いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その454;見守る)

久しぶりの有観客で訪れた東京学生柔道優勝大会。

あの怒涛のTOKYO2020以来、日本武道館に足を踏み入れたのは先月の全日本選手権以来。まだ、下に降りる気がしなく、じっくり観客席から見守らせていただきました。

我が母校は、

東海大学に6-1と完敗。

残念ながら力の差は歴然。

FBは『思い出』という非常にいいページがあり、私の場合は2012年からのその日の投稿がアップされ、それを見て振り返り、反省したり懐かしがったりしているのですが、ここ数日、東京学生の過去の投稿がアップされるたび、

いつも、いつも、

『後輩にもっと何かできたはずだ!』『悔しい!』

を連呼していて、正直、今回もそうなるだろうな(後輩には失礼ですが)と思っている自分がいました。

でも、今回はこれまでと少し違う思いでこれを書いています。

数年前、中大柔道部創立以来初めてのオール一本負けを同じ東海大学に味わった時と同じような終わり方をするのかなぁ・・と思っていたところ、大将が最後の最後で目の覚めるような一本を決めてくれたからか・・でしょうか?

試合が終わっていつもはすぐ直後に監督と叱咤激励をしていたのですが、それをせずに観客席でそこに上がってきて挨拶に来てくれた数名の選手たちの顔を見たとき、悔しさも怒りも感じることがなく、

ただ、

ご苦労さん、全日本で頑張ろう!

と心の底から素直に言葉をかけることができました。

たぶん、それには訳がありました。

後輩たちが挨拶に来るほんの少し前に久しぶりに会話できた親子の姿がそうさせたのだと思います。

日大3年生で、今年の全日本選手権にも出場した石村君とお父さん。

ちょうど私のすぐ後ろで友人(と思った)と談笑していたので、思わず『石村君、久しぶり!!でっかくなったなぁ!!』と声をかけたところ、

『おお!社長、お久しぶりです!』と満面の笑みで話しかけてきたのが、隣にいた友人・・ではなく彼のお父さんでした。

そう、かつてひのまるキッズに今は高校生の弟と三人で親子出場してくれていた名物ファミリーとの再会でした。

そんなに長い時間ではありませんでしたが、二人の関係があの時と全く変わらず、それが本当に嬉しかったのです。

この親子の会った後に来た後輩に対し、たぶん私は親のような気持になっていたのかもしれません。

子がいない私が言うのもなんですが、

それはまさに、

見守る

という言葉がピッタリ。

『あなたはいったい何人の子供たちを見守っていたんでしょうかね・・。そして、これからもよろしくお願いします』

会場を去るときに見上げた日章旗に思わず話しかけてしまいました。

いまから、ここから、見守るべく対象の多さにワクワクです!

永瀬義規

いまから、ここからひのまる社長の独り言(その453:その先にある子どもたちの未来を信じて)

永瀬さん、大変やねぇ・・。
大会できなくなるらしいね。

大阪出張で久しぶりに行った馴染のお好み焼き屋さんで、店のおっちゃん開口一番のお言葉・・・。

いえいえ、

ひのまるキッズはしっかりと続けますよ!!
だって、全柔連が懸念する“行き過ぎた勝利至上主義”が最も生まれにくい大会だから!!

と答えた私。

以前のここで書かせていただいたスポーツ誌の件からふと気が付くと、頭がいっぱいになってしまうこと・・。

それが、

果たして、大会が減り、ひのまるキッズ参加が増えた時、今までよりももっとしっかりとひのまるキッズの理念を参加者にお伝えすることができるだろうか?

という不安。

そんな中で、出来上がった9月11日の東海大会のエントリー案内。

振り切りました!!

参加者募集としては、不適当じゃないのか?

様々な誤解を招くのではないか?

