いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その497:Decade~10年~)

2023年9月18日。スポーツひのまるキッズ協会は創立10周年を迎えることができました。ありがとうございます。

この10年

2009年4月ジャパンスポーツコミッションの社運をかけて産声を上げた『スポーツひのまるキッズプロジェクト』。まさに〝産みの苦しみ”の5年間、必死にもがき続け、毎回、毎回・・途中で東北大震災に遭遇したときも・・ 全国各地に深夜バスで向かい、現地では軽自動車に乗り、雨の日も風の日も・・。

そして、会社の存続さえも危ぶまれたあの時、10年前のあの日、この事業だけは・・・と、起死回生の大逆転を願い会社登記。その日の夜も富山行きの深夜バスに乗り込んでいました。

翌日の早朝に到着し、いつも無理言ってお願いしている朝ぶろに入れていただき、2日間富山を回った時のことを昨日のことのように覚えています。

10年間お世話になっているお風呂

Decade~10年~

ひのまるキッズ六訓を掲げ

柔道に続いて、
バスケット
自転車
バレーボール
ソフトテニス

と5年間で様々な種目に挑戦。

6年目に新たなパートナーと組んでスタートしたのにも関わらず、コロナでイベントを開催できないといういきなりの大ピンチ。

しかし、各大会ごとに『10年の軌跡』を振り合える雑誌を発行し、クライアントにはイベントの代替案と認めていただき首の皮一枚で乗り切り、スタッフの後押しもあって、TOKYO2020の日本武道館メディア対応責任者を引き受け、なんとかやり遂げ、その後の約二年間で四回の入院、3回の手術を経験💦

今年度から新たな建付けで再スタートに踏み切り、柔道マガジン杯、道場わっしょい!を全柔連と開催、そして、柔道マガジンの発行と、いささか柔道に軸足が偏ってしまっている感はあるものの(笑)、足元を固めて次のジャンプに備えながら今日という日を迎えることができました!

7年ぶりに開催できた『道場わっしょい!in愛媛』

数日前、富山の宿で上記のお風呂につかりながら・・

あれから、10年。深夜バスから新幹線とアップグレードできるようになったなぁ・・としみじみ感じつつ、この10年で明らかに次のフェーズに入りつつある『今』を実感しています。

decade after decade

1年、1年の積み重ねを尊重するのも大事ですが、我々は次の10年をフォーカス。まずは10年後の未来、ひのまるキッズをどうしたいのか、『スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげる』ことにより真摯に向き合っていきたいと思っています。

いまから、ここから、皆さま、引き続きご指導、ご愛顧のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その496:写メを撮ることに戸惑いを感じた鳥肌が立つほど素敵な出来事)

8月21日、病気明けの現場復帰初日。初仕事は、9月27日発売の柔道マガジンNO.2のカラーページ特集のスタジオ撮影&インタビューのアテンドでした。

秋葉原のスタジオに現れたその女子柔道家は、私服、柔道衣姿で淡々と撮影をこなし、初アテンドで緊張していた女子スタッフや、我々にも細心の心配り。

そして、なによりも、あのウクライナの世界一美しい柔道家に引けをとらない容姿にカメラマン、メイクさん、そして我々を一瞬にして虜にしてしまいました。

翌日、出社して久しぶりに顔を合わせたスタッフに、自分の病気のことそっちのけで彼女の魅力を語っていましたが、まさか、その週末、その姿をも吹っ飛ばす彼女のワンシーンに、いつものように写メを撮るという行動を忘れてしまうことになろうとは思いもしませんでした。

全日本実業柔道個人選手権大会初日。

全ての試合が終了し、スタッフが入賞選手のコメント撮りなどをしていたため、撤収は一番最後になり、荷物が置いてあったサブアリーナに足を踏み入れた時、そのシーンに遭遇したのです。

もちろん、サブアリーナも人はいなく、翌日の試合を控えた弊社スタッフが待っているだけ・・と思いきや、そのすぐ横で女子数人がバタバタと何かをしていました。

まだ、残っている人たちがいるのだなぁ・・と何気なく近づくと、ちょうど別の出口から入ってきた、両手に空のペットボトルをたくさん詰め込んだゴミ袋をもった女性が、『あ、お疲れ様です!』と近寄ってきました。

