いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その473;優先順位を考える~あとでやろうは、バカ野郎~)

いいからやれ、黙ってやれ、すぐやれ!

もう20年前のことだと思います。

12年ぶりにいわゆる“鳴り物入り”で古巣に戻った時、
就任のあいさつで『顔も名前も知ってはいるけど・・・、いったいこいつは何を言うのだろうか・・』と不安そうに見守るスタッフたちに向かって一番最初に放った言葉がこれでした。

もちろん、今、いきなりこんなことを言ったら問題になるとは思いますが、当時、会社から、それまでの気質、文化を一新する改革と高い目標達成という二大ミッションを与えられて、最短、最速でそれをやり切るために絞りに絞り出した言葉がこれでした。

実際、自分自身も鬼のように働き、“とにかく即行動”を心がけました。

スタッフも一部の人間以外は本当によくやってくれたこともあり、設定した目標は2年でクリア。そのあと2年くらいは右肩上がりでしたが、その一部の人間たちに足元をすくわれ構築した組織は崩壊してしまいました。

原因は一つ。

スタミナ切れ・・。完璧を求めすぎたのかもしれません。
仕事の意図と、事業の意義を共有していなかったからというのもありました。

その後、13人の仲間と独立し、もうすぐ15年。

スタッフはぐるっと入れ替わってしまいましたが、最近になって何とか自分たちの事業の意義、ブランディングの再確認もできてきたかなぁ・・と思っている矢先に大病。

なんとかだましだましやってはいるものの、正直、寄る年波かもしれませんが、とにかくモチベーションが上がらず、日々、気持ちは焦る一方・・・。

そんな中で、週一の新人面談で彼らから相談を受けました。それが、

優先順位のつけ方

自分なりのレクチャー内容を要約すると、

やることを俯瞰で見て、まずは一週間のTO DOを書き出し誰かにバトンを渡さなければならないことか、自分自身で完結できることかを念頭に置きながら

重要か、
緊急か、

の物差しを当てて順番をつけていく、
そうするとパターンは限られる

重要で緊急
重要だけど緊急ではない
重要ではないけど緊急
重要でも緊急でもない

君たちの場合はまだ指示をうけることが主なので、オーダーをしてきた上司に自分で上記の物差しを使って決めた順番に対し意見をもらって確認ができたらGO!

という感じですが、

その時に大事なのは必ず期日を設定すること。
そして、それに向けて業務をこなす。
さらに最も大事なのは、

とにかくその期日までに完了させることに集中すること。完璧ではなく、完了。

と深堀していくと
ん?
完璧でなくて完了?
しばし、キョトンとしている新人たち。

そこで、

学校のテストと一緒だよ。始まって、難しい問題に直面した時、その問題の正解が出るまで考えていたら時間はあっという間に過ぎてしまうよね。終了のベルが鳴った時、最後までできていなかった時、先生に「先生、まだ終わってません。完璧に答えがでるまで時間をください』と言ってもそれはなかなか受け付けられないよね。

だから難問は飛ばしてわかる問題から解くでしょう。大事なのは与えられた時間内にまずは完了させること。とにかく手あたり次第一生懸命問題を解く。時間一杯、時には油汗を流して・・。

仕事も一緒。時間をかけて自分の納得がいくまでそれに取り組めるのならいいけど、世の中、そうはいかない。

次から次に押し寄せてくるのが仕事だよね。そして、その都度、最高のパフォーマンスを求められるのも仕事。もちろん、完璧にできるのに越したことはない、でも、それは与えられた時間内で・・という条件が付いているのはわかるよね??

あとでやろうは、バカ野郎

数年前、ひのまるキッズの大会会場でご父兄がお揃いで着ていたTシャツに書いてあったこの言葉に感銘を受けて良く使っています。

これは、
「今、しっかりと稽古をしないなら、いつすんだ!」
という意味合いだと思いますが、仕事に当てはめると、

期日を決めて、できることからサクサクとこなす。今できることを後回しにしてしまったら、時間をかけなければならないことに対応するときには期日はきてしまう、ということになるのではないでしょうか? 

