いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その51;青春の詩)

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先日、中大柔道OB会長である高宮先輩から電話があって、

「永瀬、お願いされていた額が上がってきたから贈呈してあげたいけど、ちょっと思いのほか
大きいから、お前の狭い一人暮らしのワンルームじゃとてもはいらないよ! 会社に持っていくよ」

とのこと、数日後、先輩自ら持参いただいた額の大きさに、迎えに出た社員の原君もビックリ・・、下から電話をしてきて、

「社長、これマジで会社に飾るんですか・・・」

「当たり前だろ。(原君も中大柔道部OB)高宮先輩がせっかく持って来てくださったのだから
さっさと運びなさい・・・」

と言いつつ、嫌な予感がしたので自らも下に降りていくと、会社のビルの玄関に入るかどうかというでっかい額を持った原君。

「おう、永瀬。まあ、社長室にでも飾ってくれよ(高宮先輩)」

はい、喜んで・・・と、

今、なんとか会社の中入口の前にドカンと置いてあります・・・(笑)

そもそも、これは中大の壮行式の時の会長あいさつで高宮先輩が引用した、サムエル・ウルフマンという詩人の『青春の詩』の一説を聞いて、先輩にお願いして、その全文をくださいと言ったのがきっかけで、まさかこんな立派な額に収まって、そして、先輩自らの書で寄贈してくださるとは感激の一言でした。

この詩は、二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていたもので、その後、松下幸之助氏などにより広く紹介されたものとのことだったが、正直、先日の先輩のスピーチで初めて知りました。

内容は・・・、

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青  春
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

というものです。

人は若くいる限り、その可能性は無限で、若さは信念、自身と共に育ち希望を生む。

若さとは年齢ではない、信念、自身をもって希望に向かって突き進む。その時が『青春』なんだ、とあらためて思いました。

いまから、ここから、わが人生、ただいま青春まっただ中です!!

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その50:当たり前のことを、当たり前にやる)

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この勝手なblog連載を始めて50回となった。

いつもいつも自分の好き勝手な話に耳(目か)をかしてくださり、「いいね!」を押していただき、本当に感謝しています。

いまから、ここから、ってひたすら己を尽くしていたこの一年。

まあ、今後もたぶん死ぬまでその生きざまは変わらないと思います。

ただ、ここに徒然なるままに、その思いを書き続けることで、なんとか壊れそうな心を引き戻し、折れそうな意思をぶれないように修正させてもらっていることは間違いありません。

そして、縁が絆になり、漫画のような奇跡を目の当たりにしたとき、本当に心のそこから物事に感謝し、人に対して「おかげさま」と素直に思える自分を以前の数倍も感じることに感謝したい。

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今日、トータル37回目のひのまるキッズを、ここ弘前で無事に終了することができました。

五回大会となった東北大会でも、様々な感動が生まれ、ぎっくり腰で最後の片付けができなかったこと以外は、
本当にやって良かったと今、感無量になっている。

以前にも書いたが、ひのまるキッズの参加選手のレベルが年々確実にアップした理由も確信を得てきたような気がする。

挨拶をする、靴を揃える、ゴミを拾う…、当たり前のことを、当たり前にやるというこの大会コンセプトを愚直に必死に貫く
親子に成長が無いわけがない。

その証明がひのまるキッズ参加者のレベル上昇につながり、見ている人に真っ向勝負で感動を与えて、絆がどんどんぶっとくなっていく。

この事を証明していける喜びがあれば、腰が引きちぎれようと、何があろうとついてきてくれるスタッフと共に前に進めると感謝しています。

いまから、ここから、当たり前のことを、当たり前にやり続ける限り、未来は必ず拓ける!