その方こそ、つい数日前に我々の前でパリ五輪内定者としてカメラの前で様々なポーズを決めてくださったその女性柔道家でした。

彼女は、SBC湘南美容クリニックの同僚たちと、その会場に置きっぱなしになっていたゴミをてきぱきと集め、撤去していたのです。

最初は普段通りに『よし!FBで紹介しよう!とタブレットを取り出すのですが、そんな行動を移す間もなく彼女たちの姿に目が釘付けになり、そのあと新人・中村をはじめとする弊社スタッフが加勢に入ったとき、スマホで写メを収めるのがやっと。それが、巻頭の写真でした。

よく映画館の上映前の宣伝映像で、
『ブラジルのサッカーワールドカップで日本のサポーターが試合後スタジオのゴミを片付けて話題になった・・』
というCMを見て「うんうん、それでこそ、日本人」と毎回頷いていますが、申し訳ないけど、あのCMの何十倍、いや、何百倍も感動。翌日、井上康生さんを初め、会う人、会う人、皆にそのことを共有させていただきましいた。

そして、今、このブログを書きながら、ペットボトル一杯のゴミ袋を両手に抱えた彼女の神々しいその姿を思い出しながら、インタビューで『減量を始めとする様々な試練を乗り越えることができたのはなぜ?』という質問に答えた彼女の言葉が腹落ちしています。。

『応援してくれる人たちに喜んで欲しいという気持ちで乗り越えました』

ありがとうという感謝の心。私がしますという奉仕の心。
溢れ出る二つの心を持ち合わせるパリオリンピック柔道48キロ級日本代表内定者。

角田夏実さんの、いまから、ここから、から目が離せません。

永瀬義規



いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その495;底力くん)

あの時に比べたらたいしたことない、あの時を乗り越えたのだから、今回も必ず大丈夫だ!

還暦を迎えた昨年からの短期間で・・、右目白内障、顔面神経麻痺、左目白内障、そして、今回の右目網膜剥離と立て続けに発症し、4度の入院生活を経験しました。

4回の入院生活、自宅療養で何かこれまで馬車馬のようにただただ走り続けた人生に神様が、『お前も還暦か・・、少し休みなさい』と言っているのかなぁ・・
と思わずこれまでの人生を振り返ってしまいます。

ここで何度も書いていますが、これまでのジェットコースターのような我が人生、たぶん巷の還暦おじさんと比べてもお陰様でよりスリリングな体験をしてきたと自負しています。

目の前に立ちはだかる壁が高ければ高いほど、『できるまでやる』という気持ちだけで我武者羅にすべてを投げうって挑んでいくとき、その根拠のない自信を支えていたのが冒頭の言葉でした。

あの時はどの時?

今、改めて振り返ってみて、『あの時』と思った時が次の『あの時』になっていたような気がします(わかりにくいですが💦)。

そして、どの時でも常に冒頭の言葉を私に、ある時は優しく、またある時は拳を振り上げて投げかけてくれたもう一人の自分、それが今回のタイトルにある

底力くん

なんともうまく表現できないとウジウジしていた矢先、病床のベッドでなんとなく見ていたお昼の番組で特集されていたある人の人生。そこにあったコメントで、そのことが明確になり、画面のコメンテーターと共に涙が溢れていました。

途中から必死になってメモを取ろうとしたのですが、ペンを走らせるより、より感情の高まりが強く、うまくいかず・・。

そんな時に、FB友達で柔道家であり経営者の戸髙氏が、自身の投稿でその番組の彼女のコメントをしっかりと紹介してくださっているのを発見しました。

 先程テレビを見ていて、先日亡くなった、夏まゆみさんの言葉で、
『人間にはすごい底力があるんです。底力って、怖いイメージがあるから、私はいつも「くん」付けにすることにしています。
底力くんというのが、みんなの身体の中にはいるんです。底力くんは、すごい大変なときや、すごくつらいときにしか、ムクムクって出てきてくれない。でも、みんな持っているんです。本当につらいときこそ、底力くんに会えるチャンスです。
そして底力くんに会えるときは、成長するチャンス。底力くんに会えた自分は、絶対に自信が持てる。だから、つらいときも、大変なときもチャンスと思って頑張り続けることが大事。みんな底力くんを持っているから。
きっといろんな人から「頑張れ」って言われていると思います。頑張っているのはわかっている。でも、もっともっと自分の底力くんに会いに行くことが大事なんです。残念だけど、一生懸命生きてるとき、ガムシャラに頑張ってるときって、わからないんです。自分の能力があるのかどうか。逆に「あれ、もしかしたらダメなのかもしれない。向いていないのかもしれない」って思ったりする。
でも、そんなときこそ、チャンスなんです。底力くんに会えるチャンス。本当に頑張ったときに出てくる、底力くんに出会うために少し落ち込んだとき、ちょっと壁にぶつかったとき、あえて一歩を踏み出してほしいんです。
みんなにいるんだから。底力くんはちゃんといるんだから。ぜひ、底力くんに会いに行ってほしい。人生、無駄なことはないんです。本当なんです』
と言う話か、1番印象に残りました。これは、人生にもスポーツにも、何にでも当てはまると思いました。これから数年は、建設業界もそうですが、景気が悪い事が続くと思います。キツい事や、厳しい事が、これから襲いかかってくると思います。そんな時に、『底力くん』と会えるように、頑張っていきたいと思います。