等々・・。

スタッフの間でもいろいろ議論は出ましたが、

まずは、しっかりと想いを伝えよう

という覚悟をもってこれを発信することになりました。

子どもに無理な減量を強いたり、審判を罵倒したり・・

当たり前のことを当たり前できる子供の育成を掲げ、親子の絆を深め、子供と夢をつなげるテーマパークにこれは全く無縁。そういう人は失礼ながらスポーツひのまるキッズへのご参加をお断りさせていただきたい。

それ以上でも、それ以下でもありません。

いまから、ここから、どんなことがあってもあきらめず、不退転の覚悟でこれを貫き通します。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その452:受け継ぐ、引き継ぐ、感動のみちのく一人旅)

10日から13日までの4日間。2年ぶりの東北・みちのく一人旅に行ってまいりました。

まずは、新幹線で新花巻へ。

ビジネスの師匠。敬愛する実業家・アイオー精密の鬼柳会長の元へ。

実は3年ぶりとなる実面談で少々緊張しておりましたが、まずびっくりしたのが本社社屋が2倍以上に拡大されていたこと。

数年前、

『ここ一帯の土地は確保した。こんな田舎の花巻から世界に日本のものつくりを発信するんだ!』

とおっしゃっていたことをしっかりと実現。

さらに、尊敬すべきは、

代表取締役は息子さんに譲ったものの、ご自身は旧社屋の隅っこ(失礼)に机を構え、常に会社の状態を把握。久しぶりの対面での第一声は、

永瀬さん。これからはデジタル化にどう対応し、これを使いこなすかだよね。凄いよねぇ~。コロナ禍のおかげで世界があっという間に狭くなっちゃった。これからまだまだやることだらけだよ!!』

圧巻でした。

そして、その日の夜は、北上に行き、焼肉やまとの緑川専務と会食。

中学時代から活躍し、東北高校→山梨学院大学と柔道どっぷりの人生から、今やお母さんと一緒に実家の事業を切り盛り、東北屈指の焼肉チェーン店に推し上げた若手経営者。現在は地元米の生産、新事業に意欲を燃やす彼の話に思わず時間を忘れてしまいました。

二日目は、東北大会開催地の弘前へ。

まず訪れたのが櫻田市長。

「実は、永瀬さんと弘前市行政で一番長いのは私なんです』

と面談時に市の職員さんに自らお話しされた通り、13年前に初めて市役所を訪問した時に対応してくださったのが、当時市職員で観光課の課長補佐だった市長その人でした。

地元新聞の記者も同席されて、面談はあっという間に過ぎてしまいました。

そして、市の関係各所を訪問し。

中大柔道部先輩が経営される『磊(みついし)』にてお会いしたのが、成寿会の奥村理事長。

1997年。中央大学柔道部全盛期に大きく立ち塞がった名門・明治大学の主将としてとにかく煙たい存在だった中量級名選手。

現在は医療法人の理事長として、様々な事業展開に挑んでいる彼の話は熱く、思わず写メを撮るのを忘れてしまいました。

その夜は、前回スポーツひのまるキッズ東北大会、10年連続協賛表彰をさせていただいた蛇蘭・野宮オーナーに挨拶ができたのも嬉しい出来事でした。

そして、翌日。

ひのまるキッズ最大の理解者のお二人と連続でお会いできました。

弘前を中心に店舗を拡大する大手スーパー・佐藤長の佐藤代表取締役と、その佐藤氏を紹介してくださり、とにかくひのまるキッズが公私ともに一番お世話になっている応援団長・和電工業の藤田社長。

弘前市の実業界を支えるこのお二人。とにかく、足を向けて眠ることはできない存在。ここでは、書ききれないくらいお世話になっています。感謝!

そして、この日、車で2時間半かけて訪れたのが、八戸。

そこで待っていてくださったのが、黒ニンニク製造会社のトータル・松頭親子。

実は、もう5年位前、友人の紹介で取り寄せてからすっかりとファンになり、注文の際にメールで交わしていただけだった松頭会長。最初は2年前に会社を訪れ、息子さん(現・社長)しかお会いできなかっただけに、会長と会うのがとても楽しみでしたが、想像以上に熱く、物事に対する考え方がピッタリでした。

その後にご一緒した蛯名先生(年齢は一つ上。尊敬する山形・田島先生と青森北高校で同期の柔道家)と共に、とても初対面とは思えない盛り上がりを見せたのは言うまでもありません。

その感動が覚めぬまま、翌日、2時間のドライブで青森へ。初めてのお約束の方には入れ違いでお会いできなかったものの、

最後の最後でお会いできたのが、東北大会メインスポンサーを続けてくださっているイマジンの野崎社長。

いつも柔らかな物腰で、でも熱い志を秘め。常にひのまるキッズのことを心配し、最大の協力をしてくださる街の名士との話は、みちのく一人旅の締めくくりにふさわしい再会でした。

上記に挙げた経営者以外にも多くの人に快く迎えてもらったみちのく一人旅。

7年前。深夜バスで往復した時のことを思い出しながら、その時に負けず劣らず、いや、それ以上の感動を改めていただいたこんな出張をできたことに感謝です。

『自分の好きなことを四の五の言わず一生懸命やれる。こんな幸せなことは無い(松頭会長)』

本当にそのことをつくづく思わせてくれた4日間でした。

いまから、ここから、まだまだまだ、やれます!!

