに文句ばかり言ってしまい、自己嫌悪に陥っていましたが、自分自身が目印を明確においていなかったことが要因ということに気付かされ、明日からの対策作りに大きな手ごたえを感じています。

いまから、ここから、爾今生涯。日々勉強です。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その381;10年ひと昔といいますが・・・、まいりました(-_-;))


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7月末の『東北大会10年の軌跡』

9月末の『東海大会11年の軌跡』

に続いて編集作業を進めている『北信越大会10年の軌跡』の巻頭原稿を書かなければならないのですが、コロナ禍の影響で大会協賛営業の出張を前倒しにしたため、さすがに時間が取れず、先週の土日と、昨日今日を使っても間に合いません。

いつもスタッフに『優先順位をつけろ!』『物事の効率を考えろ!』と百万回も言い続けているのに、何とも情けない話です。

一応、かつて雑誌編集長を経験しているし、うまい下手は別にして、モノを書くことは得意としているのにかかわらず、この執筆には本当に時間がかかります。

それは、もちろん10年という年月を振り返るという作業自体が、膨大な資料を基に一つ一つ思い出さなければならないという単純な理由がありますが、

今回の場合、振り返えば振り返るほど、それぞれの思い入れが強すぎて、ふと気を許すとその時代に戻っている自分がいて、一つの出来事に1時間があっという間に過ぎ去ってしまうという・・・さらに、その時のあの子ってあれから活躍しているんだろうか・・・から恐ろしいことに、過去の中学、高校の資料を引っ張りだして、

そのうえ、その資料に載っていた子供たちの中に別の地区のひのまるキッズで見覚えのある名前なんて見つけたものなら、今度はその時の記憶に浸ってしまうという・・まさにとんでもない状況に陥っています。

10年ひと昔

そうなんです。昔と言われる、いわゆる覚えていなくても仕方がないくらい時間が過ぎているのですから、それを思い出そうなんてことが・・それも、脳みそも老化現象が始まっている歳ですし・・・とわかっちゃいるけど、やめられない♪♪という現象に落ち込んでいます。

ということなので、

私の今回の『独り言』は、

助けてくれ!!! という心の叫びなのでした。

最後まで読んでくださったのにこんな落ちで申し訳ありません。

いまから、ここから、ただ、妥協はしたくありません・・・。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その380:こだわり続ける)

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21日の昨日、1日に開催されたスポーツひのまるキッズ北信越小学生柔道大会にスポットライトを当てていただいた番組が放送されました。

BSフジ『JUDO』

番組詳細は以下のサイトをご参照ください。

https://www.bsfuji.tv/judo/pub/index.html

私は、用事でオンタイムでは見れませんでしたが、多くの人から『見たよ!良かったねぇ~』という類のご連絡をいただき、帰宅して早速録画を拝見しました。

これまでも何十回も各地テレビ番組で取り上げられており、その都度、注目された親子の一挙一動に感動していましたが、今回のそれは、いつもと異なるものでした。

コロナ禍の中での六年生限定大会。

これまでとは全く違った状況。それだからこそ、ひのまるキッズの大会開催の意義を改めて感じることができたのです。

それは、

ひのまるキッズは親子で参加しなければ意味はない。

ということ。

今更・・

ですが、今回ほどそれにこだわり続けたことに誇りをもてたことはありませんでした。

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そして、

今回の主人公の一人の田中君の目標達成後の第一声。

開催者冥利に尽きる感動をいただき、本当に感無量でした。

ありがとうございます。

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残念ながら番組を見逃した方。大丈夫です!         来週の28日に再放送がありますので是非ご覧ください!!

あ、こんなに楽しみにしていた番組より大切な用事は・・・

昨日は、私のパートナーのご両親の50回目の結婚記念日、つまり金婚式のお祝いでした。

縁があって家族になれたお二人の記念日。私とパートナーにとって何事にも代えられない大切なひと時を過ごすことができました。

感謝です。

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いまから、ここから、胸張ってこだわり続けます。

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その379:658キロの道中で思ったこと)

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11日から3日半で四国営業回りをしてきました。

10月1日から出張を公式解禁して、今日まででトータル20日間、日本全国を奔走しています。

今回の出張でも面談いただいたすべての人が温かく迎えてくださり、本当に自分は幸せ者だと痛感しています。

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そんな中、大会ができない今年度は、各地区ごとにこれまでの歴史を振り返る『ひのまるキッズ通信○○大会特集号』を発行するにあたり、その説明もあることから、どこに行ってもこれまでの思い出話に花が咲き、時間があっという間に過ぎてしまいました。