私にとって『あの時』は苦しい時ではなく、底力くんと会えた時だったのです。

底力くんはそんなに簡単には会えません。でも、どんな人にも必ず存在するのが底力君なんですね。

還暦は赤ちゃんに戻るとき・・。次のフェーズに挑むスタート地点に立ちました!

さあて、わが命続く限り、これから何度『底力くん』を引っ張り出せるか!

いまから、ここから、楽しみでしかありません。

最後になりましたが、私と同じ歳で天国に旅立った演出家・夏まゆみさん。彼女の数々の偉業を称え、心より哀悼の意を表します。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その493:スタートが肝心)

少し早い夏休みをいただきました。

愛知県の蒲郡にあるリゾートホテルで2日間。ゆっくりと過ごさせていただきました。

お風呂も施設も大満足でしたが、特に良かったのが食事。

とにかく、

すべてにおいて、『こだわり』が隅から隅までこれでもか!というほど感じられました。

初日の中華、二日目の和食ともに厳選された食材、手の込んだ料理はもちろん、今回、特に感動したのが、お皿と盛り付け。

差し出された一品一品に食材・調理の説明がはいるという、

安い、うまい、はやい!で育ってきた私にとって、きたものを一気にいただく日常とは真逆のシチュエーションに普段なら我慢しきれないところですが、

今回は、そのお皿と盛り付けの一つ一つに眼が釘付けになり、サービスのスピードに全く違和感はありませんでした。

まあ、還暦を迎える年齢になったので、さすがに落ち着きが出てきたといったらそうなんですが、

ことの始まりは、冒頭の写真。

初日の中華で出されたスタートのビールでした。

キンキンに冷やされた銀色のビールグラスに注がれ均等に盛られた泡。
飲むのがもったいなくなるこの秀逸を見た瞬間、これから繰り広げられる一皿一皿の『こだわり』を確認したい気持ちで一杯になり・・

次はどんなお皿にどんな風に料理が盛り付けられて登場するのか・・と最後の最後まで堪能することができました。

この期待は翌日の和食でも継続し、

それを裏切らない様々な『こだわり』に大満足したことは言うまでもありません。

スタートが肝心。

最初から手を抜かないその心意気が、その後に期待を持たせ、『こだわり』を堪能することができました。

還暦最初の夏休みを満喫出来ました。

いまから、ここから、何をするにも全集中です🔥

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その492;ひのまるキッズブランドを深ぼる!)

そもそも、これはなんでそうなんだっけ?
そういうことなら、この方がいいのでは??
おいおい、誰がターゲットなの???

昨年度から毎週一回、『ブランディング会議』なるものを開催しています。

これは、盟友・羽染氏が

『永瀬さんの想いって本当にスタッフに浸透しているんか??』

という素朴な疑問から、

だったら、一肌脱いでくれよ!!

と強引に引きずり込み、貴重なお時間をいただいています。

当初は

どうせ・・
・・のに
とは言え・・・

の影が見え隠れしていたものの、そこは、根底は『ひのまる愛』に溢れるスタッフたち(特に私が不在の時に(笑))バンバン良い企画が上がり、この1年間でいくつかの新企画の実行が実現しています。

柔道の勝負だけではないことで子どもたちを讃えたい
『標語コンクール』

ゼッケンだけではなく、世界で活躍する選手と同じような経験をさせて思い出を残したい
『インタビューボード』

大会参加親子だけではなく、縁の下で支えてくださっている学生スタッフに感謝の気持ちを伝えたい
『係員表彰』

憧れの講師たちとの触れ合いの場を設けたい
『ひのまるカフェ』

などなど・・。

スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげるテーマパーク創り
がスポーツひのまるキッズのコンセプト

ここでの私の役割は、まさしく

『あるよ!』(できるよ!)

