いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その252:知っているのは自分だけ)

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先週に引き続き、母校に行ってきました。

母校で後輩から進路相談や、技術相談を受けるとき、
全てにおいて私が常に心がけていることは、

答えを引き出すのは自分の経験則からのみ

ということです。

なので、前回のここでも書いたように、そのことが逆に
自分の自慢話のように聞こえることもあるらしく、最近、
少しその手の話に苦手を覚えるようになっている自分もいます。

俺の若いころはな・・

と話をしたって、今の時代はそのころとは違うから・・

俺はその歳ではなぁ・・・

と言っても、あなたと自分は違うから・・

と相手に思われるのではないかと、どう話をしていいのか、自信を
無くしている自分もいました。

でも、今日、私の眼を瞬きもせずに真正面からしっかりと見て
話を聞く後輩に

変わらないものは変わらない

という確信を得ました。

それは・・・

母校の伝統の元で己の限界に挑戦する仲間

ということです。
それは、日本一になろうが、一回戦負けだろうが、
強い、弱い。要領が良い、悪い・・ということなんて
全く関係ないんです。

この母校の道場で、とことん己を尽せているかどうか?

ということだけでつながるんです。

そして、そのことは誰でもない『自分だけが知っていること』なんです。

周りが何を言ったって変わらないんです。

その結果の話をしているのではなく、その目標のためにどれだけ己を尽せたか
が一番大事で、それを判断するのは誰でもない自分自身なんだ、と、伝えるだけで良いんだ、と割り切った瞬間、なんか心が軽くなりました。

それができれば、なんでもできるよ!って伝えれば良いんだと。

これは、仕事でも同じですよね。

確かに、事業には収益が必要です。収益がない事業は存在価値がないと言っても過言では
ないと思っています。

ただ、その収益を上げるために、そこに向かってどう努力したのかが一番大事。今、自分の仕事に対して『とことん己を尽せた』と思えたらそれで100点。

その環境つくりが自分のやるべきことだとそれ以上に思っています

その環境つくり、結構大変です。そして、何より今現在『うん、俺はとことんやっている』と思えるモチベーションを保つことが経年劣化により難しくなりつつありますが、やり切る覚悟はできています。

まずは来週のひのまるキッズ東北大会。同じ日、東京学生優勝大会で母校の名誉をかけて闘う後輩たちに負けないように己を尽していきます。

いまから、ここから、やっているかいないか、知っているのは自分だけです。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その251:伝えなければ、伝わらない)

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本日、母校に行きました。

新学期になって初めて訪れる道場。

午前中の稽古を終えて、弊社新人スタッフであり後輩でもある吉原と一緒に二人の4年生を連れてランチに・・・。

実は、二人とも卒業後の進路について悩んでいるので相談にのってほしいと監督から言われ、鉄板焼きでお好み焼きを突っつきながら二人の話を聞きました。

そして、

なんだ、そんなことなら・・・

と言って、一生懸命、自分の”引き出し”の多さを話し、必ず力になるから・・と話をしてる時、以前起こった嫌な思い出が頭をよぎりました。

あれは、5年くらい前でしょうか?

同じようなシュチエーションで、一人の後輩と電話で話すことになり、今日と同じように『そんなことなら・・』と、まずは自分の経験を一生懸命話しまくり、最後には『な、わかっただろう。俺にはこれだけ引き出しがあるのだから、何でも言ってこい』と言って電話を切りました。

当時は、事業が大変で道場に顔を出す暇など皆無だったので、せめてそのくらいは・・と心の底から思った行動でした。

でも、その後輩からの連絡はありませんでした。

そして、不思議に思っている時にある先輩から聞いた一言

「永瀬、怒らずに聞けよ。あいつに『なんで永瀬に連絡しないんだ』ときいたら、『なんか、自分の自慢話ばかり一方的に言って、信用できないので‥』と言われたよ。『ふざけんな、永瀬はな・・』とお前のことを説明したけど、なんかうまく伝わらなかった。悪く思わないでくれ」

その時は、正直、

なんだと、あの野郎!! 俺の言ったことをそんな風に聞いていたのか? だったら、俺のことを調べてみれば良いだろう。だいたい、先輩ももう少しフォローしてくれてもいいんじゃないか!

