いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その322:やっぱり最高!『保護者の部』)

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9月29日、愛知県名古屋市の愛知県武道館において開催された

第11回スポーツひのまるキッズ東海小学生柔道大会

全国各地から500組を超える親子が参加し、試合に、イベント、そして新たなブースにて大いに『親子の絆』を深めてくださいました。

イベント紹介は、いつも通り、スタッフたちのブログにてご詳細差し上げるのでお楽しみにしていてください。

今回、私的には久しぶりに実施できた

親子の部

これに、感動、感銘いたしました。

『先輩、何言ってるのですか、八方良しです。なにがって? いろいろありますが、親が一生懸命に物事に対峙している姿を子供に見せることができるんですよ! こんなにありがたく、絆が深まることはないです』

これは、数年前に『親子の部』に参加した後輩の試合後の第一声。

かつて全日本学生チャンピオンの後輩でしたが、自ら出場者の中から一番強いお父さんとの一戦を希望し、身長で20センチ、年齢で15歳差の未だ現役に近い中学生教師に完膚なきまでに叩きのめされ、戻ってきた彼に対して『おい、大丈夫か・・?』と声かけた私に即答した彼の清々しいあの顔を思い出しながら今回、じっくり観戦しました。

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3人戦の団体戦となった、今回。

試合内容など二の次で、とにかく、

全身全霊をかけて闘うお父さん、お母さん

ただただ、

『がんばれ! がんばれ! と声援を送り続ける子供たち・・。

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冒頭の写真・・試合後の集合写真を見てください!

なにも語ることはありません。

いやあ! 良いです。

いまから、ここから、もっともっと広げたい!それが、『保護者の部』です。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その321:お陰様で6周年!「ありがとう」という感謝の心をもって)

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FBでも書きましたが、去る18日、一般社団法人スポーツひのまるキッズ協会が6周年を迎えました。

2013年9月18日。

家のお祝い事をすませ、その足で深夜バスに乗り込んで富山に行った・・と、日記に書いてありました(笑)

そして、その日記の最後に、

さあて、今からの25年で何ができるか・・やるしかない。

と記されていました。

実は、事業的には、この前の年が一番つらく、何とか起死回生の大逆転を狙って株式会社から社団法人に主催を移そうと準備しての登記でした。

そして、この年はプライベートでも大きなターニングポイントとなり、ここから6年。本当にいろいろなことがあってこの日を迎えることができました。

あの時書いた『今から25年で何ができるか?』

6年でできたことをしっかりと顧みて、これからの19年! ワクワクしながら事業を進めていきたいと思っています(75歳になってますが)。

まずは、協賛1000社! 全部の都道府県で何かしらのひのまるキッズ!

10周年の時には叶えたいと思います。

皆さん、本当にありがとうございました!そして、今後ともご指導のほど、よろしくお願い申しげます。

いまから、ここから。「ありがとう」という感謝の心をもって。。。

永瀬義規

ひのまるキッズ六訓

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その320:ザ・ファミリー)

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『永瀬くん、ある意味、これが一番面白い柔道大会だよね!』

15日、16日と尼崎・ベイコム総合体育館で開催された全日本実業柔道個人選手権大会。

もう49回目となるこの大会を観戦中、先日の金鷲旗高校柔道で埼玉栄高校柔道部監督引退を発表した名伯楽・本松先生がボソッとつぶやきました。

その時は、

さすがにこの会場には教え子がわんさかいて、我が子も同然の彼らの姿を(ある意味なんの責任もなく)応援するのは、指導者冥利に尽きるんだろうなぁ・・。

と思っていました。

私自身、ひのまるキッズから2名が出場し、二人とも1勝もできずいても、学生の応援時のように彼らの一挙一投足に我がごとのように熱くなることはなく、ただ純粋に『がんばれ!』と応援していました。

しかしながら、先生の感じられていたこと、言葉の意味が試合終了後のお疲れさん会で、もっと深いものだったことをじんわりと理解することができました。

その会には、本松先生を囲み、教え子のご両親、家族、友だち、そして弊社の選手と友達が参加。ただ、その中身は、試合に参加した選手はたったの2名、弊社社員(一人は本松先生の教え子)という構成でした。