気張るぞ!!東北大会!!!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その451:中大愛に溢れた漢との別れ)

ここに1冊の記念誌があります。

いまから、17年前に発刊された『中大柔道部百年史』

1985年度卒業の私は、冊子の編集委員として最後の20年を担当。

その中で印象に残っているのはもちろん、 2000年に3度目の優勝を果たした全日本学生優勝大会 ですが、個人的には1997年の東京学生優勝大会初優勝は忘れることができません。

この時のチームは4年生が主将・江上を中心にとてもよくまとまっており、東京学生優勝の勢いで、続く全日本優勝を誰もが疑っていなかっただけに、準決勝でまさかの敗退に屈した時の悔しさは、今でも強烈に脳裏に刻みこまれています。

そして、その一年下の代は、おそらく近年まれにみる個性派ぞろいで、なかなかまとめるには大変だったと思います。

それをまとめ上げ、団体・個人共に仲間を全日本トップレベルの成績に導いた名マネージャーが、5月1日、帰らぬ人となりました。

大学卒業後、セコムに就職。

現役を引退してから、中大柔道部の大先輩である宮田氏の養子となり、川崎の悠友館を引き継ぎ、その後、女子柔道家・北田佳世さんと結婚。

二人三脚で指導にあたり、サラリーマン、道場主、そして、中大柔道部総務コーチと一人三役を黙々とこなし、

その巨漢からは

想像もできないきめ細かな気遣いをし、ひたすら後輩を想い、家族を愛し、周りに愛された漢。

『先輩、私の夢は教え子が母校で柔道をしてくれることです』

と、酒を飲むと連呼し、その夢ももうすぐ手の届くところにきたのに・・。

最後に会ったのは亡くなる3日前、

彼を実の弟のように一番かわいがっている柔道部後輩の焼き鳥さんに友人と来ていることを聞きつけ、翌日は早朝より静岡遠征にも関わらず、顔を出して挨拶をしてくれました。

ほんの30分くらいしかいませんでしたが、

その時も、母校の心配をずっとしており、

『じゃあ、GM中に道場に行こう!]

と言っていたのに・・・。まさか、それが今生の別れになるとは・・。

とにかく、中大愛に溢れている漢。

宮田 学

享年46歳

あまりにも早すぎる別れに、まだまだ気持ちの整理がつきませんが、彼の中大愛に応えることが、残された我々にできることだと思っています。

学、お疲れ様でした。天国から、しっかりと家族、そして後輩を見守ってください。お前が注いた溢れんばかりの愛情を俺たちは決して忘れません。
いままで、ありがとう!

合掌。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その450;家族の笑顔につながる喜び)

4月29日、三年ぶりの有観客、日本武道館で開催された全日本柔道選手権大会。

「今年の全日本選手権はプログラムを見ても本当にワクワクしますね。なぜなら、これまでにくらべものに無いほど知っている顔がいますので!!」

大会前に幹部スタッフから言われ、よくよく大会パンフレットを見ると、本当にその通り! 

以前は「ひのまるキッズ初の全日本出場!!」などと喜んでいましたが、ここ数年でその数は倍増し、参加経験者だけではなく、講師として指導してくださった選手、各地で大会運営に携わっている柔道連盟の先生、さらにはご協賛企業からも審判員にて参加の柔道家の姿がありました。

私個人的には、

かつてひのまるキッズに参加してくれた時の顔が思い出せる選手を見つけては、その試合成績に一喜一憂していました。声を出しての応援が禁止だったので、一生懸命拍手を送ったせいで手のひらが真っ赤になったくらいです。

さて、

試合はご存知の通り、斉藤立選手が並み居る強豪を破り、決勝もこの日好調の影浦選手をゴールデンスコアの末、最後はしっかりと大外刈りで技ありを奪っての優勝! 用事があり途中で帰宅したため、テレビに向かって思う存分、声を上げて声援ができ、試合が決まった瞬間、

斉藤先輩! やりましたね!!! おめでとうございます!!!!