永瀬 義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その49:人の縁が絆になるとき思いは叶う)

最近常々思うんです。

全ては人の縁だと。

もちろん、人の縁は誰にでもある。

でも、その縁を生かすも殺すも、その人次第。

私の場合は、ひのまるキッズのお陰でその縁がどんどんひ広がって絆となり、
毎日がとても充実しています。

実は、人生で一番大切なものを失ってから、
とにかくがむしゃらに前に向かっているから神様がご褒美を与えてくれているんだ、
と思う反面、守るものが無くなったために半分やけになっていた自分もいます。

でも、もちろんいいことばかりではありませんが、
『正しいことをやっている限りは、お前のことをみすてないよ』

って神様が、人生最終コーナーに差し掛かったダメ社長に最後のチャンスを
与えてくれたんじゃないかと思える日々が続きます。

動機善なりや、私心なかりしか

自分を律し、もっともっとストイックに、いただいたご縁をしっかりとぶっとい絆に育て上げたいと思います。

いまから、ここから、全てのご縁に感謝し、太い絆にするためとことん己を尽くして尽くすのみ! 集中します!

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永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その48:おかげさん)

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子供の頃から厳格な父親に常に言われていたことがある。

『人のせいにしない、全ては自分の責任だ』

だから、ついこの前まで、いつも、

俺がやってやる、俺だからできる。

必ずできるまでやる。

って生きてきました。

でも、会社を興して、家も財産も、家族もほとんど失っちゃいましたが、ひのまるキッズという事業を
愚直に取り組んで、一つだけわかったことがあります。

人間は一人じゃ何もできない。

それに気づいたとき、

人のせい…ではなく、人のおかげ…って心底思えるようになっている自分がいました。

もちろん、責任は自分にあり、必ずできるまでやりきるという気持ちにブレはありません。

でも、やりきったとき、それはみんなのお陰で、おかげさんで、と感無量になりたいと思っています。

いまから、ここから、全ては輝く子供たちのために!

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その47:伝えることの難しさ)

今日は東京学生優勝大会でした。

FBにも書きましたが、母校・中大は準々決勝で優勝した東海大学に7-0の、それも
全試合一本負けという、たぶん柔道部始まって以来の最悪の結果を残してしまいました。

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負けた選手たちに、坂本監督を始め指導者が一人一人選手にコメントを残しました。

その中で、現在コーチを務めている矢嶋先輩の言葉がとても印象的でした・・・。

いいか、お前ら、今日は完敗だった。でも、内容はそんなに悪くはなかったぞ。ただし、
一つだけお前らに約束して欲しいことがある。

絶対に自分の力を『ここまでだ』とあきらめてしまわないでほしい。決めつけないでほしい。

お前らはまだまだ伸びる。

でもな、『ここで終わりだ』とか『これで精一杯だ』とか思った時点でお前らは終わってしまうんだ。

いいか、何度でも、何度でも言うぞ!! 

お前らの実力はこんなものではなーーい。

絶対にあきらめるな!!

明日から、一緒にやろう!!!!

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以前にも書きましたが、6年前にスポーツひのまるキッズを立ち上げたとき、

「絶対に続くわけがない、いったいどうやって収入をえるんだ・・」から始まって、
「こんな内容で協賛が集まるわけがない」・・・最後は「これは永瀬社長しか
できない営業だ」と人がドンドン離れていった。

そんな時、大会運営で必死になっているスタッフを含めて、俺は社長としていったいどんな言葉をかけたんだろう・・。

なんでできないんだ?
なんでもう少し頑張れないんだ?
なんで何度も同じ失敗をするんだ?

なんで、なんでっていつしか自分に対しても攻め込んでいたように思える。

でも、最近になってほんの少し先が見えてきたとき、

できないわけがないから、もう一回説明してみよう。
頑張らないくてもいいから、一緒に気張っていこう。
失敗は成功の糧だがら、ドンドン失敗してもらってそれを肥しに伸びていこう。

って少しずつ、思えるようになってきた。

そして、残ってくれた社員が本当に愛しくてたまらなくなってきた・・・。

先日、香川県高松の後輩(経営者としては大先輩の柔道家)に

永瀬さん、少し、自分の生活の時間配分を変えてみたらどうですか?
他社の社会貢献のお手伝いも大切ですが、自社の社員の幸せももっと大切だと思います。
時間を社員に向けてください、もっと語ってください。我々に話すように真っ向勝負で
社員と向き合って熱く語り合ってください。そうすれば、もっともっとよくなりますよ!!