期日を決め、できることから始めていき、業務完了を実現させる。

20年前のあの日、そうやって切り出せば良かったのかもしれませんね(苦笑)

勉強、勉強!!!

あっ!! 冒頭の写真。彼らに言い忘れたこと・・。

物事に愚直か、狡猾かが、永瀬のものさし


今度、言おうと思っています(笑)

いまから、ここから、さあ、次いってみよう!!

永瀬義規






いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その472;再会~続く絆)

第14回スポーツひのまるキッズ関東小学生柔道大会は、全国1都1府17県より、648組の親子がエントリー。
様々な感動があり、あっという間の一日となりました。

前回の北信越大会で

ひのまるキッズは次のフェーズにきている

とお伝えしましたが、

今回の関東大会ではさらにまたそれを強烈に感じられるシーン満載でした。

それが、タイトルにある『再会』です。

その一部をご紹介すると・・・

いまから22年前に開催されたシドニーオリンピック。

4人の金メダリストから二名が会場に・・・。

一人は、特別講師として指導、表彰式プレゼンターなど大活躍だった
野村忠宏さん

そしてもう一人は、親としてしっかりと親席より我が子のアテンドをした
井上康生さん

シドニーではプレスアタッシェとしてお二人のメダルへの道を一番近いところで見守っていましたが、今回は、それぞれの立場でお二人にしっかりと見守っていただきました。

子どものアテンドをいうと、昨年、東京五輪で日本武道館の責任者として仕事を分かち合った同志もひのまるキッズに参加していただきました。
山田利彦さん

初めて来ました♪

と近寄ってこられたので

遅いよ!!

とおもっわず言っていただきましたが、お子さんがメダルと手にし、翌朝、その姿を報告してくださったメールには親の愛情が溢れまくりで、思わずウルっときてしまいました。

さらに、保護者の部に出場した
今井吾郎さん

大学コーチ時代の学生で、現在は指導者としてひのまるキッズの会場で顔を合わせていましたが、見事な一本勝ちを収めた表彰式では思わずあの時に戻ってしまい頭をパチッとしてしまいました(笑)

あとで『指導者に失礼💦』と連絡したら

「いやあ、嬉しかったです!」

と言ってくれたので安心しましたが・・・。

そして、最後に、この人(冒頭の写真)
木原慧登くん

言わずとしれた『ミスターひのまるキッズ』の一人。
ひのまるキッズで前人未到の6年連続優勝を果たして、その後は全中優勝、さらに高校インターハイでは2連覇を果たし、来年は男子では初のインターハイ3年連続優勝を狙う逸材

幼いことから今に至るまで、どこでも私を見つけると一番に走ってきて挨拶をしてくれる彼に、大会終了後の『係員表彰』で東海大学相模高校の代表として表彰状を渡し、グーパンチをしたとき。
いつもと変わらずキラキラな瞳は変わらず、ここでも思わずウルっときてしまいまいました。

その他、ここでは紹介しきれないほどの『再会』があった今大会。

これから、続ける限り、いや続けたからこそ、この新しい楽しみが生まれたと本当に楽しみで仕方がありません。

間違いなく、次のフェーズですね。

この場をお借りして、これかで支えてくださった、続けさせていただいた皆様に心から感謝申し上げます。

いまから、ここから、次の再会は誰か? 楽しみ、楽しみ!!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その471;素晴らしき北陸の伝道師たち。いざ、次のフェーズへ)

『今年のひのまるキッズを見てつくづく思いました。
いよいよ、次のフェーズに来ているな!と』

北信越大会史上最大級の規模で成功裏に終了した
第13回スポーツひのまるキッズ北信越小学生柔道大会

大会翌日に、プロジェクトリーダーの吉原と恒例のあいさつ回り。一番最初に訪れた塩谷建設・塩谷社長が開口一番に発したのが冒頭の言葉でした。

フェーズとは・・

段階、局面、側面、様相、位相、相、段階的に行う、などの意味を持つ英単語。 日本語の外来語としては、現象や活動、計画、事業などを時系列や状態の変化に応じて区切った段階、局面という意味で用いられることが多い。