と思って落ち込んでしまいました。

が、よく考えてみると、もし自分が学生で、いきなり一度や二度しか面識のない50過ぎのオヤジから偉そうに言われたって、そんな話、聞くわけがない・・

と今は思います。なので、今回は、吉原を窓口にして、とにかく時間をかけて話をしていこうと思っています。

さて・・・

人に何かを伝えるということは、そんなに簡単なことではありません。基本的には『背中を見せる』ことで相手にわかってもらうタイプの私ですが、

その背中が、どんな背中か、まずはそこをしっかりわからせなければならないというとこがとても大事なんだということを、最近、やっとわかり始めました。

自分一人でやるなら、それは、必要ないでしょう。

でも、そのことをもっと大きくするには、他人の力が必要であり、その人に『我がごと』と思ってもらわなければ絶対にうまくいくはずがありません。

事業で言えば、それには、その『こと』がどんなことなのか、そもそも、その『こと』はどういう過程を得て成り立ち、どんな風に成長しなければならないのかをまずはわかってもらうことが大前提なんです。

先日、ひのまるキッズの事業内容で、担当者に激怒しました。今までやっていたことを、チャレンジもせずに簡単にやめてしまったことに対してです。もちろん、その後で、じっくり説明しましたが、もし、自分がその担当者に、一つ一つの事業がどうやって成り立ち、そこにどんな『絆』があったのかを事前に伝えていてれば、そんな事にはならなかったと、今は反省しています。

いまから、ここから、伝える努力、まずは己が踏み出します!

永瀬義規

追伸 写真は、午後の稽古で熱いご指導をしていただいた岡野功師範。70歳過ぎてもその眼光の鋭さに一切の衰えはなく、一つ一つの説明に絶対的な自信が漲っていました。まさに、伝道師。吸い込まれました。

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その250;平成64年。『7日間だけの1年』での出来事

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お陰様で、『ひのまる社長の独り言』も250回目を迎えることができました。毎週、毎週、同じような内容をダラダラと・・・。

いまから、ここから

いまから、ここから

って、己を一生懸命奮い立たせているだけのオジサンの『独り言』。よく250回も続いたと我ながら感心しています(笑)

クライアントには「もうわかりましたから!」と言われるくらい語りまくるくせに、身内(スタッフ)には全く気持ちを伝えられていない不器用社長が、何とか彼らに伝えられないか?と思って始めたこの書き込み。

もちろん、その気持ちが大きいものの、今では(今でも)、本当に弱い己を鼓舞するために記しているところが大と言えます。

先日、テレビを見ていたら、

SNSはまさしく『自分を認めてもらいたい』という欲求をうまく使ったビジネス。

と言っていましたが、まさにその通りかもしれません。一番はまっているでしょう(笑)

でも、私自身、まだまだこの独り言は続けるつもりです。懲りないですが、今後ともよろしくお願いします。

さて、

タイトルのお話ですが、皆さんは昭和最後の年、昭和64年の思い出ってありますか?(まだ、生まれていませんという人が弊社だけでも4人もいますが・・)

実は、私自身、その前年は強烈に覚えていること満載、さらに翌年の平成元年も振り返られることは多いのですが、昭和64年の思い出は皆無でした。

そりゃ、そうです。

なんせ、昭和64年は1989年1月1日から7日のわずか7日間しかなかったからです。

でも、先日、実家に帰って荷物の整理をしていたら出てきた一枚の表彰状を見てビックリ! それが冒頭の写真です。

それは、入社2年目で受けた『努力賞』でした。

以前も書いたように、社会人になって一番最初に発案、実行したのが『近代柔道杯』

実は、様々な人の協力で開催することができた時の感動・・の思い出はあまりないんです。

あるのは、翌年の新年会会場で、この表彰状をいただいた時の気持ちでした。

2年目で表彰は異例中の異例というこの賞状を頂いた時、心の中を満杯にした気持ちは、

認められた

ということでした。

そうなんです。スポーツを通じて、子どもたちが『認められる、褒められる』場を提供することにこだわるひのまるキッズの根源がここにあったのだと再確認させられました。

そして、それが偶然、たった7日しかなかった平成64年の出来事って、一人感動してしまいました(笑)

新体制になり、よく周りに

よくやったねぇ~。これで一段落だね。

とか、

もう完成だね。次はなにをやるの?

