いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その72:雨のち、晴れ…のスッテンコロリン)

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先日、立て続けに出ていたため、クリーニング店にたまった洗濯物をピックアップしたときのことです。

その日も出張帰りでキャリーバックを片手、仕上がった洗濯物をもうひとつの手に持ち、帰路についていました。

そして、まもなくマンションの入り口にさしかかるという手前で雨のため濡れていたアスファルトに滑ってスッテンコロリン。

見事に、引っくり返ってしまったのです。

当然、受身をとった(笑)ため、ケガはなかったのですが、起き上がって歩き始めたらどうしてかわからず涙がこぼれ出してきました…( ̄^ ̄)

毎日、毎日、、充実した日々を送っているつもりでしたので、自分自身、その涙の意味がわからず、今度は、泣きながら大笑いし出しました。

幸いに遅い時間でしたので、スッテンコロリンの時には人とは遭遇しなかったから良かったのですが、
もし、この一部始終を見ていた人がいたら、身体のデカイ50男の訳のわからない行動へのリアクションに困ったことだろう…と思ったら、おかしくてたまらなくなったのです。

よく、テレビドラマとかで、主人公の女の子が『はーあ、泣いたらスッキリした』みたいなシーンは見ますが、まさか、自分がそんな経験をするとは夢にも思いませんでした。

いまだに、涙の訳は定かではありませんが、スッキリしたことは確かです(^-^)v

いまから、ここから、さあて、そろそろ次に行きますか!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その71:誰の為に鐘はなる)

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縁あって、何十年かぶりでハウステンポスに来ました。

本当に大分前のことなので、全くといっていいほど前回の訪問は覚えてませんでした…。

と言うか、言い換えれば、あまりインパクトのないテーマパークとしか印象がなかったというのが
正直なところでした。

では、何故、今一度行きたかったかというと、理由はひとつ、

18年間赤字続きのここの経営を一年間で黒字転換させた澤田社長の実績を体で直に感じたい、という一念からでした。

結果は、

想像以上に大満足でした。

エンタメ系テーマパークのプロではないので、どこがどうと気づいたことは、自分の肥やしにさせていただくとして、
ただ正直、昨夜のイルミネーションと3Dプロジェクションマッピングを見ただけで『

来てよかった(笑)(^^)d!

となっちゃいました。

今朝、ショップ回りをして商売をされている人から話が聞けたり、実際に何度か訪れている友人からネガティブな
ご意見もいただき、確かにおっしゃる通り、と納得することもありましたが、少なくてもホテル、レストラン、
アトラクション会場で顔を合わせる来場者のみんなが満面の笑みを浮かべていたのは間違いない事実でした。

もちろん、本来なら、もっと時間をかけて検証が必要ですが、少なくても、今回わかったこと、それは

ここにいる全てのスタッフが誰の為に営業しているのか、誰の為に自分の仕事が存在しているのか。

を理解しているように見受けられたこと、でした。

結果が出てかtらの批判は簡単です。

でも、結果が出るまでの隙間のない努力が必要、その努力をするためのゴールをはっきりさせることが経営者の度量であり、
それを愚直に突き進める基本が

誰に、どう、喜んでもらうのか!

であることを見に感じることができた週末でした。

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いまから、ここから、ひのまるキッズの鐘は誰の為に鳴らすべきか…今こそ鼻血が出るほど考えてみようと
思っています。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その70:日々行ってこそ、真の実力は養われる!)

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私は休みません。だって、一日休んだら、元に戻るのに二日かかるって稲田先生に教えられています!!