つまり、当の本人はそっちのけで、まあ簡単に言うと『本松ファミリーの会』。

その酒の肴は、そこにいない選手の話が中心。そりゃそうです。その選手のご両親、家族、友だちなんですから・・。

ただ、その盛り上がりぶりは2時間が20分くらいに感じられるほど面白く、いつのまにか、私自身も彼らの話にグイグイと飲み込まれ、大笑いをしていました。

そこにいなくても、彼らが実業団で試合をし続ける限り、これは続く、いや、その輪がどんどん広がっていくんだなぁ・・。と感じ、彼らには体力の続く限り(笑)、試合参加をすることで家族孝行、恩師孝行になることを認識してもらい継続してもらいたいとつくづく思ってしまいました。

そして来年は、弊社の社員にももっと声掛けをしようとも思っています。

いまから、ここから、ファミリー万歳!!

永瀬義規

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その319;日日是好日(にちにちこれこうにち))

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先日の富山出張の最終日。

以前から相方をどうしても連れて行きたかったお店で、最高のドンブリをいただきました。

その店に来たのは2度目。

少し待って、カウンターに腰かけると目の前に飾ってあった言葉に目が吸い寄せられました。

日日是好日

実は、ひのまるキッズ応援団で、経営者としても『漢』としても尊敬するO代表がご自身のFBの最後に締めくくるこの言葉。なんて読むのかずっと気になっていました。

にちにちこれこうにち

ドンブリが出る前にググって読み方がわかりましたが、意味に関しては、正直、

『毎日、良い日だと思って生活するのが一番』

みたいな軽いノリでしか受け止めていない自分に赤面状態でした。

この『良』の意味。

詳しくは、お調べください。

良いの深い意味。感動しました。O代表。今さらで失礼しました。

私にとってこの『良』は『盡己』につながります。その結果がどうであれ、とことん己を盡す。その結果が良いか悪いかではなく、ただそれだけ。できたか、できないかは、己が決める。その日を振り返り、『かけがえのない日』だったと思えるように、一日、一日を生きていく・・。

その繰り返しができれば、本当に幸せだと・・。

残念ながら、未だ、そういう気持ちになれる日は少ないのですが、とにかく、一日、一日を『かけがえのない日』と思えるように己を盡していこうと改めて思いました。

出てきたドンブリ。

私が相方に食べさせたかったのはこれ、

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でも、倹約家の相方が選んだのは・・

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でも、ドンブリの中身ではなく、食べ終わって「ご馳走様」を言った時の相方の笑顔を見たときに『今日はかけがえのない日だった』と思える喜びを感じることができたことは間違いありませんでした。

あ、奢ってもらったんですけどね(笑)

日日是好日

いまから、ここから、かけがえのない日を一つ一つ。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その318:ぶっとい絆)

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おおお!元気か?心配していたんだよ。

それで、どうなんだ?? ん? ん??

世界柔道選手権最終日。

富山出張前に挨拶しないと・・・

と思って、日本武道館関係者入口を入ったとき、偶然、いや、必然で目の前に現れたのが(すみません)、中村博之先輩、開口一番に冒頭のお言葉をいただきました。

大学時代、数々の名選手として教えられていた母校の先輩の中で、現役時代はお会いできなかったこの柔道家と初めてお会いできたのが、1989年ベオグラード世界柔道選手権の会場でした。

実は、近代柔道編集部に配属された最初の時に海外情報のページを任され、その時にカナダのナショナルチームのコーチとしてご活躍の先輩と(当時はFAXと手紙で)やりとりさせていただいたため、初めてお会いしたのにも関わらず、非常にフランクにお声がけいただいたことを覚えています。

その後、海外の情報ではなにかにつけてご連絡を差し上げ、その都度、懇切丁寧にご説明いただきました。

1991年に渡米した際、すぐにカナダにお伺いし、その時もこれからの人生、それに対して今やるべきことをご自身の体験談を交えてお話しいただき、我がごとのように心配してくださいました。

そして、前回でも書きました私が帰国しなければならなくなった時、ハミルトン世界選手権会場で一言

うん。うん。お前なら大丈夫。思う存分やれば良いよ!!