って言われたことが、なんとなくわかったような気がしました。

もう少し早くわかれば・・・、失うものもなかったかもしれませんが・・・。

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ええい!!! 失敗は成功の元!! 後悔先に立たず、です!!

いまから、ここから、やってやれないことはない! やらずにできることもない!! やりきりますよ。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その46:『絆』の重み)

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ひのまるキッズの大きな特徴として、

どこまでいっても地域密着型の親子大会というポイントがあります。

6年前に第一回関東大会を始め、翌年に全国8ヶ所で開催した時は、やはり『永瀬が始めたちょっと変わった柔道大会』
という感は拭えませんでしたが、回を重ねる毎に、それぞれの地元の輪が広がり、それが徐々に固い絆となっています。

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この数日でも、先の台湾での『富山アジア交流会』との北信越大会への企画提案。昨日の『MAST支援会』との近畿大会バックアップ食事会…と、柔道とは直接的に関係のない人たちが、ひのまるキッズのコンセプトに賛同して、地元がいかに盛り上げるかと、真剣に話をしている場に参加させていただき、本当に熱いものが込み上げてきています。

明日からまわる愛媛、いよいよ来月に開催が迫っている青森でも同じ機運が上がっています。

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人間一人でできることは、本当に限られています。

自分達が持っているものを最大限に活用し、多くの仲間たちと、命の続くかぎり己を尽くしていきたいと改めて思います。

いまから、ここから、輪を広げ、絆を固める使命は始まったばかりです(^-^)v

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その45:すみません。サボっちゃいました(笑))

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皆さん、お気づきのようにこの『親子の絆』ブログで私の担当は日曜日のこのタイトルでの投稿。

今回で45回目を迎えることができました。みなさん、いつも同じような個人的な呟きにお付き合いいただき
誠にありがとうございます。

そして、45回目にして、とうとうサボってしまいました・・・(笑)

昨日は、いつも私のことを気にして励ましてくれている素敵な方(笑)と、逗子、葉山に行きFBではアップしましたが、
大好きなカレーをお腹一杯食べて、ヨットハーバーで思いっきり深呼吸して、すごくきらきら輝く海を見ながら
短時間でしたが、ボーーーっとすることができました。もちろん、そこにはたくさんの家族の

微笑みがありました!!

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そして、夕方のアポイントメントのために東京に戻って、一仕事終えて帰宅して、そのままバタンキュー!!!

ブログアップをすっかり忘れていました。

でも(FBにも書きましたが)、昨年の11月から公私ともに色々なことがあり、本当に周りのみんなに支えられて
なんとか一歩一歩前に進んでいたものの、さすがに多方向から、複数の難題が金曜、土曜と襲いかかってきた矢先の
この休日。

お腹一杯で、素晴らしい海を見ていたら、

俺の悩みなんて、ちっちゃい、ちっちゃい・・と思えたら、なんかパァ~って力が抜けて、思わず大切な仕事を
飛ばしてしまったのです。

明日から、台湾~大阪~四国と怒涛の出張です。

本日、新規事業も内定しました。

いまから、ここから、我々のやるべきことは、海よりも深く、広い!!!
気張ってきます!!

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永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その44:本当にやらなければならないこと~ひのまるキッズのこだわり②・東北復興支援)

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平成23年、今から三年前のGW、私は当時の取締役・時崎と岩手県宮古市にいました。

未曽有の大震災によって被害にあった子供たちになにができるか・・・。

3月11日の震災以降、その直後の近畿大会、翌月の関東大会において募金活動をしましたが、どうしてもそれ以上のことをやりたい・・。

社内で会議を繰り返し、出てきた言葉は正直、後ろ向きな意見・・。

だったら、まずは俺たちでいく!! と東北大会営業で訪れていた弘前からレンタカーで南下し、花巻~盛岡と営業回りとして、たどり着いたのが宮古市山田町でした。

行ったときには、まさに映画でも見ているかのような状況・・、戦争後の東京もこんな感じだったのだろう・・、絶句の一言でした。

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山田町の鈴木先生を始め、実際、家が壊滅状態になってしまった鳥居さんやご父兄とお話をして当初は10組20名の予定だったご招待を23組46名に決定。それから、決まったからには・・ということで、五月一杯で全国48社を周り協賛を集めてなんとか大会にこぎつけました。