のドラえもん。彼らの要望を形にすべく、持っている引き出しを開けてコネクション、金策、あらゆることに応えることに生きがいを感じている今日この頃です。

今週の会議のテーマは

マナー賞のクローズアップと花道の設置

さてさて、どんな形で具現化されることやら・・。

いまから、ここから、乞うご期待です!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その491:野村忠宏氏と振り返る我が四半世紀)

https://www.youtube.com/@nomura-dojo

「永瀬さん、お久しぶりです。
実は今回お願いがありまして・・・」

柔道界レジェンド・五輪3連覇の野村氏からの電話。

いつもお願いごとばかり、もしくは酔っぱらって一方的にこちらから電話するのが日常でしたが(笑)、突然の電話にビビッて応えると第一声がこれでした。

「柔道マガジン出すらしいですね」

「僕にも何かお手伝いさせてください! 僕がやっているYouTubeで対談をお願いします」

との話。

私にとっては降ってわいたような良い話。でも、ちょっと待って・・

「ヒロありがとう!願ったりの話なんだけど、俺なんかじゃ再生回数取れないよ!」

と思わず答えると、いつもはおちゃらけで話を進める彼が

「そんなことは関係ないですよ。永瀬さんがやっていることに真剣に向き合いたいんです」

との返事。この時点で涙が出そうになりました。

そして、数日後。

スタジオでなんと3時間話しっぱなし・・。

終わった時には、グッタリしてしまい、おもわず同行してくれたスタッフ・滝川と鰻を食べてしまいました(笑)

内容は、

とにかく文章にすると原稿用紙何十枚、100枚近くに匹敵する内容が2話に渡って繰り広げられ、まさしく、永瀬の四半世紀STORYとなってしまいました。

二人が出会ったアトランタ五輪での話(前編)

https://www.youtube.com/watch?v=_i6xfQb7Sdg

https://www.youtube.com/watch?v=_i6xfQb7Sdg

そしてシドニー五輪から、スポーツひのまるキッズ立ち上げから柔道マガジン創刊まで(後編)

https://www.youtube.com/watch?v=pZeeZRMU4EQ&t=41s

https://www.youtube.com/watch?v=pZeeZRMU4EQ&t=41s

そして・・・

予想通り💦の低再生回数・・本当に彼には申し訳ない気持ちで一杯ですが、お陰様で還暦を迎えて、今一度自分の人生を振り返ることができ、改めてこれまで関わったすべての人に心から感謝の気持ちで一杯になっています。

ヒロ、本当にありがとう!
お礼は百倍返し!!できれば良いけど(笑)

いまから、ここから、「おかげさま」という謙虚な気持ちで踏み出せます!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その490:柔道マガジン、創刊します!)

2011年6月、第2回スポーツひのまるキッズ東北大会の開催準備で東北地方を回った際、多くの保護者から、過去の大会のパンフレットが欲しいと言われました。

 東日本大震災で被災した人たちでした。自宅が津波にのまれ、子どもたちの写真や、背丈を刻んだ家の柱が流されていました。

 スポーツひのまるキッズ大会のパンフレットには出場した子どもたちの当時の身長や体重が掲載されています。保護者たちは、子どもたちとの失われた思い出を取り戻そうとしていました。

「紙のかたちで残す必要がある」

強く思いました。


もちろん、覚えているよ!確かあれが最初の日本上陸だった。そして、日本選手の強さ、礼節の大切さなどを直接感じることができた。いい思い出だ」

昨年の東京オリンピックTOKYO2020、柔道男子100キロ超級の記者会見。

司会者と入賞者という立場で隣り合わせになった時に柔道界のスーパースター、テディ・リネール選手(フランス)に「15歳の時に日本に来て試合をしたことを覚えている?」という私の問いに返ってきた答えでした。

当時、2004年に開催された第17回近代柔道杯にはその前年より世界5か国から選抜チームが出場、その年、すでに190㎝のリネール君を擁したフランスチームはベスト8進出。周りから頭3つくらい突き抜けていた彼の一挙一動に会場は釘付けになっていたことを今でも忘れられません。

思い起こせば36年前。

「誰もが参加できる全国大会を開催し、全員を近代柔道の誌面に載せればどんなに喜ばれるか!」

という熱い思いだけの新入社員企画が採用され、それから32年間、前述の海外選手受け入れや、テレビ放送まで、様々な創意工夫で中学生柔道家に『夢』を提供し続けてきたベースボール・マガジン社の近代柔道杯。