会話中は、自分はわかっているつもりで、吉原が大学柔道部先輩で今や飛ぶ鳥を落とす勢いである経営者の言葉をどう受け取っているのか・・その表情を読むことに集中していました。

ただ、そこから十数件回っている際、車中で彼にその意味を諭している中、本当に自分が話していることが、塩谷社長が感じられたことなのだろうか・・・、と不安になり、正直、それは今も心の底で引っかかっています。

お陰様で来年、ジャパンスポーツコミッションを創業し15年目を迎えます。

会社創立2年目からスタートしたスポーツひのまるキッズ。

当社は『スポーツひのまるキッズプロジェクト』として立ち上がり、その後、一般社団法人スポーツひのまるキッズ協会として軸足を変えたのがいまから9年前。来年で10年になります。

その当時

ひのまるキッズセカンドステージ

とここでも事あるごとに連呼していたように覚えています。

そして、4年前、事業体で変化があり、ステージ的にはサードを迎えたと言えたかもしれませんが、その実感はないままで時が過ぎ、コロナ禍に苦しんだこの数年はひたすら我武者羅に前に進み今に至っています。

ただ、今日、これを書くにあたってよくよく考えてみると、なるほど、次のステージに踏み込んだかも・・・と思えてきました。

それが、今回の北信越大会です。

『永瀬さんにとって、ひのまるキッズが形になったと思われるのはどうなった時ですか?』 

これまで、様々なインタビュー等でこう聞かれると、いつも

『それは、永瀬がいなくなっても微動だにしなくなった時です』 

と答えていました。

今回、柔道競技の部分は、富山県柔道連盟の先生方と吉原でしっかり回していただきました。

イベントにしても、青井講師を中心に子供たちの『夢』を叶える素晴らしい指導が展開され、新たに企画された『標語コンクール』にしてみれば、企画・運営・表彰まで私は一切からんでいませんでした。

開会式では、橘川名誉会長、夏野市長のごあいさつ(冒頭の写真)でひのまるキッズの主旨が全て網羅され、夏野市長に至ってはひのまるキッズ六訓を全て暗唱され、参加者の心にしっかりと運んでくださいました。

さらに、協賛集め・・ですが、これも塩谷社長の同期で若き経営者である北陸ポートサービス・加治社長たちに自ら県内の企業にお声がけいただき、私はセールスシートを持参するだけという形になりつつあります。

行政、柔道連盟、企業と共に、

スポーツで
親子の絆を深め
子と夢をつなげる

テーマパーク創り。

13年で得た宝物です。

そして、ここがやっとスタート地点。

地固めはできました。あとはここからどうより高くジャンプするか!

北信越大会の次のフェーズはここにあると思っています。ご期待ください。

いまから、ここから、頼もしい北陸の伝道師たちと共に!!
感謝!!

永瀬義規


いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その470;重要ミッション)

昨日、出張合間のお休みを使って家族でお墓参りに行ってきました。翌日(つまり今日)が亡き父の14回目の命日でした。

品川でランチミーティングを終了させて、品川駅から高田馬場経由で花小金井駅まで行き、そこからサイクリングロードを15分くらい。

てくてくと歩いていき、隣接している『小平ふるさと村』で暫し休憩。

そこに移設されてあった『旧小平小川郵便局』を見ながら、幼少期の古き思い出に浸ってしまいました。


http://kodaira-furusatomura.jp/detail/f00004.html

当時、小学1.2年生の私には、日々の永瀬家重要ミッションがありました。

それは、

家業であった弁当卸売製造業の売り上げ(の一部)を近くの郵便局で預金するということ。

様々な理由から脱サラをし、長屋の台所を改築し、朝の2時から深夜12時までひたすらお弁当、お惣菜を作り、地元のスーパーや病院に卸していた両親。

二人が一仕事終えて昼寝(夕寝)させるためにかって出た一大ミッション。
記憶は定かではありませんが、確か、4~6万円を月曜日から金曜日まで毎日、毎日、雨の日も風の日もそれこそてくてく歩いて通ったものでした。