平成23年6月12日

会場の弘前・青森県武道館には500名以上の子供たちの中にその23名はいました。

そして、選手宣誓・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=LiTklouVgI8

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鳥居兄弟とそのお母さんが会長の前に立ち、

『選手宣誓の前に感謝の言葉を述べさせてもらいたいと思います』とはじまった時には、会場は静まり返りました・・。

そして、その感謝のスピーチが終わり、選手宣誓に移行。終わるころには、涙で一杯の眼からその涙をこぼさないように目を見開き、上を見上げるしかない状況が続き、横を見ると、講師、ゲスト、そして市長までもが全員顔を上げていることに気が付きました。

それから、今日まで皆さんのおかげで210名の親子を、各地のひのまるキッズにご招待することができました。

本当にありがとうございます。

今回にいたるまで、ここでは書きつくせない様々なお話を直接聞かせていただきました。

大阪の近畿大会でベイタワーホテルから見える南港の素晴らしい眺望を見た瞬間、宮城の女川からきた子供がお母さんに

『お母ちゃん、ここだったら津波、届かないね』

って言った時の胸の詰りは今でも、いや一生忘れられません。

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そして、今回、今一度、被災地を訪れました。

三年ぶりのその場所は、正直、想像以上に復旧は遅れているように思えました・・。

いや、言葉を選ばず言わせていただけば、まだまだ全く進んでいないように思えました。

国が、自治体が・・などと、言っていても仕方がありません。それぞれの立場もあるでしょう。

それでは、我々ができることは、何か・・・。

本当にちっぽけなことですが、我々は愚直に被災地の親子をひのまるキッズにご招待し、『親子の絆』を深めていただくことだと確信しています。

そして、それを続けることです。

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さらに、今度は満を持して、現地にてひのまるキッズを開催し、周りの力で被災地の親子たちに励ましのエールを送ることも企画します。

いまから、ここから、自分たちができることにとことん己を尽くして、決してあきらめない!! やれることは、まだまだ未知数です。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その43:思いは必ず叶う~引き寄せの法則?(笑))

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ひのまるキッズを始めてもう6年。

そんなことをやって、どうやって飯を食うんだ?

協賛金なんて集まるわけがない…

永瀬さんにしかできない。

様々ことを言われ、それでも、必死になって全国を回り、三万でも数百万でも決して力を抜かず、一生懸命話をしてきました。

そして、本当に少しずつですが、光が見え始めてきたように感じます。

そんな中、特に昨年くらいから、人の『絆』のありがたさを痛感する場面に遭遇することが度重なるようになりました。

先日も弘前で鳥肌ものの出会いがありました。

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「ミスひのまるキッズ」村中と深夜バスで到着してから、とにかく、回りに回っていました。

お陰さまで、ほとんどの話は順調に進んでいましたが、唯一、「中国大会の丸久、東海大会のユタカファーマシーみたいなスーパーもしくはドラックストアのスポンサードがほしい」という点だけが未決定でした。

行くところ、会う人にどこかないかと尋ねても、いくつか名前は出るけど、コネクションがない状態…( ̄^ ̄)

そうこうしているうちに、最終日になってしまいました。

深夜バスの時間まで、青森のパートナーで、スポーツひのまるキッズ協会の理事でもある藤田博臣と、元、弘前青年会議所理事長の藤田あつ志氏のW藤田と会食。

その時に、藤田あつ志さんが連れてきた現青年会議所の理事長に、いつも通り熱く語りまくっていました。ひとしきり話終え、次のアポイントメントのために先にお店を出るという時、ふと理事長に「理事長は何の商売をされているんですか?」と聞くと、

スーパーです。

という返事。

ん、と交換した名刺をよくよく見ると、佐藤さん。

ん、佐藤…。ん? 