と聞かれるシーンが多いのですが、

もちろん、おかげさまという気持ちは持ちつつ、

いまから、ここからの気持ちで一杯になっています。

それは、なぜかというと、子どもたちを褒める、認める場の提供ということに完成はないからです。

いやあ、こりゃ、終わりはないわ!

という身内の声が聞こえます。

もちろん、ひのまるキッズの完成は永遠にないのです!

いまから、ここから、500回めの『独り言』に向けて!!

P.S

ちなみに、一緒にしまわれていた2枚の賞状。もう柔道4段とって30年が経つんですね(笑)

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その249;柔道のおかげ)

FB_IMG_1524973614902たちの人生は、大学を卒業してからの方がはるかに長い。
しかし、その先の人生を全て引いたとしても余りあるくらい、この4年間を
柔道にかけてみなさい。己をとことん尽くしなさい。

柔道が強い、弱いではない。

自分をどれだけ柔道にかけられるか、それが一番大事なんだ。

そして、この先の人生で、あの時あんなに頑張ったのだから、あんな苦楽を
共した仲間がいたから、とそれを糧にできるかが一番大切なんだ。

当時、低迷期だった中大柔道部を監督になって10年で日本一にした男。

彼と彼の無二の親友で、常に彼を支え続けた男。

全日本選手権大会の前日、この二人の古希のお祝いに教え子数十人が集結。

そこに当時コーチだった青井と共に参加させていただき、感動の3時間を熱く
語らせていただきました。

ここでその時のことを語ったらとんでもない時間になるので、ただ一言。

参加者全員の口から出た言葉。

柔道のおかげで…。

素晴らしいと思いました。
うらやましいと感じました。

そして、いつか、今度はほんの数人でもそう言ってもらえるように、もっともっと
愛情を込めて後輩たちに接しないと、己の心に刷り込みました。

津沢先輩、大八木先輩、古希おめでとうございます!

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いまから、ここから、『ひのまるキッズのおかげ』を創りあげます!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その248;脱皮前のガツン3連発)

お知らせいただきました。良かったですね~

うん、そろそろ大丈夫ですね。協賛、一旦お休みさせていただきます。

今回、ハラプレックスとの協業に関して、様々なご意見、応援、そして思った以上の勘違い、誹謗中傷をいただく中、一つ一つご説明に伺っている中で、一番恐れていたご返事が上記のお言葉。

実際は、これから1000社の協賛獲得1720近くの全市町村でのひのまるキッズ開催という大志に向けて最善のパートナーを得たのですが、例にもれず、己の説明不足の言葉足らずで上記の状況を招きかけて・・・いた先週の出来事です。

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5月の東北大会の開催ごあいさつで新市長をはじめ、予定通りの弘前周りを終え、盛岡へ。

親戚に楽しい夕食をごちそうになり、翌朝向かったのが、経営の師匠と10年以上も慕っている鬼柳一宇会長が待つアイオー精密でした。

そこで、一発目のガツン。

実際、会社というよりも個人としてご協賛を続けている会長から、冒頭のお言葉が出るかと正直ビビっていました。

案内見ました。うまくいっているみたいだね。

おっと、不味い展開・・。と構えていると、会長から思いっ切りガツンと言う言葉が出てきました。

ところで、永瀬さん、1000社は3年?5年でやり切るの? まさか、今回のスキームつくりで落ち着いたんじゃないんだろうね?? そんなんだったら、今すぐに協力を止めるよ!