14歳の時に福岡国際で彗星のごとく現れ、そのあとは王道まっしぐら!
日本の柔道界に数々の金字塔を打ち立てたYAWARA!ちゃんこと、谷(田村)亮子さん。

初対面は、雑誌・近代柔道編集長の時。記者の質問に真正面からその愛くるしい顔とは真逆な鋭い眼光でそう答えていた柔道娘とは、彼女が結婚するまでの長い間、記者として、その後全柔連さらにJOC広報として、本当に一緒にいる機会が多かった。

その彼女に教わったことは本当にたくさんありますが、その中で一番心に残っている言葉が冒頭の言葉です。

アトランタでまさかの決勝敗退をし、周りから『永瀬、絶対に田村の記者会見はするな!』と言われていたものの、別室で泣きじゃくる本人に『亮子、どうする。いやなら俺は身を呈しても記者会見はなしにする。でも、もし、お前が次を目指すのならここでしっかり話をすべきではないだろうか…』と提言したとき、

『やります』

と一言。

そして、数分後の記者会見では、きっぱりと『シドニーを目指す』と言い切った時には感動で涙が止まりませんでした。

彼女が念願の金メダルを手にしたシドニー五輪での仕事を最後に別の人生に進み、その接点が極端に減った私でしたが、その後のアテネ五輪で『ママでも金』と言った言葉に一ミリの疑いもなくその勝利を信じ、それを具現化した彼女の姿に改めて感動しました。

私の知っている限り、彼女は現役を引退するまでは、休まず、いや休んだら本当に倍の時間をかけて元のコンディションに戻す努力を惜しまなかったと思います。

礼儀礼節

いつも言っているように、ひのまるキッズは、当たり前のことを、当たり前のようにやる。

が、最大の目的です。

返事、あいさつをしっかりやり、常に相手のことを思いやる・・・。靴を揃える・・・。

もちろん、彼女は、その大お手本でした。

当時は、『さすがにそこまでの選手だから、そうなんだ』『彼女の立場、状況が彼女をそう仕上げたんだ』とも思っていましたが、今では、そうではないと断言できます。

当たり前のことを、毎日、毎日、休まず、当たり前にやっていたから、彼女は、谷(田村)亮子は、頂点に上り詰めたのだ!!と。

みなさん、今日からでも良いです。まずは、返事、あいさつ、を毎日欠かさずやってみて、もしくはやらせてみてください。

結果は必ず現れます。

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いまから、ここから、全ては己にかえってきます!!

P.S.いつもの写真(冒頭)ですみません(笑)

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その69:応援する側と応援される側、深い『絆』に必要なのは心底からの感謝の気持ち

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前回の独り言をアップしてから、一週間、ぶっ通しで出張に出て、今、帰宅しました。

毎日のFBでのアップで詳細はご報告していますとおり、今回も様々な感動をいただきました。

ただし、今回は正直、最近では一番反省が多く残った日々を過ごしました。

まずは、応援していただく立場として・・・

一つ一つは、私の心の中にがっつりと刻み込むとして、まず、応援していただく側、つまりご協賛をいただくための面談、アポイントメントに関しては、新規では、ものすごくいい出会いもありましたが、既存のクライアント、ビジネスパートナーに対してのフォローが全くなっていなく、これは本当に反省、反省、猛反省・・です。

これは、一言でいうと応援していただいている相手への感謝の気持ちが足りないということでした。

少しばかり、ひのまるキッズが世間で認められ始めたと言って、正直、傲慢になりかけている自分の愚かさが身にしみました。

これに関しては、もう一度、初心に戻ってそれぞれの方々に心の底から感謝の気持ちをもって接していこうと思っています。これは、ここで改めて約束します。

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そして、応援する立場としても、己の未熟さを目の当たりにした経験もさせていただきました。

本日、全日本学生体重別団体戦で、大変残念な負け方をした母校の後輩たちに対して、現場の指導者に対して全く何もできていない自分に茫然としてしまいました。

いくつか前の『独り言』でもつぶやき、反省したつもりでしたが、全くなっていませんでした。

泣きじゃくる者、ふてくされる者、放心状態の者・・・。

誰に対しても、当たり前のことを、偉そうなことを言っても自分自身はできているだろうか?