奇しくも上記の会話があったその年にコロナ禍による大会中止を持って終了となった時、創案者としてどうしてもその灯を消したくないという思いから全日本柔道連盟と共にこの理念を引き継ぎ、今年の3月に『第1回柔道マガジン杯全国中学生柔道大会』として再出発いたしました。

そしていよいよ創刊となったこの『柔道マガジン』。

世の中がものすごい勢いでIT化が進み、信じられないスピードで回っている今だからこそ、 国内唯一の柔道情報誌として一つでも多くの情報をたくさんの人々にお届けするとともに、様々なメディアやイベントと連動するプラットフォームとして一人でも多くの人々の思い出を残す『場』の役割も担います。

 本号では昨年7月から今年5月までの記録、写真を掲載しました。今後は各大会のリポートはもちろん、トップ選手のインタビューや対談企画、テクニック企画、柔道界のあらゆるニーズに対応。より多くの方に夢を提供し、絆を深めるお手伝い・・、

いまから、ここから、ONLY ONE & ALL IN ONE の柔道専門誌のスタートです。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その489;穏やかな日々を家族と過ごす幸せ)

義規、そんなこともわからないのか?
それはね・・お前が生まれたからだよ。
兄貴は新たに授かった幼い命にすべてをかけたんだよ

15年前、父親が亡くなり、一夜を明かした告別式会場で、若き日の父親が学生ベンチャーの走りだったり、様々なヤンチャをしていたのにも関わらず、25歳で全てを辞めて若夫婦二人でお弁当屋さんを始めたことに疑問を感じた私に、瞬時に冒頭の答えを返してくれたのが、父のすぐ下の弟でした。

その人の一番最初の記憶は、真夏(だと思う)のある日、小学校に上がる前によく遊びに行った中野のオンボロアパートで、たくさんの本に囲まれてランニング姿で勉強している姿。

子ども心に、

大人になっても勉強しないといけないんだなぁ・・

と強く思ったことをよく覚えています。

そして、しばらく顔を見なくなったと思ったら、小平の実家に遊びに来て、

当時、お城にはまっていた小学生の私に

義規、今、一番行きたいお城はどこだ?と聞いて、答えた会津若松城にすぐに連れて行ってくれ、長い階段を「きつい、きつい」と言って一緒に登ってくれたことが2番目の印象。

税理士となってからも、定期的に遊びに来てくれて、やっと(失礼!)お嫁さんをもらって子供ができたときは嬉しそうに

義規、この子が成人式の時は俺は還暦の爺さんだよ!お前は早く結婚して、兄貴を安心させないといけないぞ!

といいながらも満面の笑みで会うたびに連呼していたのを昨日のように覚えています。

その叔父が先日亡くなりました。

83歳。

亡くなる前日まで元気で、朝、起きて来なく気が付いた時には脳内出血で意識がなくすぐに病院に運ばれたものの帰らぬ人となったそうです。ただ、家族全員が病院に駆けつけることができ、最後を看取ることができたことが何よりでした。

父の後を追いかけて佐賀から上京し、父と同じ早稲田大学に進学、野球部に所属し怪我で苦しみながらも地道に活動をしていたと聞きます。その一方で父の仕事も手伝っていたようで、その派手な姿を見ていたので卒業後は税理士という堅い職業に就いたのでしょうか・・。税理士までの道のりは相当な苦労があったと察します。
それから3人の子どもを育て上げ、4人の孫に恵まれて、晩年は本当に幸せそうでした。

私にとっては、叔父ではなく、父の三人の弟の一番上だったので、しっかり者の長兄みたいな存在でした。

どんなことがあろうとも、常に冷静に、そして私の意見を一番に尊重し、いつもニコニコ見守ってくれていました。

父が亡くなった後は、残された永瀬家一族の最年長者として、本当に全ての身内にたくさんの愛を注いでくださいました。

告別式が終わり、長男の最後のあいさつに彼の一生の全てが表されていました。

父は、私たちが幼いころから決して大声で怒ったりしいたことはなく、いつも温和で、本当に穏やかな人でした。そんな父が少し前に兄弟を集めて言った言葉を忘れません。
『何があっても兄弟3人、力を合わせて家族を守っていくように』その言葉を胸に我々は力を合わせて、穏やかな家庭をしっかり築き上げていきたい。

そこに集まった3兄弟。それぞれの家庭には、その想いはしっかりと伝わり、絆は深く結ばれていました。

永瀬泰造、享年83歳。

寡黙で実直、でも実は頑固一徹の葉隠れものが残したもの・・

穏やかな人生、最高でしたよ! 泰造兄ちゃん! 