と背中を押してくださったのも先輩でした。

あれから、もう26年。

その間から現在に至るまで、ここには、書ききれないほど心配をかけ、そのたびに常にポジティブにアドバイスをいただいておりました。

特に、今から6~7年前。本当に厳しかった時にお会いした時、

お前、大丈夫、大丈夫! でも、少し休んでも良いんじゃないか?まだこの先の人生長いぞ!!

と言っていただき、それまで一杯いっぱいだった気持ちがフゥ~と楽になったことを昨日のように覚えています。

そして、まだ、56歳になっても心配をかけている自分。

別れ際に、ひのまるキッズの関東大会プラグラムをお見せし、上村館長、山下会長の祝辞を見た時、

お前も、遠回りしたけど、よくここまで来たなぁ・・よくやった。大したもんだよ! 嬉しいねぇ~

と我がごとのように喜んでいただき、熱いものが込み上がってきました。

最後に、おお、お前ももう56歳か!! 俺も77歳だよ!! そうかそうか!

とナイススマイルで撮ったのが冒頭の写真。

よおし! いまから、ここから!!!

と気合を入れざる負えないですよね。

いまから、ここから! ぶっとい絆に大感謝です!!!

永瀬義規

P.S 中村先輩のことは、ここで紹介されています!!

https://www.bunbuichido.net/montreal-shidokan-present/

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その317:世界柔道開幕!)

世界柔道2019メンバー②

1993年1月。

カタ、カタ、カタという音と共に、アメリカ・ダラス市の我が家に届いた1枚のFAX

そこに書いてあったのが、

出向命令。世界柔道選手権大会1995大会事務局次長

の一文でした。

『社長!勘弁してください。やっと、なんとかこちらでの仕事が形になって、アトランタ五輪組織委員会に日本人ではごく少数メンバーの一人に選ばれたところで、これから・・の時に、帰国はできません』

当時、私はフジ&トライオーシャンから出向としてアメリカのスポーツマーケッティング企業に赴任しており、日本からの新たな出向命令のFAXに対し、故・寺田社長に直談判の電話をかけました。

『いや・・、永瀬さん。これは、全柔連からのたってのお願いで・・・』

と寺田社長はいつもの通りの口調(部下に敬語で)ゆっくりと話し始めましたが、その時・・

『ナガセ~、何言ってるんだ。何のためにお前をアメリカに勉強させにいかせたと思ってるんだ!! 今度の世界選手権は、日本で47年ぶりの大会。お前の生きているうちに今後あるかどうかわからないんだ!! 今スグに帰って来~い』

と電話を替わった佐藤先生の一言で、有無を言わせず帰国となり、その2年後、なんとか周りに助けられ終了した世界柔道選手権。32歳でした。

それから、怒涛のようにあらゆる国際大会の事務方を任され、挙句に五輪もプレスアタッシェとして2大会経験。

もし、あの時の佐藤先生の一言がなかったら今の私は間違えなくありませんでした。

そして、その24年後。

2003年に続いて、私の生きているうちに2回目の世界柔道を迎えようとしています(笑)

選手データをみると、

1995年世界柔道以降に生まれた選手は、なんと10名(芳田選手は大会終了4日後!)。

そして、ひのまるキッズの卒業生は4名!!!今後、間違えなくその数は増えていくことでしょう!

私にとっては、ひのまるキッズ卒業生たちが、どういう形であれ、柔道のそばにいてくれればそれが一番の幸せですけどね・・・。

さあて、今日から8日間。皆さんで精一杯応援しましょう!!

いまから、ここから、頑張れニッポン!!!