応援していただくときにも、するときにも、一番必要なのは信頼関係。

それを構築し『絆』としてもっと深く太くするには、誠意をもって臆することなく知ってもらう、知る、努力をとことんしなければならないのに、心の底から感謝の気持ちを持つことを、自分自身、周りのすべての人、いや、己に胸を張ってそれをやっているって言えるのだろうか???

答えは、まだまだ、まだまだ・・でした。

52歳になって一週間で、大外刈りで思いっきり頭から落とされたような経験をした一週間。

将来、このつぶやきを見て、

「おいおい、俺はなんとかできたじゃないか!!!」

と言えるように、明日、いや、今から前に進みます!

いまから、ここから、一に努力、二に努力、三、四がなくても五に努力です!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その68:51年と364日目の誓い)

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今日は、亡き父の7回忌の法要でした。

「心配するな。24日に退院するから。それよりお前の体は大丈夫か? 会社も大丈夫か? せっかくついてきてくれた社員を裏切ることが無いように、まずは自分の健康管理をしなければならいぞ・・」

2008年の10月18日。

それが、父親と交わした最後の言葉でした。

その5日後の23日早朝。大阪出張から戻った私に病院から様態急変の連絡があった時も『すみません。出張帰りで仕事が忙しいので夕方ではだめですか??』くらいの返事をするほど、まさか、退院予定日の前日に急死するとは思ってもいませんでした。

もしかしたら、本人のほうがしんどかったかもしれないのに、そんなそぶりも一切見せず。目の中に入れても痛くないかわいがりぶりだった孫の前で、鼻の下が伸びまくっていたのにもかかわらず、最後の言葉の時には、いつもに増して眼光鋭く、子供の時に『世界で一番怖い存在』だった絶対的存在がそこにはありました。

それから、いろいろなことがありました。いや、周りの人には『ありすぎだよ』って言われます(笑)

父親が亡くなった時私は45歳。自分が結婚したときの父親の年齢である51歳には、必ず会社の基盤を確実なものにして、銀婚式を迎える女房と両親と妹家族と旅行に行こう!って密かに思っていました。でも、父親も亡くなり、会社も自分の生活も瀕死の状態が続き、結局、その夢は日の目をみることはありませんでした・・。

ただ、今日、法要終わり実家で献杯を酌み交わした父の弟たち(非常に近い存在だったのでいまだにお兄ちゃんと呼んでいる)に、
『義規、いろいろあって大変だろう。でも、お前は大丈夫だよ。お前はあの兄貴が人生のすべてをかけて育て上げた男だからだよ…』
と言われ、父の葬式の夜のことを思い出しました。

突然の死に悲しむ暇もなく、ただただ最後くらいは男の花道を盛大に送り出してあげよう・・と、当時できることはやりつくしました。

幸か不幸か、会社を興したばかりで、かなり注目もされていたので献花もそのお寺でかつてないほどの本数が集まり、自分自身はなんとかやりきったような安堵な気持ちになっていました。そして、喪主としての最後の言葉を考えなければ。。という次のミッションに向かおうとしていました・・・。

と、その時、ある疑問で頭が一杯になりました。

以前、父親の若いころの写真を見せられ、親戚の人たちにもこういわれていました。「お前のお父さんは若いときはすごかった・・。いわゆる学生企業家で政治家の秘書をやり、芸能人との交流もあったんだよ・・」

確かに、その写真の父は、多分当時はバカ高いスポーツカーに乗り、ルックスもなにかも恰好よかったです・・一歩間違えると・・みたいな感じでもありましたが・・・。

では、なんでその父が弁当屋さんなどを初めて朝から晩まで働いていたのだろう・・・、そこに何があったのか、それまで真剣に聞いたことはありませんでした。友人の借金の保証人になって・・みたいなことを少し聞いていたので・・なんか聞きにくかったのです。