と、昼、物産協会の事務局次長に教えてもらった企業のメモを見直すとそこには「さとちょう スーパー」と走り書き。

まさか、理事長は?(笑)(^^)d

はい、佐藤長というスーパーやってます…。

見、見つけた! 最後の最後で、奇跡が起こりました!

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そこからは、怒濤の営業攻撃で、協力は約束してくれました(^-^)v

まさに、テレビドラマを見ているようで、W藤田も、ミスひのまるキッズも、大感激でした。

いまから、ここから、思いは必ず叶う~引き寄せの法則でもっともっとひのまるキッズの絆を深めていきたいと思います!

感謝。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その42:ひのまるキッズのこだわり①~靴を揃える)

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スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会を始めるに至って、様々なことを社内で話し合いました・・。
参加する子供がうれしいこと、『夢』を提供して、一生の思い出つくりのお手伝いをすること・・・。

そして、生まれたのが、

『一番見て欲しくて、褒めてもらいたい人にもっとも近いところにいてもらい感動を共有してもらう』

つまり、

いつもは観客席で応援している親御さんに試合場の一番近い席で、応援してもらう、ということでした。

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これって、基本的にはそんなに難しいことではないように思えますが、ひのまるキッズの規模でそれを
やるとなると、かなりのハードルの高さになるということは、かつて全柔連大会事業課長だった自分が
一番よく知っていました。

でも、スタッフの熱意、県柔連の先生方のご理解、賛同する道場の先生方のご協力で6年前、無事関東大会
を開催し、それから現在まで、全国8か所でもう完全に定着することができたことは、本当に皆さんのお蔭で、
感謝の気持ちで一杯です。

さて、そんな中で、このルールにするにあたって、大会としてこだわっていることがいくつかあります。

今回は、その中の一つ、『はきものを揃える』ということを紹介します。

文字通り、靴を揃えるという行為。当たり前と言ったら当たり前なんですが、当初は、まあ、見事に入口、
トイレ・・いたるところでゴチャゴチャでした。

最初は、入口で口うるさく言っても、放送で何度も注意してもまったくダメ。

ところが、ある時から何も言わなくても、一つ、二つ・・、そして、現在はほとんどの会場でしっかり
はきものがそろっているシーンを見かけるようになりました。

その理由は・・・

簡単でした。

最初、私自身も、スタッフも一生懸命脱ぎ捨てられた靴を揃えていました。それを見れば(つまり背中を見せれば)
子供たちは気づいてくれると信じて・・。

でも、それはとんでもないということが、すぐにわかりました。簡単に言うことを聞いてくれるわけがありません。
でも、顕著に変わった瞬間が訪れるのはそんなに時間はかかりませんでした。

私たちの姿を見て、共に入場する親たちがしっかり揃えるようになり、それを見た子供たちが、当たり前のように
その真似をするようになったのです。

まさに、親子の絆

そして、この『はきものを揃える』という行為。もちろん、会場によっては、格差はありますが、柔道のレベルとマナーは
必ず比例するということを気づかされる物差しにも現在はなっています。

つまり、「子は親の鏡。鏡である子供に靴を揃えなさい、例をしなさいと言って、自ら実行する親に育てられた子供は
柔道の技術もしっかり吸収し、成長も早い」ということ。

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年々、ひのまるキッズのレベルが高くなってきて参加者が『勝てない大会』とエントリーを躊躇するという声が多くなり、
ちょっと心配ですが、そこは『競技力向上の大会ではなく、負けてからしっかり楽しめるイベント』というコンセプトの
徹底がなされていない、我々の広報不足と反省しております・・・。

いつの日か、ひのまるキッズの会場では、いつもピシッと揃えられたはきもので一杯にしたいと思います。

いまから、ここから、信念を持って己を尽くしていきます!!

永瀬 義規