4年生に上がる前にお店を持つことになり引っ越しするまで、どんなことがあろうがそれを続けなければならないと強く思い歩いたことは今も鮮明に覚えています。

そして、今、小平ふるさと村の外にある郵便ポスト。

当時、実は一人で心細く、歩く先にこれを見つけたときの安堵感も脳裏に焼き付いています。

久しぶりの再会の時、

おい、久しぶりだね

すっかり大人になって(笑)

相変わらず、親孝行頑張っているかい

あの時、真っ赤ででっかい頼もしい目印が、今ではすっかり色あせて、こじん まりとしながらも、ゆっくりと語りかけてきたように感じました・・。

お陰様で先日、還暦を迎えることができました。

あの、お金が入った封筒と通帳を入れたバックを斜めかけにして黙々と歩いていた時から半世紀以上過ぎました。

この60年。

振り返ればジェットコースターのような人生。たくさんの人に助けられ、多くの人にご迷惑をかけ、自分のやりたいことを自分なりに精一杯やってこれたと本当に感謝しかありません。

60,70は働き盛り(はなたれ小僧という人もいますが・・・(笑))

71歳で亡くなった父は、その働き盛りをどう過ごしたのだろうか? 

振り返ると父が60歳の時、私は35歳。
アメリカから帰国し、幕張世界柔道を任され、アトランタ五輪の広報担当に選ばれ、まさに調子に乗りまくり。
家族のことも顧みずただひたすら仕事に没頭(していたつもり)し、規模は縮小したものの、当時も続いていたお弁当屋さんで母と二人でひたすら同じ生活を繰り返す父親に「もう仕事しなくていいでしょう」などと言っていたような気がします。

それから、11年後。亡くなる直前までお店を守り続けた父。

彼の10年間は、なに盛りだったのだろうか・・・。

その8年後に母も他界し、そのことを聞く術もありませんが、二人の子どもを育て上げるために働いて、働いて、働き尽くしたと言っても過言ではありません。

お墓参りを終え、先ほどの返事をと思い郵便ポストを再び訪れました。

はい、元気です

お陰様で両親と同じく、夫婦共稼ぎです。

親孝行はもうできませんが、働き盛りの10年間。仲間と気張って後から来るもののために道なき道を突き進みますので、見守ってください。

さて、10年後

なんて報告ができるか・・・。掲げたミッションはコンプリート出来るのか否か

いまから、ここから、みなさん、お楽しみに!!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その469;頑張ると気張る)

昨日、今日で開催された全日本学生柔道体重別選手権大会。

私はこの大会が大好きで、いつもワクワクしてます。

体重無差別の全日本学生優勝大会では、軽中量級主体のメンバーでベスト8の成績しか残せませんでしたが、我々の時代にこれがあったら、必ず旋風は巻き起こせる(残念ながら階級的に私は入る余地はありませんが💦)と同期の青井といつも後輩たちの試合を見守っています。

基本、柔道は個人競技。

団体戦はみんなで勝ち取るものです。

自分だけ頑張ってもいい結果を生むわけではなく、時には引き分けに持ち込まなければならないこともあります。

体重無差別の優勝大会で体力的に不利な選手が、(上位にいけばいくほど)積極的に引き分けに持ち込めるほど甘くないですが、同階級ならその難易度は下がります。

もちろん、その一戦に己を尽くし、全力で相手を投げることのみに集中することはできませんが、チームの勝ち負けを仲間に託し、みんなで一緒に最終目標を達成することはできます。

ここは踏ん張るから頼む!

よし、後は任せておけ!

といった状況を仲間と共有できたらどんなに忘れられない思い出となるか・・と思ってしまうんです(もちろん、現役時代にそこまで余裕を持って試合ができたかはわかりませんが・・)。

さて・・、

今朝目が覚めて、とてつもなく二つの言葉の意味の違いが引っかかり、昔、そのことをとても分かりやすく説明してくれた『虎の会』の友人にラインをしてしまいました。

結果的には、私の勘違いで、説明してくれた友人は人違いでしたが、私の中では

人の評価を得るために打ち込むことが『頑張る』

自分が納得するために打ち込むことが『気張る』

という結論で大会会場に向かいました。

でも、どうも気になって道中、グーグル先生で調べてみるとこんな答えが出ていました。

『頑張る』とは、『我を張る』こと。独りよがりのこと。
『気張る』は、『周りを気遣って張り切る』こと。

京都の『おきばりやす』の解釈も添えられ説明がありましたが、

周りの人に気を使って張り切ることが『気張る』こと。


人は一人でできることには限りがあります。
周りの人を巻き込んで、同じ目標を掲げ、一つになって突き進む・・、それは世の中で生きていくのに、特に我々の仕事では最も必要なことです。