そこで、思い切って、父の弟たちに聞いてみました。

『なんで、お父さんはあんなに派手だったのに、弁当屋さんなんて初めて苦労を買うようなことをしたの??』

その時の返事は一生忘れません。

『バカだな、それは義規、お前が生まれたからだよ。お前を授かって、兄貴は一生かけてお前を立派に育てるためにその道を選んだんだよ。あと、俺たちも兄貴を慕って佐賀から出てきていたし・・。だから、兄貴の人生は25歳から今まで、子供の、兄弟の、家族のためにすべてを捧げた人生だったんだよ』

絶句でした。

あと数時間で52歳になります。

前述したように、私が結婚して、なんとかその責務を全うしたであろう親父の年齢・・それを越えることになります。

ある意味、子供のいない自分にとって一生、父親を越えることはできません。でも、これから死ぬまでの人生、私に脈々と流れている父親の血『絆』を感じながら、自分の夢を追いかけていこうと思っています。

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52歳、永瀬義規の新たなる門出とできるように、これまで以上に己を尽くしていきます!!

長文、読んでくれてありがとうございます!!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その67:未開の地、北海道。まさに、いまから、ここから、です)

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皆様のご要望にお答えして、やって来ました北海道!のはずでした…( ̄^ ̄)

実は、あの上野三姉妹を育て上げたゴッドマザー、上野先生のご招待で、女性柔道指導者キャンプにて講演の機会を与えていただき、旭川市の隣の深川市にやって来ました。

そして、集まっていただいた女性指導者、そして道場の先生方に90分間、みっちりひのまるキッズのPRをさせていただきました。

もちろん、わかってはいたことですが、お集まりの皆さんの中で、ひのまるキッズを知っている人は、

なんと、一名。

本当に、まだまだだと言うことを実感させられました。

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ただ、さすが少年柔道のメッカである北海道の指導者たち。長時間の話に緊張をと切らすことなく、終始私の言葉に食いついていただき、大きな手応えはありました。

かつて、30数年前にマルちゃん杯をこの地で始めたスタッフとして、大学を卒業したばかりの私にとってはじめてだらけで緊張していたことを思い出しています。

最近、ちょっと元気のなかった私でしたが、

ここまで知られていないことに、逆に新たなやる気でみなぎる自分に、なんかワクワクしています。

まさに、いまから、ここから!

やることは盛りたくさんです(^-^)v

さあて、まずは、台風直撃の真っ只中、明後日の帰京を乗りきらないと…(笑)

永瀬義規

いまから、ここからひのまる社長の独り言(その66;HEROの定義)

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珍しく邦画を見に行った。

イン☆ザ☆ヒーロー(IN THE HERO)

http://in-the-hero.com/

唐沢寿明さんが、スタントマンとして己の夢を追い求め、最後は表舞台で活躍する・・その舞台裏にはたくさんの『絆』があった・・。

みたいな内容でした。

正直、同年代の唐沢さんが,役者人生をかけて体つくり、役作りをしてかつて自らも経験のあるスーツアクターを愚直に演じまくるという前宣伝に、

最近、シャキッとしていない自分に活を入れようと軽い気持ちで映画館に足を運びました。

いつもは、どんなホラーでも、アクションでも必ず一回はカクッと落ちてしまう(眠りに)私が、一度もそんなことはなく、頭の中で役者さん一人ひとりのセリフがグヮングヮンと回っているうちに終焉を迎え、気が付くと、ボトボト涙が出ていました。

