カテゴリーアーカイブ: ひのまる社長の独り言
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その28:人生無二の師匠からの叱咤激励)
1996年アトランタオリンピック。私が日本選手団のプレスアタッシェとして全競技の
広報責任者として、大会期間中、会場~放送センター~国際プレスセンター~練習会場
と駆け回っていた時の出来事です。
日本選手初金メダルの惠本選手(柔道)の取材アレンジで、全柔連のある幹部から
特定の局に対しての取材を受けるように強要され、日本選手団としてはそれはできないと
断ったことがきっかけで、かなりの重圧やあることないことの中傷を受け、自分の所属団体だけに当時のJOCメンバーに相談もできず、正直「なんでこんな目に会わなければならないのか・・・」と、柔道~レスリング~重量挙げの会場内で、一人落ち込んでいる私の前に現れたのが、佐藤先生でした。
当時先生は、日本選手団の役員として五輪に参加。当時、柔道界からは先生と私と二名の選手団入りでそれでなくても、『永瀬は佐藤先生の肝いり』という目で見られていたため、私的には必要以上に先生と会話をすることを(今から考えると余計な心配でしたが)避けていました。
なので、いきなり先生から『おい永瀬、飯食い行くぞ!』って誘われた時には一瞬躊躇してしまったのですが断り切れずについていきました。
食事はバイキングだったかと思います。先生は、5人分くらいの料理を運んで、正直、あまり食欲のない私に『ほら、しっかり食わんか!』と一言言って、あとは、黙々と食べ始めました。
食事が一段落して『で、どうしたんだ』
の問いかけに、せきを切ったようにこれまでの不満を爆発させてしまった私に対して、先生の一言が自分の人生の糧になっています。
先生はでかい手を大きく上げて・・・、
『永瀬、ここまで頑張って、足を引っ張られたら、もっと頑張ればいい。もっと頑張って、また足を引っ張られたら、もっともっと頑張ればいいんだよ!』
と最初は座っていたのですが『もっと、もっと』のゼスチャーと一緒にたち上がって最後は思いっきり背のびをして表現してくださいました。
実は、先生は今回の出来事を聞いてわざわざ励ましてくださったのだと、全柔連の幹部に後から聞きましたが、その内容に関しては何も言わず、上記のことだけをでっかい声で語り掛け、
『じゃあ、会場に戻るぞ!! 俺はレスリングに行ってくる!!!』
とその場を去りました。
決してあきらめない、できるまでやる・・・。
あれから、18年。
今でも先生は私が辛いときになぜか現れ、叱咤激励をしてくださいます。実は、今日、半年ぶりにあってガツンとカツを入れられました!!
いまから、ここから、わが人生に悔いなしと先生に胸を張れるよう、己を尽くします!!
永瀬 義規
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その27:こんちきしょ~、良いこと言ってくれるなあ(T_T))
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その26:来年もよろしくお願い申し上げます)
今年も残すところ2日になりました。ありがとうございました。
この一年間、とにかくがむしゃらに突っ走っていました。
得るもの、失うもの・・・本当に今までの人生で一番経験したような気がします。
そして、今、言えること。
確かに、世の中からしてみれば、大したことではないかもしれないけど、ひのまるキッズだけは
どうしても存続させていかなければならない、ってこと。
理由は・・・
良いこと。だからです。
世の中、いろいろなことがありますが、良いことやってるんだから、絶対に失敗することはない!という
強い信念をもって、来年も一組でも多くの親子の絆を深めるお手伝いをスタッフと構築していこうと思っています。
それには、まず自分自身を律しないといけません。
精進してもっともっと気張って己をとことん尽くしていこうと思います。
いまから、ここから、みなさん、よいお年を!!