と叫んでしまいました。

このブログでも何度もご紹介したように、故・斉藤仁先生は、ひのまるキッズに何度か足を運んでいただいておりました。

講師としての参加ではなく、

立君のご父兄として、奥様の三恵子さんと親席で・・・。

心配そうに子供の試合を見つめる三恵子さんの横で、目立たぬように(目立ってましたが(笑))、本人にとっては最小限の身振り手振りで指導をする先輩の姿。今からちょうど10年前のひのまるキッズ東北大会5年生の部決勝戦のワンシーンに(何か見てはいけないものを見るような気持ではありましたが)、その姿にとても熱いものがこみ上げてきたことを昨日のように覚えています。

今も、この写真を見るとその熱いものでいっぱいになります。

表情は真逆ですが、自分の子どもを懸命に応援する親の姿。

もちろん、勝負に対して非常に厳しかった先輩でしたので、立君からすればとても怖い存在で、ある時は道場に行きたがらなく、三恵子さんが送り迎えしたそうですが、ただ怖いだけで育ったなら、全日本の大舞台でのあの礼節、対戦中、相手の顔をついた時などに時より見せる謝罪の仕草は生まれなかったと思います。

間違いなくこれは斉藤先輩が亡くなってから、三恵子さんが厳しく、そしてたくさんの愛情をもって育てた結果身についたものだと思います。また、兄・一郎君の存在も大きかったとことでしょう。

そういった意味でも、今回の日本一は、家族の絆によって手にした宝です。

冒頭の写真。翌日のスポーツ紙紙面を飾った素晴らしいショット。

10年前に不安そうにしていた三恵子さんの満面に一杯の笑顔は、家族の絆がもたらした最高の宝物です。そして、家族の眼には斉藤先輩の「よくやった!」という笑顔も映っていたと思います。

最高ですね!

最後に、昨年発行された『スポーツひのまるキッズ通信~東北大会10年の軌跡~』にて、三恵子さんにいただいたコメントをご紹介します。

はい、今度はお孫さんと、おばあちゃんとしてのご来場をお待ちしています!!

いまから、ここから、家族の笑顔につながる喜びをかみしめて!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その449:全柔連の決断を受けて、あらためて考える我らの姿勢)

https://www.asahi.com/articles/ASQ3K72D7Q3JUTQP00H.html?iref=pc_photo_gallery_bottom

ひのまるキッズは大丈夫なんですか??

スポーツひのまるキッズ九州大会を開催すべく、粛々と準備をしている時、メールや様々なSNSを通じてガンガン問い合わせが送られてきて、検索したのが上記の山下会長の写真と共に掲載された記事。

この記事は詳細が有料になっていたので、リード部分しか読まず。大会開催でバタバタしているうちに本番突入。

当日、現場ではその話でもちきりでした。

案の定、代表はどう思いますか?と聞かれ、

全柔連が言っていることは間違っていないし、我々がとやかく言うことはない。だって、我々がやっているのは、スポーツひのまるキッズ、

スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげるテーマパーク創りですから!

と答えながらも、

「全てが思い通りにならないとしても、全てを諦めるのではなく、子どもたちの大切な日々を、少しでも実りあるものにしたい」
という『想い』だけで開催。
大会規模を縮小、イベントもブースも思うようにできない状況で

これは、ひのまるキッズではない。単なる柔道大会じゃないか・・。このまま開催して良いものだろうか??

と自問自答する自分がいたのも事実でした。

その気持ちは、
ほとんど何もできなかった翌週の近畿大会で心に埋め尽くされたものの、

ここでも書きましたが、感染症対策で何度も入れ替えをしたため、あわただしく道場を去る親子たちが、わざわざ私に駆け寄り、

こんな状況で子供たちにこの『場』を提供してくださってありがとうございました!

と、本当にたくさんのお言葉をかけていただいたおかげで、少し和らいでいました。

そんな時です、

代表! この写真はひのまるキッズです。これは、酷いです。

出張中に柔道プロジェクトリーダーから送られた記事、タイトルバックに使われていた写真は8年前の大会写真。その日の午前中のアポを全て変更して、関係者への連絡に奔走したのは言うまでもありません。

幸いにも、写真提供した会社、記事を出した出版社ご担当の迅速な対応で写真は差替えていただきました。
念のために申し上げますが、その記事自体は良く取材されており、適切な文章でわかりやすいものでした。