冗談じゃありません。5年でやり切りすぐにその倍を目指します。と間髪を言わずに応えたら、

うん! わかりました。私はもうすぐ80歳だけど私の命ある限り協力します。

とまっすぐに、真剣勝負の漢の深い瞳で言ってくださりました。感動で全く言葉も出なかった、心の底に響くガツンでした。

2発目は

上村春樹講道館館長(写真が新年のあいさつ時のもの)

上村館長と永瀬

ひのまるキッズの『道場わっしょい!』の共同開催を全柔連と共に実施できないかとかねてから打診していたら、日程指定の連絡があり、弊社林取締役と訪問しました。

ひのまるキッズの講道館後援のお話も・・と口を開けた途端、

永瀬、元気か?? から始まり、いつもの上村劇場が開幕。その一言一言に何とか対応しても、次から次へとそれを覆いかぶすように全て呑み込まれてしまいました。

体育って一言で言えるか?スポーツで教育することだよ。

私は柔道を語るにはまだまだ未熟者、私がやってきたのは勝ち負けの世界。嘉納治五郎先生が創設した柔道を語るのはこれからだよ。

その一言一言にガツンガツンと地面にのめりこんでいきましたが、気持ちはグングン上に登っていきました。

そして、最後は・・・。

一週間を終えた金曜日。残業していたスタッフと飯でも食べようと神保町を歩いている時の出来事です。

ある店をスーッと通り過ぎようとしていると、『どうもありがとうございました。またお越しください』と年配の男性を見送る聞き覚えのある声・・。

ん? とよく見るとそこにいたのは、グローバル医科学研究所の富山正一社長。なんと、経営している『てもみん』で施術をしてお客様を見送るところに遭遇しました。

富山現在

以前、『1年の3分の2は出張です』と言っていたこの経営者。実はアトランタ、シドニー五輪では柔道日本選手団の帯同トレーナーとして同じチームにいた『富ちゃん

富山アトランタ

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お互い、経営者となってからも、会うと昔と変わらずさわやかな笑顔と誠実な対応をしてくださっていたものの、まさか、夜遅く、現場でマッサージをしている姿と出くわすとは・・。

スタッフに『全国のてもみんを束ねる社長だよ』とご紹介し、『すごいね。出張ばかりの中で良く時間あるね』と聞くと、当たり前のように・・

現場が命ですから!!

ガッツ~ン。

新しい、職場。新しいスキーム、新しい目標。

これまでの10年を綺麗に脱皮させていくガツン3連発でした。

長い文章にお付き合いいただき恐縮です。

いまから、ここから、今度はこちらがガツンを提供する番です!!

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その247:その背中、追わせていただきます)

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金曜日、4月からパートナーとなったハラプレックスグループの懇親会。会の盛り上がりがピークを迎えた大ビンゴゲームの賞品で、見事に1等賞をGETした私。

さすがに、経営者としての面目があったので、そのあとじゃんけん大会でスタッフに譲ったこの1等賞商品は、

東京ディズニーランドペア招待券

じゃんけん勝者は、家庭を大切にする社員だったので喜んでくれて良かったです。

そして・・、

本日は、その東京ディズニーランドの35周年記念日

朝のワイドショーで特集されていたのを何気なく見ていた私は、『おお、〇〇君に賞品譲って良かったなぁー』と素直に喜んでいましたが、その番組を見て『しまった! やっぱり自分の眼で見なければならないこと満載じゃないか!!』と少し後悔しています。

それは、

1983年4月15日に創立以来、7億人以上の来場があったこのパークのリピート率が驚異の90%というレポート。

さらに、創業者ウォルトディズニー氏のこの言葉のテロップに全身全霊で吸い込まれたからです。

パークは永遠に完成しない

35年の月日。決して満足することなく、キャストと呼ばれているスタッフが一体となって、『私たちはお客様の幸せを創造し続ける』ということを四六時中追求し、革新しつづけるその姿勢にぐいぐい吸い込まれていきました。

ひのまるキッズ六訓

スポーツを通じて、親子の絆を深め、子どもと夢をつなげる

ひのまるキッズ六訓をその礎とし、この理念をイベントと通じて表現、提供することをミッションとする人間として、この偉人の言葉を真摯に受け止め、現状に決して満足することなく、新しい仲間たちと一日一死でとことん己を尽し、新しいことに挑戦し続けようと思います。

偶然は必然。

ちょっと気が抜けている私に神様が与えてくれた気づきに感謝です。

そう、我々の仕事に『これでいい』はありえないのです。

いまから、ここから、気合入れなおします。

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その246:身の丈)