『挑戦はし続けないと、夢はかなわない』
『自分がやり遂げなかったら、後に続くものになんて言い訳すればいいんだ』

唐沢さん演じる主人公の言葉、一つ一つが今の自分に一直線に飛び込み、グサグサと突き刺さっていました。

そして、この主人公が夢をかなえるときに支えてくれる仲間、さらに、最後に駆けつける家族・・・。

まさに、一つの夢に向けて結ばれた『絆』の結晶が作品全体を大きく包み、すべての観客の心をとらえたのだと思います。

そして、私のやる気に火をつけたのが、主人公の絶え間ぬ努力。

朝のランニングはもちろん、家族と別居して24時間、365日、スーツアクターの演技に没頭しすべてをそれに捧げる・・・。

全く同じ状況に身を置いた自分は、ここまでやっているのだろうか・・・。

夢をかなえるために、『精力最善活用』をしているのだろうか・・。

自分の背中をしっかり見せて、『自他共栄』を自ら実践しているのだろうか・・。

HEROとは、人にとってあこがれであり、尊厳をもって自らを律し、それによって周りに感動を与える存在。

自らのヒーローを確立し、それに向かって絶え間ぬ努力をとことんやりつくす。

そして、みんなのHEROになるためには、その夢を達成することよりも、その生きざまを『絆』をもった周りに認めてもらうことが第一義なんだと・・。

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いまから、ここから、HEROに近づくためにもっともっと己を尽くして尽くしまくります!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その64:ある日、深夜のバーでの出来事)

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「先日、秘書が『うちの社長には参っちゃうよ。休みの日に仕事のメールが来るんだ。全く、ONとOFFの区別はっきりしてくれないと』と言ってるのを聞いてしまった。俺たちが若いころには平気で休みでもなんでも呼び出されたり、仕事の用事を言いつけられたり・・当たり前だったんだけど、そんなことをしては社員はいなくなっちゃうのかな・・」

この間、久しぶりにあった経営者友達が、散々飲んで最後にたどりついたバーのカウンターでつぶやきました。

すっかり酔いつぶれて、カウンターで寝てしまったその友達を見て、
平日の昼間は某ベンチャー企業の役員秘書をしているというバーテンダーの女性が、こう言いました。

「その秘書がどういうつもりで言ったかはわからないけど、私の会社でそんなことを思う社員は一人もいません。うちは三人から始めたITベンチャーで、今でこそなんとかもう少し上場まで来ましたが、立ち上げた最初の数年は休みはもちろん、給料だってまともに出たことはなかった。まして、休みの日に私用で連絡されたならまだしも、その上司(ましては社長)は、休み返上で仕事をしていて、その連絡ですよね・・。だったら、悪いけど土日しっかり休みがある公務員になって休日を楽しめばいい・・」

と、そうしたら隣にいたもう一人のバーテンダーさんが(女性)

「失礼なこと言わないでよ。私だって公務員だけど土日はほどんど仕事が入って出勤させられている。もちろん、有給消化がうるさいんで平日休みは強制的にとらされているけど、そんな時でも仕事が気になって仕方がない。あ、もちろん、このバイトは内緒で(笑)・・」

正直、幼いころから夜中の1時に帰宅して、朝5時には出ていく弁当仕出し屋業を営んでいた両親に育て上げられ、就職してもそれこそ365日、24時間稼働の編集者を経験し、これまでONとOFFの境目なんてありませんでした。

今日も日曜にもかかわらず出勤して、今もその合間にこのブログを書いています。

なので、バーテンダーさんたちの意見に『ごもっとも!よく言った!!』です(笑)

ただ、友人は何をそんなに怒っていたのだろうか・・。とふと思ったとき・・・、

たぶん、自分が仕事しているのに、休んでいる社員に腹を立てている・・・のではなく、

ましては我々の若いころ、または、前述のベンチャー企業に勤めるバーテンダーさんみたいに休むくらいならがむしゃらに働くという義務感や責任感をもとめている・・・

のでもなく、ただ、一言、いや言葉に出さなくても『本当にお疲れ様です』って思ってほしかったんじゃないのでしょうか??

でも、そんなふうに相手のことを思える関係。本当に『お疲れ様』と思える愛情、信頼・・・。

それは、やはり親子や夫婦、恋人同士以外には、共通の目標や目的をもつ同士でないといけません。無償の愛、でなければ、とことんお互いを分かり合うか、わかってもらうまで妥協してはならないでしょう。

それが、そのまま『絆』という言葉で表現でき、そんな『絆』の本数があればあるほど、さらなる『絆』の構築も可能になります。

いまから、ここから、一度しかない人生、あなたはこれから何本の『絆』を結べますか??