永瀬 義規
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その25:大切なこと。)
「男は外で数えきれないほどの嫌な思いを家族を守るためにしている。だから、一番大切な家族に嫌な思いをさせるくらいなら、そんな仕事はしない方がましだ・・」
26年前、結婚の報告をした時に父からの一言。
5年前に亡くなった父は、学生時代に起業したり、大物政治家の秘書をやったり、人気漫才トリオのマネージャーをやったり、25歳になるまで、それは派手な人生を謳歌していたらしい。
ところが、25歳になった年に脱サラをし、三歳年下の女房と仕出し弁当屋さんを開業。男女一人ずつ子供を立派に育て上げた。そして、我々がアメリカに在住していた時に義理の両親と共にテキサスに遊びに来た1993年、51歳の時に初めて長期休暇で店を休んだという。
父のお通夜の時に、かつての写真を整理しているとき『父さんはなんで25歳の時に急に弁当屋さんなんて始めたんだろう』って父の弟に尋ねたら・・・、
『そんなこともわからないのか? それはね、お前が生まれたからだよ・・・』
25歳で結婚し、51歳の今まで、自分なりにがむしゃらに働いて、己を尽くし、今は『ひのまるキッズ』という素晴らしいイベントにたずさわることができ、たくさんの『親子の絆』を深めるお手伝いができ、貧乏ながらも充実した人生を送ってきた・・つもりだ。
それもこれも、両親が自分を守るためにやりたくもない『弁当屋さん』を始め、それこそ51歳まで寝ずに休まず働いてくれたおかげだということ。そして、25年間、こんな波乱万丈な人生に文句も言わず必死に支えてくれた女房がいてくれたこと・・そのおかげだということをすっかり忘れて自分だけが大変だとブログだのフェイスブックだので、『いまから、ここから!』って自己満足をしていたような気がしてならない。
人生にやり直しはきかない。
自分の幸せ、欲望を望むのではなく、一番守らなければならない家族の幸せ、社員の幸せ、そして社会の人々の幸せを今一度願って今後の人生を送らなければ、尊敬する父親に天国で顔向けできない。
いまから、ここから。
いろんな意味で、いまから、ここから!! 決してあきらめない!!
永瀬 義規
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その24:動機善なりや、私心なかりしか)
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その23:絆が絆をよび、さらに絆を太くする!)
第四回スポーツひのまるキッズ中国大会。皆さんのお陰で成功理に終了することができました。
ありがとうございました。
この写真は、前日の懇親会。
中央、私の隣の高村自民党副総裁を始め、全ての関係者が実は私、もしくはひのまるキッズの絆以外で何かしらの絆を持っているという偶然が発覚しました。
柔道、中大、周南、ビジネス…。
全員が何かしらの縁を複数ずつ持っているってなんかスゴいですよね、会の司会をしていて鳥肌がたってきました(^-^;
絆が絆をよび、さらに絆を産む…。
まさに、ひのまるキッズならではのエピソードでした。
いまから、ここから、ひのまるキッズで絆はさらに太くなります!
感謝です!
永瀬 義規
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その22;おめでとう!永瀬君(^_^)v
息子だよね??・・・(だから違うって!)
おめでとう!!・・・(ありがとう・・ん??)
Is this a relative of yours?(彼は親戚?)・・・No he is not!!
確かに永瀬義規と永瀬貴規・・一字違いで、階級も同じ、顔は似てませんが・・(笑)年齢的にも私の息子だと思われても仕方がないですが、全く無関係で会ってお話をしたこともありません(笑)
言われだしたのは、彼が高校生の時、最初はある記者に『長崎日大の永瀬君って親戚ですか??』と言われ、資料を見て女房と「一字違いだけど、なんか不思議な気持ちだよね。頑張ってほしいね』って話していました。
それから、とにかく、周りから聞かれるようになり、その後の永瀬君の活躍でとうとう海外からも問い合わせが来るようになり、全く関係ないのですが今はとにかく応援するようになってしまいました!!
様々な意味で復活に向けて前に進む柔道界。
私はあくまで、『基盤』を愚直に支えますので、こうなったら永瀬君には一気に頂点まで駆け上がってほしいです。勝手に応援させていただきます。
そして、いつか彼を『ひのまるキッズ』に招待したいと思っています(^_^)v
名前の漢字、柔道・・・共通項が生んだ今回の『縁』。
お互いの夢をかなえて太い『絆』が生まれればいいなぁと、グランドスラムを見て勝手にほくそ笑んでいました。
いまから、ここから、縁が絆になってより大きく進めることを願って!!