あ、私も数日は会場をウロチョロしていますので、見かけたらお声かけください・・・。


永瀬義規

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その316;不屈の心を持つと決めた日)

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土曜日は、東京学生柔道体重別大会で日本武道館に行きました。

もちろん、母校後輩の応援です。

結果は・・・。

正直、私的には残念な気持ちの試合が多かったのですが、悔しいのは実際、戦った当の本人たち。普段、『柔道は盡己。己をどれだけ盡(尽)くせたかを自分自身で判断すればよい』と言っている気持ちに変わりはありません。

私自身、この大会に参加したのが2回。

それも2回とも初戦敗退でした。

1回目は3年生になってやっと出場したものの、日大の1年生に10秒で投げられて一本負け。その時は一番最初に飛び込んだ武道館天井の日の丸の旗がみるみる涙で滲んでしまい、その時の1年生がのちに世界選手権2位となるのですが、当時は選んでくださったコーチに申し訳ないという気持ちで凹みに凹みました。

ただ、そのあと、いただいたチャンスをただひたすらにクリアすることのみに専念し、人生のすべてをかけて挑戦した結果、1年後の団体戦のレギュラーになることができたのは、これまでもお話させていただいた通り。まさに、この一本負けが無かったら、目標に向かって必ずやり切るという意思を保つことはできませんでした。

事あるごとにこのことが自分の人生を変えたと話していますが、実は、2回目の初戦敗退が私の『不屈の心』を持ち続けようと決心する機会を与えてくれたという点では、より大きなものだったと思います。

その2回目。前年の全日本チャンピオンに内またにいったところ、頭から突っ込んだとして反則負け。

実は、組み合わせが決まった段階では、過去に一度月次試合で対戦した時の手ごたえから、ひとあわ吹かせる自信はありました。

ところが、試合の1週間前にやくざに絡まれ(もう時効なので・・)やっつけたときに左の人差し指を骨折し、実際に本番で組み合ったら、思うように組めず、正直、焦ってかけた一発が引手も甘く、頭から突っ込んだ(ように)見えた結果の反則負けでした。

周りにも「あれは反則取られるのはおかしいけど、相手はあいつだからね。仕方がないよ」と言われ、自分自身もその1年前とは全く違って「あ~あ、負けちゃった」と悔しい気持ちはありませんでした。

その時です。

「あれは、なんや! 反則じゃないよ。なんで、抗議せいへんかった!お前、こんな結果でいいんか!!!」

と普段冷静な態度とは一変して迫ってくる男がいました。

あれ、俺はなんてことをしてしまったのだろう。俺の学生最後の試合をこんなんで終わらせてしまった。今、目の前にそれを真剣に怒っている親友がいる。俺はこいつと過ごした4年間の努力に対しても裏切ってしまった。なんてことをしてしまったんだ・・。

後悔先に立たず

それから、その親友はその年の学生チャンピオンまで上り詰め、約束をきっちり果たしました。

その時の姿を見たときに、

これから俺は絶対に諦めない。こいつの期待を、約束を裏切らない。こいつとどこまでも対等に、肩を組み合うことができる男になる。と決めたんです・・。

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私にとって東京学生は『いまから、ここから、という不屈の心」を持ち続けるきっかけとなった大会だったなぁ・・・。

と、それから35年も経った日本武道館でその男と並んで後輩を応援しながら思っていました。

そして、その男には、身体が動く限り、ひのまるキッズの講師として同じ時を共有していただきたい思っています(本人には言いませんがね(笑))

いまから、ここから! 死ぬときに「おい、人生、やり切ったな!」ってお互いに称えあえるように、まだまだ己を盡します!

 

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その315;いまから、必要なこと)

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いいから、やれ

すぐ、やれ

だまって、やれ

18年前。シドニー五輪を終えて古巣に戻り、広告営業の最先端で社員を叱咤激励したときに連呼していた言葉。

基本的に、今も

『とにかく、やろうぜ! 打席に立たなければヒットは打てない。畳に上がらなければ相手を投げることはできない。まずは、一歩前に進む。明日やろうはバカ野郎だ!』

という気持ちに変わりはない。

変わりはないけど、自分自身は、最近・・

『残りの人生、どうやって後に引き継ぐか・・今、やるべきことは何なのか』とばかり考えてどうも行動に結びつかないことが多く、その反面、ただ何も考えず目の前にある事のみに没頭して、現実から逃避しそうな己に自己嫌悪に陥りそうになります。

そんな中、先日、久しぶりに松山で時間ができて『秋山兄弟生誕地』を訪れることができました。

かつて、ここの道場の指導者を・・と言われ紹介した後輩がいたころは、松山に来たら(彼がいようがいまいが)必ず訪れたこの地でしたが、その後輩の急死により一度も足を運んだことはありませんでした。