※写真と本文内容は直接は関係ありませんが、私にとって『絆』で結ばれている大切な親友たち(ビフォー・アフターです(笑))

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その63:継続は力なり~やり続けることの大変さとやりがいのバランスシート)

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スポーツひのまるキッズ東海小学生柔道大会は、なんとか無事に記念すべき第六回大会の幕を閉じました。

六年連続出場七名、復興支援企画で招待三組を含む参加者の熱き戦いに感動し、各所でみられる親子の絆に自分たちの
やっていることが間違っていないという確信も生まれつつあります。

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ただ、正直、全国八か所の中で、今やほかの地区に比べて「大きな赤字大会」となってしまったこの東海大会に対して、
この数週間、重大な決断をしなければならない状況にあったことも事実です。

協賛社の激減、参加者の減少、行政・自治体の非協力・・・。

本音を言うと、この名古屋という土地に対して、自分自身、ある種の思い込みから営業に関しいても足が遠のき、
自治体に対しても折衝は部下に任せ、協賛が取れないことも『すべては土地柄のせい』みたいなところがありました。

そして、足が遠のけば、遠のくほど(当たり前ですが)協賛収入減少の一途をたどり、自治体の参加は皆無になり、
唯一うまくいっている柔道連盟との関係にも影響がおよび、参加者減につながっていきました。

そんな中での、今大会。

皮肉にも・・

大会自体は、今までで一番効率よく、進行もスムーズに行われ、少ないながらも訪れた協賛企業の方々からもお褒めの言葉を
いただきました。

そして、何より、今期よりその任を任された柔道連盟新会長からは「この大会だけは、大切に守っていきたい」というありがたいお言葉も
いただき、新しく参加した講師からも再会を約束していただきました。

そして、何より、お手伝いいただいた役員、補助係員の学生たちの働きぶりにただただ感動し、終わってみると8大会中一番完成度の
大会となっていました。

その原因は・・、

それは、6年間継続したという実績、それがすべてだと心底痛感しました。

そして、それまで最高のパートナーにおんぶにだっこでいたことを気づいていたのにもかかわらず、あえて現状を直視せず、
何かにつけて、土地柄や苦手意識で逃げていた自分自身に、腹がたって腹が立って仕方がない気持ちを抑えきれずに大会終了し、
最後の片づけをしている学生たちの姿を茫然と見舞っている自分に対して、また腹が立っていました・・。

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『おい、まさかこんな大会だと思わなかった。来年はもっと協力させてもらうよ・』
『来年度は、もっと早い段階から動きましょう。私も喜んで協力しますよ』
『ちょっと待ってください。やめるのは止めてください。少なくてもあと一年、なんとか自分たちも絡ませてください・・』
『ここに、名刺と記事もあります。来週から私も同行しますので、いつ名古屋にこれますか…』

大会開催中、こんなにたくさんの人から声をかけられたことはありませんでしいた。

たしかにやり続けることは大変です。
でも、大変だからこそ、その先に明るい未来は少しずつ生まれ、それが積み上がれば上がるほど、その明るさは光度を増し続けます。

継続は力なり。

縁を絆にして、そこにたくさんの力を吸収していく。

今日の第6回スポーツひのまるキッズ東海小学生柔道大会。

セカンドステージを踏み出す力をたくさんの人に与えられた、忘れることのできない一ページとなりました。

いまから、ここから、もう逃げるのは止めます。 やり続けます!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その62;信用されるための努力を再確認した後輩からの苦言)

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永瀬さんのことは、信用できないと言っているので、彼の面倒は私が見ます・・・・。