今回の件は、もちろん、すべての関係者に悪意はないのは明らかです。ただ、私の中には、何とも抑えきれない怒りで満ち溢れていました。

それは、誰でもない、私自身への不甲斐なさに対しての怒りでした。

記事のタイトルに「相手の子どもをののしる親」という言葉があったため、親が目の前で子供を応援するひのまるキッズのワンシーンを使われたのは明白。

でも、この関係者の誰か一人でも、「親が目の前で子供を応援できる大きな大会はひのまるキッズだけ。そして、この大会はこのタイトル、記事の内容にはそぐわない」

と気づいてもらったらこんなことにならなかった。つまり、全ては、我々の努力不足。

ひのまるキッズ六訓を通じて、スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげ、

親が子を認め(褒め)、子が親に感謝する場・生涯の思い出に残る場を

当たり前のことを当たり前にできる子供を育てるお手伝いを

それに関わる全ての人々と共にスポーツのテーマパークを創り上げる。

13年間、言い続け、やり続けていたつもりが。まだまだ、まだまだ伝わっていなかった・・・。

いやいや、今回の関係者にそこまで求めるのはハードルが高いでしょう!

と言われるかもしれませんが、

そんなことはありません。

いや、むしろ、そこまでやり切る覚悟がなければやめた方がいいくらい思っています。

いまから、ここから、
何ができるかではなく、今、できることをとことんやり切る。
そう、いまこそ、我らの姿勢を再確認するときです。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その448;見習うべき、こだわりの挑戦!)

永瀬さん、冷凍弁当を考えているんですけど・・・

もう25年以上のお付き合いの弟分(実は弊社の監査役の引き受けてもらっている)がこう相談してきたのが、3年前。

例にもれず、コロナ禍で大打撃を受けて様々な挑戦を検討していたお弁当の青山。

宮内庁ご用達、全柔連の公認企業でもある老舗弁当屋さんの青山ラインアップにはどうなのかな・・

実は、こう思っていましたが、発想から検討、そして度重なる試食を重ね、満を持しての逸品は、予想をはるかに超えた美味。

そして、

これは永瀬さん用です。

と差し出された『塩分控えめ冷凍弁当』にはビックリ。

詳細はこのURLから確認していただきたいのですが、とにかく、味重視。正直、『塩分控えめって・・』という観念が見事にひっくり返されました。

と、別にグルメブログではないのでお弁当の紹介はここまでとして、
今回、とにかく感心したのは、この弁当を作り出す上での彼のこだわりでした。

他社からもちらほら同様の商品が出されていましたので、

「おいおい、まだ発表しなくていいの?」

と聞いてしまいましたが、

その時の彼の言葉に己の未熟さを思い知りました。

いやぁ。永瀬さん。まだ納得いかないんですよ。これじゃあ、お客さんに自信をもって出せません。うちはうちのプライドがありますので!

と言い切った彼の眼光には思わずゴクリと生唾を飲んでしまいました💦

勇気をもって
誰よりも先に
人と違うことをする

と日々言い続けている私ですが、

こだわりとプライドを持って
なによりもお客様第一に
最高の商品を提供する

ことにすべてを費やした彼の覚悟。

株式会社青山 代表取締役・池田尚弘。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/153972

頑固一徹。お客様第一!当たり前のことを当たり前にやり抜く自慢の弟分です。

いまから、ここから、私も負けられません!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その447:舞い戻った言霊)

先週の月曜日。

2021年度最後のひのまるキッズを終えて、一路広島・呉へ。

『スポーツひのまるキッズYouTubeチャンネル』 の対談でスポーツひのまるキッズ中国・四国大会のスポンサーである海生グループの海生常務とお会いしました。

FBでも紹介しましたが、初めて会った時から意気投合。ひのまるキッズ理念を真っ向から受け止めてもらい応援していただいている海生常務との対談は、台本全く見ずに(笑)、一発で終了。

対談の内容は、今月末にアップされる動画でじっくりと鑑賞していただくとして・・

その中で、常務がいつも心に刻んでいる言葉を紹介され、

あれ? これなんかやけに馴染みあるなぁ・・

と思っていました。

対談が終わってバスに飛び乗り広島空港について、やけに気になったので、常務にこの言葉の詳細を聞くと以下のURLが送られてきました。

https://showa-g.org/men/view/540

この言葉は、私の尊敬する平櫛田中先生の座右の銘。
私自身はきちんと実践できてはいませんが、いつも頭の片隅で意識しています」

という彼らしいとても謙虚な言葉を添えて・・。

その彼の言葉に再び感動しましたが、URLをクリックしたら、なんと、
平櫛田中先生 は晩年を私が育った東京都小平市で過ごし、小平市名誉市民となっていることにビックリ。