受付のおばさんに案内されて、過去何十回もみたビデオを見て、同じ話を聞き・・、回り込んで最後に案内された部屋に飾ってあった額の文字が目に入ったとき、猛暑でボーっとなりかけていた心に電気が走りました。

そこには

秋山兄弟の一人、秋山真之(さねゆき)さんの直筆

熟慮断行

じっくりと、十分に考えて、やると決めたら思い切って、全てを断ち切って実行する

というこの文字。おそらく、これまでもそこにあったと思いますが、これまで全く意識がなかったこの4文字から目が離せませんでした。

これぞ、今、自分自身に必要な言葉。天国の後輩が『先輩、ここまでよくやりましたよ! ここでもう一度じ~くり考えればいいじゃないですか』と言ってくれていると思っています。

まずは熟考、そして、決めたからには全てを断ち切って、実行します。

いまから、ここから。お盆で絞り切ります!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その314;さあ来いオリンピック!)

Jpeg

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いよいよ来年は東京オリンピック。

来年のその時は長期休暇で相方とゆっくり・・。

と思っていましたが、どうやらそうもいかなくなりそうです。

その決断は、師匠の一言。

『56歳か! うん! 俺のシドニー五輪の時の歳だな!!』

先週の金鷲旗の帰り。羽田空港からのモノレールで一緒になったときに発されたこの言葉。

『先生、自分ももう56歳ですから、あとは限られた先のことを考えています』

という言葉に、良いも悪いも言わず、いつもの力強い声で返してくださいました。

え! そうだ。19年前のあの時、目の前に日本選手団総監督としていらっしゃった先生の歳に自分もなったんだ・・

と思った瞬間、その一方で、

おいおい、あれから19年・・。先生はさらにいろんな決断をし、いろんなことをまとめ上げ、そして、いろんなことにチャレンジし続けている。そして、このモノレールの中で、まだこれからの柔道界を真剣に話している。

いったい、俺は何やってるんだ!!隠居かよ!! おいおい!!!

帰宅して、相方に一言。

俺、あれ、受けるよ!

相方は、ただニッコリ微笑んでくれました。

ここに一枚の写真があります。冒頭の写真。

19年前のシドニー五輪、開会式直前のワンカット。

左から、佐藤宣践日本選手団総監督、私、井上康生選手。

さあ、来年の東京五輪、当時の佐藤先生の一つ年上になった私のそばには誰がいるのでしょうか? 楽しみです。

あ、

私が受けるポジションですか? 日本武道館で行われる競技は全て見守れる場所にいることになると思います㊙

詳細は、後日!!!

いまから、ここから、そう、ここから!です。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その313;奇跡アゲイン?いや、これも運命!)

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篠原信一との奇跡の再会をお知らせしてから、ちょうど2週間後、それは起こりました。

土日のSeiko presentsスポーツひのまるキッズ親子夏合宿の講師として参加してくださる志々目選手の迎えに仙台駅に行き、改札口で待っていると・・・。

な~がせさん、何してるんですか!!

といきなり声をかけてきた人がいました。

そこには、知り合った時、スーパー高校生として向かうところ敵なしだったそのままの屈託のない笑顔がありました。

おお! 稔彦!! なにしてるの!!!!

そうです。

平成の三四郎

古賀稔彦でした。

仙台での講演の帰りとのこと・・。

『つい最近、信一と新幹線で会ったんだよ。写真撮ってFB載せてもいい?』

と聞くと、

なんと、『運命の再会!って言っておいてくださいね!

2週間前のコメントと同じ言葉が返ってきました。

その後、すぐに別れ、入れ替わりで改札口から出てきた志々目選手に

『君の日体大学の先輩がそこにいたよ!!』というと

『マジですか!!』

と初対面の緊張感もなく、話が弾んだことは、ある意味、稔彦に感謝しなければならないと思いました(笑)

稔彦、ありがとう!!

もちろん、今回の夏合宿も大成功! 親子の絆をしっかりと深めるお手伝いを講師、スタッフ、そして東北高校の皆さんと行うことができました! 詳細は、この後のスタッフブログにて!!!

いまから、ここから! 絆に心底感謝です!!

永瀬義規