昨日のFBに投稿し、たくさんの人に励ましの言葉をもらった内容ですが、改めてここで独り言。
自戒の念を込めた書き込みなので、読んでくださった方に不快な思いをさせたら不味いとは思いますが、勘弁してください。

また、何度も言うように、自戒の念を込めた独り言です。登場人物は全く悪くないのでご理解ください。

後輩の『彼』の就職の件でOB会の幹部から相談を受け、私の得意分野だったので、二つ返事でバックアップすることを引き受け、その『彼』と電話で何度か話をしました。正直、その『彼』のことはそんなによく知らなかったのですが、
それが、事業に忙殺され、母校になにも貢献していない自分ができる後輩たちへの最大限のことだと思ったからです。

何度か話を交わし、二人の約束事も決め、数日前、残念ながらその約束が果たせず連絡がなかった『彼』に、もう一度ゆっくり話をしようとメールをし、とりあえず“思い”の再確認、置かれている経済状況、今後の展望など話しました。

その時の会話は、正直、様々な経験を積んだ(と勝手に自分で思っていたかもしれません)自分にとって、『彼』の甘さに対して憤りを感じ、また、素晴らしい可能性を持った『彼』に対してもったいない・・という気持ちでいっぱいになって、かなり強引に話を進めていたような気がします。

どうして、俺の話を理解できないんだろう・・どうしたら信用してもらえるのだろう・・。

この言葉が頭の名からグルグルと回っていました。

そこで、まずは自分が今まで何をしてきたのか、その時、どう思ってそれがどう今の人生に影響を及ぼしているのか・・を延々と語りました。

そして、語り終わって、納得したと思い込んで電話を切り、心配してくれている先輩にも「『彼』はわかってくれたと思います。永瀬が全面的に面倒を見ますので任せてください」、と伝えました。もちろん、皆さん納得し、感謝してくれました。

いい気になってました・・。。

顛末は冒頭の通り、今までの生涯で、言われたこともないショッキングな言葉で幕は閉じました。

その話を聞いた先輩は怒り心頭、その間に入ったOBに「お前、『彼』の就職の面倒をお前が見るのは結構。だけど、永瀬のことを侮辱することは許さん!」と言って、そのOBに私に直接電話して説明するようにと言い、電話をもらいました。

正直、最初は、そのOBに対してなんで『彼』がそう言ってきたとき、「いや、永瀬は信用できるよ」と言ってくれなかったんだという気持ちから食って掛かってしまいましたが、よくよく考えてみるとその若いOBに対してもそんなに接点があったわけではなく、すべてが、自分が信用してもらうに値する人間ではないことが原因だったんだと恥ずかしい気持ちで一杯になりました。

人を信じるということには、いくつかの要因があります。

その中で、一番大事なのは時間を費やして、じっくりと構築するということ・・。

ひのまるキッズを初めてこの6年間、どんなにいいことでも、継続しなければ信用につながらなく、その継続が基盤となって内容を理解してもらい、『縁』が『絆』になっていく。継続は力なり・・・。継続すると、それが実績になるのと同時に信用につながる・・。

でも、一度結ばれた『絆』も常に思いやりをもって時間をかけてケアをしていかないと、『しがらみ』に代わっていき、最後は切れてしまう。

そんなことを、この6年間、人生かけてやってきたので、幸いにも、今回、時間をかけずにわかってもらおうと焦って自分のことばかり話をし、それが相手には自慢話にしか聞こえていないこともわからず、納得しなければ相手が悪い・・・、

などとは思わなくなった自分がここにいますが、
まだまだ、そんな行動をとってしまった自分に反省の一言しかありません。

家庭でも、会社でも、同じことが言えると思います。大反省です。もう一度やり直しです!!

いまから、ここから、一人でも多くの人の信用を得るため、しっかり時間をかけて正しいことを真っ向勝負で生きていこうと再確認しています!
長文にお付き合いいただき、感謝申し上げます。

永瀬義規