今回のコロナ禍でたくさんのことが変化し、いや、変化せざる負えない状況の中、お会いした経営者がそれぞれ様々な試行錯誤でそれを乗り越えようとしているところを目の当たりにして、己の未熟さを思い知り、これからの覚悟を今更ながら固くしている自分がいます。

それぞれの思いは、地区ごとの『軌跡』巻頭で語らせていただきますが、特に今回は、レンタカーで走った658キロの道中。本当にいろんなことが走馬灯のように思い出され、センチメンタルな気持ちになる場面が多かったように思えます。

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この11年。

体力は落ちています。

失った人、無くなったもの、あります。

でも、

思いは変わりません。

そして、やるべきことが明確になってきています。

帰京する直前、松山空港のラウンジでギリギリまでパソコンの画面とにらめっこしてふと顔を上げたら、11年前にこの空港に降り立って、初めて目に入った看板が目に飛び込んできました(巻頭写真)。

あの時、この看板を見て、飛び込み営業にもかかわらず理解を得られ、その日の夜に初営業の祝杯を挙げた後輩は今は天国にいます。

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でも、人はいなくなっても、ものが無くなっても、思いさえしっかり持ってれば、熱情をもって、信念をもって動けば思いは必ず叶う、という自信もこの11年で持てるようになりました。

動機善なりや、私心なかりしか

いまから、ここから、それがほんの少し見えてきたような気がします。感謝。

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その378:今年の私は今年しかいない。でも、その今があるのは・・・)

久幸60回感謝

前回のここで書いたように、六年生限定ながらなんとか無事に開催できたひのまるキッズ北信越大会。

ここまでたどり着いた感動は心に深く刻み込まれています。

そして、もう一つ、決して忘れられない思い出となったこと。それは、青井久幸講師の60回目の講師参加に対し、感謝の気持ちを表すことができたことです。

以前からも触れているように、彼と私は中央大学柔道部の同期。人生で最も濃い時間を共に過ごした同志です。

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ここで書いたら収拾がつかなくなるので控えますが、彼の日本一の座をつかみ取るまでの努力、主将の井上浩二の絶対的な強さと優しさを目の当たりにしたあの学生時代がなかったら間違いなく今の私はありませんでした。

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卒業後、社会人になっても破天荒な人生を歩んできた私を支えてくれたこの二人には感謝の言葉がどれだけあっても足りません。

その中でも(本人は覚えていないかもしれませんが)、4年生最後の試合(東京学生個人戦)1回戦で、技をかけたときに引手が切れて頭から突っ込んだような形となり反則負けに屈した私に対し、相手が昨年の全日本チャンピオン(井上が決勝で負けた相手)だったこともあり、「まあ、仕方がない」と、反則負けの宣告を受けてサッサと畳を後にした私に『永瀬、あれはお前の反則とちゃうやろ、向こうが押した。なんであきらめるねん。おかしいやろ』と我が事のように食って掛かってきた青井に対し何も言えなかった自分自身が情けなく、その時以来、

『絶対にあきらめない、あいつをがっかりさせない』がこれまでの私のモチベーションの素でした。

まあ、そのあと、がっかりさせなかったかどうかはわかりませんが(笑)、何とか自分自身納得がいく人生は歩めたと思います。

ひのまるキッズを立ち上げ、海外赴任が多かった彼が帰国してすぐに講師をお願いした時も二つ返事で引き受けてくれ、それ以降、「俺は永瀬がやっているからではない、この理念に賛同し、お世話になった柔道に少しでも恩返しができればという思いで来てるだけや」と黙々と指導をしてくれました。これまで、謝礼も一切受け取ってくれません。

開会式の時、サプライズで感謝状を手渡しした時、あれを言おう、これを話そうと考えていたのにも関わらず、フェイスシールド越しに目を合わせたらこみ上げてくるものがありただただ『ありがとう!』と握手をした後で(巻頭の写真)「コロナ対策で握手はしてはいけなかった…』と反省するのみでした。

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10月解禁以来、続けざまにある怒涛の出張。その際、浜松町のANAの広告看板に書かれているキャッチ

今年のキミは、今年しかいない

を見て、

今年のオレは、今年しかいないけど、今年のオレがあるのは、お前のお陰。ありがとう。

と言えば良かったなぁ・・。と今になって思っています。

いまから、ここから、反省は未来のためにある。次は言います(笑)

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その377;やりきりました)

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第11回スポーツひのまるキッズ北信越小学生柔道大会

今年度初のひのまるキッズリアルイベント。

六年生限定、六年生だけでも思い出を残したい!!!