目の前でチームの勝利を目指して必死に戦う後輩たちの背中を見ながら、「こいつら気張ってるなぁ」とうらやましく思い、そこに我々が介入、ましては、勝ち負けで何かいう筋合いではないと改めて思いました。

言えるのは一言

ごくろうさま。

ですね。

ちなみに、火曜日から4日間、山口に出張。いつも通り、10社以上の協賛営業で400キロ以上車で走り回ります。

でも、ここに至るまで

各社ごとのセールスシートを作って宿泊先に会社ごとに分けて送ってくれる仲間

交通手配や、アポイントメントを取ってくれる仲間、

の支えがあってこそ、自分がやるべきことに集中できます。

まさに、みんなの気張りの集大成!!
協賛が決まったら、もちろん、

『おかげさま』とみんなでガッツポーズです(笑)

いまから、ここから、さあて、気張ってきます!!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その468:『子と夢をつなげる』ことへのこだわり)

我々の世代であの衝撃を覚えていない人はいません!

先日の全日本学生柔道体重別会場で旭化成柔道部の吉田優也監督と、まるで昨日のことのように盛り上がった話題・・。

近代柔道杯創設の話から、国際化の話になった時に吉田監督から出た第一声が冒頭の言葉でした。


今から18年前、2004年の近代柔道杯。参加した中学生たちの注目を一身に浴びていたのがフランス代表の中でひときわ目立ったいたデディ・リネール。もちろん、当時はまさか彼が世界柔道の歴史に数多くの金字塔を打ち立てて、フランス柔道界のスーパースターになると想像していた人間はいなく、ただただ、2メートル近い彼の大きさに、その年の中学チャンピオン・吉田監督を初め参加者の全てにとてつもないインパクトを与えました。

おい、知ってる?
俺(私)は、中学の時に柔道やっていて、全国大会でリネールと同じ畳に上がっていたんだよ!

参加者が、 柔道を続けていなくても、
高校、大学、そして社会人になって 、さらには親となって、胸を張って話ができるステージ創り・・。

そうなるであろうことを信じ、愚直に大会を開催し、拡大していったときのことが頭の中を走馬灯のように蘇ってきました。

そして・・
6年前に社内で

『柔道以外のひのまるキッズを!』

となった時に、バスケットの話となり、チーム競技で親子の絆を深めるというコンセプトだけで我々の想いを表現することは難しい、でも、このやり方なら子供たちと夢をつなげることになるのでは・・・

と意見がまとまり、前職ではライバル会社の日本文化出版に話を持ち掛け、意気投合したのが、

月バスカップU-15

でした。

コロナ禍でやむを得ず中止となった2年を経て、今年の8月に満を持しての開催。先週、手元に届いたのが巻頭の月刊バスケットボール11月号でした。

誌面では、同時期に開催された全中と負けず劣らずのページ量。前号で参加メンバーリストも掲載していただいていることもあり、まさに、子どもたちの夢がかなう瞬間を目の当たりにした感動で何度も何度も読み返し、会う人、会う人に掲載ページを開いて見せまくっていました(笑)

参加者がこの雑誌(それも八村&カリー表紙の)を手に、当時の思い出を語ってくれるのはもう少し先かもしれません。

でも、その時は必ず来るという確信はあり、そうなった時にもっともっとたくさんの思い出を残すための努力を怠ってはいけないとスタッフ一同気を引き締め直しています。

いまから、ここから、夢はみるものではなく、かなえるもの。そのステージ創りが我々のお仕事です。

永瀬義規

P.S ちなみに、昨年の東京2020でリネールさんに近代柔道杯のことを覚えているか聞く機会がありました。
答えは、もちろん、
of course. I will never forget!
でした!!



いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その467:ありがとう、燃える闘魂)

10月1日。

『燃える闘魂』アントニオ猪木さんご逝去。

個人的には空港で2度ほどお見掛けし、そのうちの一回はご一緒させていただいた方が猪木さんと親しい関係でご紹介を受け、当時、全柔連広報担当としてバタバタしている私に『スポーツはいいよね。頑張って続けてください』とお声をかけていただいたことが自慢の一つでした。

そして、その数日あとに猪木さんの引退興行をテレビで見て、彼が最後にファンの皆さんに残した言葉に非常に感銘を受けたことは昨日のように覚えています。

訃報のニュースを聞いて見上げた武道館の日章旗を見ながら、その言霊が蘇りました。

この道をいけばどうなるものか、
危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその道が一足の道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ

人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていく・・・。

闘魂~闘いを通じて己の魂を研き、己に打ち勝つこと~

命の限りこれを全うした猪木さんのご冥福を心からお祈りいたします。

合掌。

いまから、ここから、負けず歩み、挑み続けます。

永瀬義規

いまから、ここから。ひのまる社長の独り言(その466;ありがとう、ガラケー!)

ひと月早いけど・・・。

リハビリで顔を一生懸命ゴシゴシとマッサージしてる私にパートナーが差し出したのが、

iPadミニ

昨日、20年間三台にわたって使い続けたガラケーとお別れを告げて、手にしたiphoneに続いてのビッグなプレゼント。

そこには、

体が資本!
50代最後の病気はそれを教えてくれたと思いますよ・・。

と書かれていました。

以前、ここでも紹介しました、故・渋沢栄一氏が残した

言葉の通り、

まもなく幕が明ける
働き盛りの20年を迎えるにあたり、
古いもの、これまでの固定観念はサクッと切り捨て、

勇気を持って
誰よりも先に
人と違うことをする

ために、

急進歩のデジタル時代に真っ向勝負していきます!まずはこの機器で(笑)!!!

いまから、ここから、ありがとうガラケー!!! ありがとう家族!!!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その465:創立9年!みなさん、ありがとうございます!)

本日。

一般社団法人スポーツひのまるキッズ協会はお陰様で設立9周年を迎えることができました。

思い起こすこと10年前。

当時、それまでジャパンスポーツコミッションとして立ち上げた
『スポーツひのまるキッズプロジェクト』も5年を迎えるにあたって、もっと公共性のある組織にするには・・

と様々な方に相談し、


2013年9月18日。
設立に至った経緯を今でも忘れられません。

そして、

来年で10年の節目を迎えるにあたって、
これから後に続くものたちにどうつなげていくか・・・

我々の行動規範である

勇気を持って
誰よりも先に
人と違うことをする

をブレることなく、

スポーツで
親子の絆を深め
子と夢をつなげる

テーマパーク創りにスタッフと共に愚直に取り組んでいこうと思っています。

いまから、ここから、皆さん、今後ともよろしくお願い申し上げます!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その464:休憩中)

28歳の時、会社を退職するとき、一番気にかかっていたのが、

果たして俺が辞めて後に残ったスタッフで近代柔道は発行されるのだろうか・・

でした。

でも、そんな心配は(当たり前ですが)全くの無駄で、翌月にはしっかりと雑誌は本屋に並んでいました。

そう、当たり前のように世の中は動いているんです。

最初の東京オリンピック招致メンバーにお声かけいただいた時、

オリンピックは俺がいなくたってなんの問題もない、でも俺の事業は俺が一秒でもいなくなったら成り立たない

と言ってお断りしました。

たしかに立ち上げのあの当時はそうだったかもしれません。でも、実際、昨年のTOKYO2020で2か月足らずお手伝いをさせていただいている間、スタッフがしっかりと会社を守ってくれていました。

誰が何しようと、世の中は動いている。

必要とされれば、その時に最大限のパフォーマンスを出せばいい。

って、久しぶりに空を見上げ、雲をゆ~っくり眺めて思っています。

盡己

人生を全うするときに、「俺の人生、まんざらでもなかったな!」って究極の自己満足感を得るためにも、まずは健康第一!!

いまから、ここから、少し休みます。