合掌。

永瀬義規



いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その488;なにもかもが・・原点回帰)

今週末は
第73回全日本実業柔道団体対抗大会が開催された

三重県四日市市の四日市市総合体育館に行ってまいりました。

実は、個人的には当初の目的は施設見学だったのですが、

金曜日からの爆発的大雨被害で新幹線が止まってしまい、当日会場入りができたのが、名古屋から入った私と奈良から入りのカメラマンの二人・・。

ということで、

急きょ、30数年ぶりに大会取材なるものをさせていただきました。

最初は、

取材と言っても、試合は動画中継があるし、試合も抑えるところはカメラマンが抑えられるタイムテーブルなので私の仕事は優勝インタビューくらいなので楽勝!

なんて思っていましたが、

まさか60歳にして『すみません、今度創刊される柔道マガジンですが・・・』と優勝チームの監督さんたちに話しかけることになろうとは・・・結構、緊張してしまいました💦

でも、受けてくださった三人の監督さんたちは(やりにくそうな苦笑いを浮かべながらも)しっかりと不慣れな質問に答えてくださり、何とか完了。

翌朝、会場に仲間の姿を見た時は、本当にほっとしてしまいました(笑)

さて、73回を迎える今大会。

様々なところに伝統と歴史を感じました。

そして、

これぞ、ザ・柔道大会と感じられる多くの場面に遭遇し、新たな感動を得ることができました。

特に今回は、日本代表が真っ向からぶつかり合って所属のためにしのぎを削り合う姿はもちろん、それ以上に、勝っても負けてもチームメイトをたたえ合う姿が多くみられ、まさに、

丸ごと一日『精力善用、自他共栄、相助相譲』

そして、2日間、どこもかしこも、大同窓会!!

素晴らしい2日間を過ごすことができました。

私のコメント取りも、大会の意義も、雰囲気も、なにもかにもこの一言に尽きる2日間でした。

原点回帰

いまから、ここから、
フレッシュな気分で帰路につけたことは言うまでもありません。

ありがとうござました!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その486;100回目のビッグプレゼント~夢~叶う)

5月21日。長年夢見ていた光景が目の前に展開されました・・・😢

~柔道通算100回記念~第15回スポーツひのまるキッズ関東小学生柔道大会が先週末の21日(20日・前日練習会)横須賀市総合体育館にて開催、700組の親子が参加し無事成功裏に終了いたしました。

大会中、そして終了後、とにかく出た言葉は、

『ありがとうございます』  100回は言ったと思います。

私は常々、

「スポーツひのまるキッズをスタートさせてこれまで、とにかく大会経験者が再び会場に戻ってきてもらう日を楽しみに気張っています」

と、事あるごとに語っています。

この数年、それは、『大会係員』として、支えてくださっている中学生・高校生、そして大学生たちに「ひのまるキッズに出たことある人?」と尋ね、年々増えるその数に達成感をやる気につなげていました。

そして、密かに、

そろそろだなぁ・・と、周りとワクワクしながら切望していた場面・・
講師となってカムバック!!
が、この日、現実のものとなったのです。

まずは前日練習会に参加してくださった
村尾三四郎選手

横須賀中央駅のホームで待ち合わせしていきなり駅貼りポスターで記念写真をとり、それからは大会参加最多の青井久幸講師と『いやあ、立派になって・・』を連呼。

練習会でも彼の一挙一動に感動しまくり、彼一人でこれなら翌日は・・・という予想は的中。

当日の朝、講師集合に挨拶に伺い、控室ドアを開けて彼らの顔を見たときは、不覚にもこみあげるものを抑えることができなくなりそうになりました。

講師それぞれの紹介、さらにイベントの詳細は、これから続くスタッフブログにお任せしますが、
表彰式では、TOKYO2020で共に苦楽を共にした山田利彦氏に賞状をお渡しする機会があったり、

全柔連時代本当にお世話になった谷(田村)亮子の師匠・稲田明先生との久しぶりの再会があったり、 その他感動満載!とにもかくにも、2023年5月21日は忘れることができない記念日となりました。

そして、極めつけは山下泰裕全柔連会長の初参加。今回の大会を直接見ていただき、感銘のお言葉をいただいたことが我々にとって大きな励ましとなりました。
今期で全柔連会長の職を辞するとのことでしたが、まだまだスポーツ界からは離れられないことでしょう。感謝です。

いまから、ここから。感動を胸に刻み、次のフェーズに踏み出します。

永瀬義規