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いよいよ、新年度のスタートです。

実は、これまでも書いてきたように、この一年、新スキーム構築で自分の持っているもの、55年間の蓄積を全て使い切った感があり、今週はちょっとお疲れモードでした。

そのタイミングを知ってか知らずか、とにかく、この一週間、会う人、会う人に体調を心配されるお言葉を多くかけていただきました。

ありがとうございました。

今日は、福岡から戻ってきた羽田空港で、普段はご挨拶だけで終わる全柔連会長から『何をするにも健康が第一。お互い、身体を大切にして前に進もう』と真顔(すみません、いつもの表情でした・・)で言われました。

と、

今日は、本当に電池切れのため、『独り言』を終わります。

ただ、一つ、
いい機会なので私にとっての『身の丈』を今一度考えなおしてリスタートしたいと思います。

もちろん、そうしてから、再度

勇気を持って

誰よりも先に

人と違うことをする

気持ちで己をとことん尽くしまくるつもりです。

いまから、ここから、気持ちは新入社員です!!

永瀬 義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その246;次の10年!)

原竜也×永瀬義規

3月30日でいよいよ港区芝の旧事務所を完全撤収し、本日より、千代田区神田神保町の新事務所にて正式発信しました。

これまでここで創業以来10年の想いを振り返らせていただきました。

本当に、本当に、ありがとうございました!

さて、

いよいよ、次の10年。

スポーツひのまるキッズから満を持しての大発表です。

明日。4月2日より、一般社団法人スポーツひのまるキッズ協会は、新たなパートナーとして株式会社ハラプレックスと業務提携を行い、

➀協賛1000社獲得

②全国の市町村での『ひのまるキッズ』開催

という大志を掲げて、次の10年の第一歩を踏み出します。

株式会社ジャパンスポーツコミッションは、会社としては、今度は運営から、別角度でのバックアップ体制に入ります。

もちろん、私を始めスタッフは全く変わらず、むしろ、2日から強力な新人たちを迎えて、より深く、そして幅広く、『スポーツを通じて親子の絆を深め、子どもと夢をつなげる』事業にとことん、とことん!!取り組んでいきます。

このスキームを組むにあたってこの1年間、ハラプレックスの原社長と何度も何度も議論を重ね、

スポーツひのまるキッズ事務局は高性能のエンジンを積んだトラック。でも、どんなに高性能でもガソリンがなければそれを回すことはできず、多くの荷物を積むことも、遠くへ行くこともできない。その部分をハラプレックスの営業マンがしっかりサポートして協賛を獲得、スポーツひのまるキッズを日本一のイベントと育て上げる。

という固い決意で組んだこのタッグ。

ガンガンいきますので、皆様の変わらぬご支援のほど、心の底からお願いいたします。

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10年間見守ってくれた東京タワーのように、何があってもそこにある!という存在を目指して、スポーツ界の基盤をしっかり支えていきます!!

いまから、ここから、さあて、ワクワク大爆発!やりきります!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その245:卒業~10周年ありがとうございました③))

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昨日の土曜日。我が母校・中央大学柔道部の歓送迎会が行われました。

ちょうど、その前日から弊社10周年を記念して研修旅行に行っており、一人戻ってきてOB会に出席。そのすぐ後の歓送迎会でした。

10年の節目で事業改革を試み、何とか新オフィスも片付いてからのスタッフとの初めての旅行(実は創業少し前に行ったのですが、正式には初めて)で、かなり舞い上がって楽しんでしまい、その感動覚めやまぬまま臨んだ会でした。

今回は、例年以上に学生が盛り上がり、次男が卒業生、三男が新入生という最高のシチュエーションで参加した親友夫婦と、苦笑いをしながら会は進行。

OBの参加者の数が少なかったものの、何か自分自身の事業のことと重なって、感極まる自分がいました。

閉会後も余韻を楽しむ彼らと、最後に撮った一枚の写真

尊敬する矢嶋監督、同世代のご父兄の皆さん(ちょっと下かな?)の顔も満面の笑み。後輩たちのはちきれんばかりの力強い表情に、この後輩たちがいる限り、背中を見せ続ける気力を持ち続けることができるかもしれないという気持ちで会場を出ました。

そして、今日、朝から出社し、もう10周年の余韻に浸るのはやめよう。これからの10年、本当に己の限界に挑戦するためにも、一日一日を悔いなく過ごそう!健康にも人一倍留意し、大切な人もしっかり守っていかないと・・と一人デスクに向かっていると、「コンコン」とノック。