なんども協議を重ね、最後は

俺たちだけでもやる。

と言ってくださった橘川会長をはじめとする富山県柔道連盟の皆さん。できる限りのバックアップを実践してくださった射水市の方々

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大会のお手伝いはできないけど・・と畳敷き、撤収を完璧にお手伝いしてくださった小杉高校のみんな

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今、支えなければどうする?と例年通り、いや、それ以上のご協力をしてくださったご協賛各社

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また、呼んでください!前日懇親会もなく、今までと比べて不自由な思いをしたにもかかわらず、最後まで一生懸命に子供たちを指導してくださった講師陣

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そして、東海大会の悪夢を頭によぎらせながらも粛々と夜遅くまで開催準備を行い、当日も走りに走り回ったスタッフたち。

わずか54組。

されど、54組。

何とか夢を叶えるお手伝いができたともいます。

みなさん、本当にありがとうございました。

イベントの詳細は初のプロジェクトリーダーを務めた花川に任せます。

人は心で動く。

まずは、みなさん、お疲れ様でした!!

いまから、ここから、with コロナ。やり切った次のステップはもう始まっています。

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その376:25年前のバカ息子の話)

20日に58歳になりました。

多くの皆さんからのお祝いメッセージ、ありがとうございました。

そして、23日は父親の命日でした。12年前、享年71歳でした。

ふと、

親父が58歳の時、私は何をしていたんだろう・・・。

と思い返してみました。

今から、25年前の1995年。

アメリカから帰国して2年後。幕張で開催された世界柔道選手権大会の事務局次長という重責を任せられ(このために帰国)まさに昼夜を問わず大会開催に没頭・・していました。確かに。

33歳でした。

自分自身が培った全てを大会成功に向けて注ぎ込み、翌年のアトランタ五輪日本選手団入りも打診され、まさに絶好調でした。調子ぶっこいていました。

ただ、今、振り返るとその時の父親に対してどういう感情を持っていたかというと、正直、もう終わった人・・というものだったように記憶しています。

当時、父はそれまでの事業のほとんどを整理して(私が継承しなかったこともあり)、小平の実家のそばにある、創業一号店のお弁当屋さんを母と二人で守り、静かに暮らしていました。

数カ月に一度、実家を訪れ、お店で仕込みをしている父親の姿を見て、早く引退させてゆっくりさせたい・・と口では言っていたものの、今から思えば、先ほど述べたように『もうその仕事は一段落してもいいんじゃないか』という(上から目線の)気持ちの方が強かったというのが本音でした。

58歳。

以前にも書きましたように、私の記憶の中では12時まで働き、2時に起きるという生活を続け二人の子供も育て上げた父。アメリカに遊びに来た時『定休日以外で休みを取ったのは初めてだね~』と母親とニコニコして語ってから数年後の父親の姿に、『まだまだ働き盛り』とは正直感じませんでした。

厨房で包丁を丁寧に研いでいる後ろ姿を見るたびに、

もう大丈夫だよ。やめていいんじゃない・・

と思っていました。

恥ずかしながら、当時はとにかく自分がこの世界を動かしているんだ!みたいな妄想にかかり、親の面倒は自分が全部見れると過信していました。それはその13年後の会社設立まで見事に続きました。父が亡くなったのはその年でした。

心臓で入院し、その時に発見された大動脈瘤の手術を受けて成功したものの、明日退院という日の前日の急逝。

母の話では、亡くなる日の前日、仕事の打ち合わせをしているときも『まもなく、退院だからその時に・・』という指示をしていたと聞きます。

一番信じられなかったのは、父、本人だったと思います。

息子に『もう終わった人』と思られてから13年間。その生活を一切変えることなく逝った父。

学生時代はベンチャーの走りのようなことをして羽振りの良かったものの、子供(私と妹)ができたことをきっかけに弁当屋を始め、前述したように働きづめで子供たちを育て上げた父。人生のほとんどを子供を養うために費やした父。

我々が巣立った後、どのような気持ちで働いていたのか、特に58歳から亡くなるまでの13年間、どういう風にモチベーションを保っていたのか、母も亡くなった今、それを聞くことはできませんでした。

しかし、先日、誕生日祝いの電話をしてくれた叔父(父の弟)にその話をしたとき、「馬鹿だなぁ、兄貴はお前の成長のことを話す時が何よりも幸せそうだった。姉さんも一緒。だから、お前がどう思おうと、いくつになろうと死ぬまでお前自身が兄貴たちの働くモチベーションだったんだよ」と言われました。

絶句でした。

58歳の私、まだまだ志半ばです。やり切っていません。

たとえその志を成し遂げられなくても、少なくても、後から来るものがそれを成し遂げられるようレールを敷いていく。それが、25年前、何もわからなかったバカ息子の親孝行だと思っています。

いまから、ここから。愚直に己を尽くすのみです。

長い文章失礼しました。

永瀬義規

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