永瀬 義規
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その21;ぶつける先のない憤りに涙した日)
20日の朝、早朝会議中のオフィスに静岡の先輩からかかってきた一本の電話。会議を中抜けして送られてきた読売新聞記事のpdfを開いて愕然としました。
監督が無免許はり治療 帝京大女子柔道部、9月に解任
とうとう出てしまったか・・。でも、なんで今頃・・・。
そして、翌日、各紙がこぞって報道した内容に、今度は自分の目を疑いました。
帝京大学女子柔道部・矢嶋監督、無免許ではり治療を施していたとして9月中旬に監督を解任・・・10月上旬に報告を受けた全柔連によると、日常的に部員に施術していた・・・。
ちょっと待って下さい。
たしかに、昨年、腰痛で苦しんで監督室に来た部員に、なんとかその痛みを和らげるために針を一回打ってしまった矢嶋先輩に対して、その罪は消えません。
仮に打たれた本人が訴えたりしたならば、それに対して矢嶋先輩は事を重大に受け止めて真摯に対応しようと覚悟を決めていたし、その相談を何度も受けていました。
でも、そのあとで、様々な難癖をつけて、あたかもあったように周りに吹聴していった人たちがたくさんいる事実に驚かされ、正直、最後は反吐が出る思いでした。
でも、悪いのは鍼を打った自分だからと解任を受け入れ、あとは自分ができることを粛々と行っている矢嶋先輩の姿を見守っていました。
全てが今回の記事で一瞬のうちになくなってしまいました。
私は、五輪2回を含めプレスアタッシェとして(そして自らもマスコミ出身の人間として)常に心がけたのは、実体をそのまま伝えることが報道だという信念のもとに選手と記者の取材の場をしっかり設けるということ。
ですので、今回、本当に全柔連が『日常的に部員に施術していた』ということを言ったならば、それを記事にしたことになんら文句を言うつもりはありません。
でもですね。実際は違うのですよ。『一回』と『日常的』には雲泥の差があるのです。
これは、間違いです。でも、何度も言いますが、全柔連が本当に言ったのならば、これは誤報ではありません。では、全柔連の誰が、どの責任においてなんて言ったのでしょうか?
私の知る限りでは、今の全柔連にそんな無責任なことを言う責任者はいないと断言できます!! 全柔連も変わろうとして必死にもがいているじゃないですか。
今回の『鍼を無許可で打った矢嶋先輩』は100%悪いです。だから、彼は、監督解任をうけ、さらに大学に迷惑をかけたとして辞表を提出したと聞きます。今後、この件でさらなる事態になっても罪を償う覚悟はできています。
でも、今回、マスコミに『日常的に部員に施術していた』という嘘を無責任に(もしくは故意に)流した人間は本当に許せないです。情けないです。涙が出ます。
そして最後に、この件で一番の被害者は、日本一を目指して帝京大学に入学してきた学生たちです。彼女たちが一日も早く純粋に自分たちの目標を目指せる環境に戻れるように祈るばかりです。
そして、近い将来、写真(昨年、帝京が日本一になった時のワンショット)のように先輩と喜びを分かち合いたいです!
ここまで、読んでくれて本当にありがとうございます。
いまから、ここから、って気合を入れるのは、明日からにします。
永瀬 義規
いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その20:偉大な行動は、強い信念から生まれる。)
先日、オフィスの机を整理していたら、引き出しの奥から一枚の紙が出てきました。
かつて近代柔道杯を企画し実行したときには「将来、子供たちが『子供のころ全国大会でこの選手と戦ったんだよ、ほら、これがその記事だ』って自分の子供に見せれるように誰もが出れる全国大会を!」という一心でした。
しかし、回を重ねるごとに、「一ヶ所に全国から集めるのには限界がある、それならば私たちが行って大会をやればいい」という気持ちが大きくなり、更には、「柔道だけではなく、武道、スポーツを通じて親子の絆を深めるという場を創作できないか、絶対にできるはずだ」となり、
とうとう「えーい、自分でやってしまえ!」といつ顛末に(笑)
自分の想像を絶するほどの困難が立ちはだかり、スタッフも一人、また一人と抜けていき、何度も諦めかけては奮起し、そして、またくじけそうになって、ギリギリのところで踏みとどまり…、なんとか今も続けられているひのまるキッズ。
まだまだ事業としては成功とは言えませんが、いろんな意味で自分のやるべきことが見えてきた実感があります。
そして、FBにも書きましたが、次のステージとして、これまで以上に大会を盛り上げることに加えて、参加してくれている親子にもっともっと「ひのまるキッズ出て良かったね」と思える施策を検討、決断しようと思った矢先のこの一枚の紙。
開始して33回目を迎える今、あらためて自分たちが描いたビジョンに一分の間違いが無いことを再認識し、ブレのなく前に踏み出そうと思います。
信じるものは強く、疑うものは弱い。偉大な行動は、強い信念から生まれる。
いまから、ここから、仲間を信じ、次のステージに大きく踏み出します^-^)v
永瀬義規