『こんにちは!電気がついていたので早くお届けしたほうが良いかと思って!』

と宅急便のお兄ちゃんが運んできたのが、数カ月前、福岡で前述の親友が『ちょっと付き合って』といって連れてきてくれたギャラリーで一目ぼれした一枚の絵でした。

オフィス移転後にと、発送を待ってもらっていたこの作品。

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厳重に梱包された段ボールから取り出して真っ先に目に飛び込んできた言葉。

負けてもいい くじけるな

負けてもいい にげるま

負けてもいい あきらめるな

負けてもいい あるきだせ

もちろん、デスクの真正面のいつでも目に入るところに『青春の詩』と共に飾らせていただきました。

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負けたくない、負けるもんか、こんちくしょ~ って必死に生きてきたこの人生。

負けてもいいんだ、大切なのはその後なんだ、って、今度、後輩と酒を酌み交わしたいと思います。

いまから、ここから、さあ、卒業です。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その244:門出の日~10周年ありがとうござました②)

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今から10年前の本日。

株式会社ジャパンスポーツコミッションは、東京都港区芝にて産声を上げました。

実際には、社員のほとんどが3月末の前所属会社イベント業務のため残り、この事務所でのスタートは4月3日でしたが、先に退任して1カ月間探しまくってやっと見つけた事務所だっただけに、10年前に登録をしたこの日、安堵の気持ちでもう一人の役員と乾杯したことを忘れることはできません。

この10年間・・・。

役員2人以外は、全員、古巣からのスタッフ総勢14名。身の丈以上の所帯となってした上に、いきなり大きな裏切りにあい、まさにゼロからのスタートとなった第1期

父親、経理担当者の相次ぐ死という不幸の中、多事業を犠牲にして『スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会』を立ち上げた第2期

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東京都の『中小企業経営革新計画事業』として認めていただいたものの、いきなり8大会開催という無謀な拡大のため、営業というよりも資金ショート補填に奔走しまくっていた第3期

未曽有の大震災の僅か3か月後に『東北復興支援』として第2回東北大会を位置づけ、それ以降の継続の原点となった第4期

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http://www.japan-sc.co.jp/news/20110624.html

スポーツひのまるキッズ柔道大会を愚直に進めるも、苦しい経営状態は続き、社員は激減、公私ともにどん底だった第5期、6期は本当に多くのものを失いました。

ただ、ひのまるキッズ自体は一般社団法人スポーツひのまるキッズ協会が主催。理念の象徴となる『ひのまるキッズ六訓』をしっかり掲げられるようになった第7期、さらに8期から、これまでとは違った周囲の反応を感じることが多くなり、

ひのまるキッズ六訓

月刊バスケットボールとコラボした『月刊バスケットカップ』やプレ大会の『ソフトテニス親子大会』を始めるきっかけとなった勉強会参加の第9期と展開しました。

http://www.japan-sc.co.jp/news/pdf/20161128.pdf

そして、柔道、バスケット、ソフトテニス、自転車と4競技11会場で『ひのまるキッズ六訓』の理念ベースのイベント開催を踏み出した第10期が今年の2月末に終了。

冒頭の写真は、創業以来苦楽を共にできた3人(厳密には一人は出戻りですが、気持ちはつながっていましたので(笑))。始まりと総業10年の節目を共に迎えた同志です。

もちろん、今の弊社があるのはこの3名を含む現社員、そして、その時、その瞬間を全力で人生をかけて事業に取り組んできてくれた方々のお陰です。

心の底から感謝の気持ちで一杯です。

ありがとうございます。

3月18日。

誕生、始まり、別れ、様々な思いが詰まったこの記念すべき日。

ただ、これだけは言えます。

2018年3月18日は本当に幸せな気持ちでお参りすることができました。

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ありがとうございます。

そして、次への第一歩。

スポーツひのまるキッズは、4月1日からいろんな意味で、新天地でのスタートとなります。それに関しては、もうすぐ詳細発表させていただきますのでお楽しみに!!

いまから、ここから! 次の10年。最後の盡巳です。

永瀬義規