そして、ふと子供のころに亡き父親が(なんの唄かわかりませんが)よく口にしていたメロディーが湧き上がってきました。

いま、やらなきゃ、いつやるの~♪、俺がやらなきゃ!、だれが~やるぅ~♪

父がどこからこれを聞いて(あるいは見て)この鼻歌を歌っていたのか、いつも一緒にいた母も今は父と一緒に天国にいるので、確かめることはできませんが、間違いなく、私の頭にこの鼻歌は刻み込まれています。

そして、至る場面でこの歌が無意識に私の頭の中で繰り返されていたのを思い出しました。

まさに、舞い戻った言霊、です。

さらに、 平櫛田中先生 の紹介を読み進めると、思いっきり目を引く言葉が・・

不老 六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」

以前、渋沢栄一氏の言葉としてここでもご紹介しましたが、107歳生きた 平櫛田中先生 だからこそ言える言葉。

改めて感銘を受けました。

いまから、ここから、いよいよ今年で、はなたれこぞうの第一歩。

2022年度も、よろしくお願いいたします!!

永瀬義規

気合入れていたらパートナーが美味しいロールキャベツを作ってくれました(笑)!


いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その446:2021年度最後のひのまるキッズを終えて・・)

3月26~27日、2021年度のスポーツひのまるキッズイベントが全て終了しました。

第11回スポーツひのまるキッズ近畿小学生柔道大会。

近畿地区の6年生限定

講師を呼んでのイベント無し

ブース出展ゼロ

さらに、試合進行表を見せられた時、

初日で2回、2日目に3回の開始式を挟んでの分散方式に、

ここまでやる必要があるの? みんなで一体になる開会式もできないのか?

と思ってしまいました。

ひのまるキッズらしくない、ひのまるキッズ・・・。

でも、やり終えた今、

今は、最も思い出に残るひのまるキッズの一つとして胸に刻まれています。

2日間。

黙々と最善の環境を作ってくださった大阪府柔連の先生方

少ない人数でも選手の一挙一動をしっかりと見つめ最高のジャッジメントをしてくださった審判員

一人3役で補助係員をやり切った常翔学園高校柔道部の皆さん

こんな状況にも関わらず、一言も不平不満も言わずわかりにくい試合進行を受け入れて指導してくださった指導者たち

そして、

たった2試合しかできず、分散方式のためすぐに退場しなければならないにも関わらず、わざわざ駆け寄ってきて、『今日は、こんな機会をくださってありがとうございました』と深々と頭を下げてくださった親子たち・・・

すべてが思い通りにならなくても、すべてをあきらめるのではなく、子供たちの大切な日々を少しでも実りあるものにいたい

と思って開催を決意した我々が、事もあろうに、逆に多くの実りをいただいた二日間でした。

本当に、本当に、ありがとうございました!!

そして、今日だけはスタッフに言わせてください。

でかした!! よくやり切りました!!

いまから、ここから、2022年に向けて、この言葉を胸にさらに突き詰みます!

考えなさい、調査し、探究し、問いかけ、熟考するのです
(ウォルトディズニー)

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その445;言葉にしないとつたわらない!)

昨日、第13回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会が、福岡に九州産業大学大楠アリーナ2020にて450組の親子が大集合! 無事、成功裏に終了することができました。

開催に関係したすべての人に心から感謝の気持ちをお伝えします。

本当に、ありがとうございました!

大会の模様は、この後に続くスタッフ投稿で思いっきり語っていただきます。

さて、

今回、心の底から感じたこと、それは、

言葉にしなければつたわらない!

ということ。

かねてからここでも話していますが、外では『もういいですか』と言われるくらい熱すぎるトークを展開する私ですが、

普段、特に身内には筋金入りの言葉足らず・・・・。

何度も何度も同じ過ちをしては反省し、でもまた繰り返し・・。

ここで過ちを書いても書ききれないので、今回は昨日の大会会場において起こったことを紹介させていただきます。

当日は、今回からご協賛を決めてくださった会社のスタッフ四名が来館。いつもの通り、朝からずーっと大会の主旨、見どころなどを熱く語らせていただきました。

さらに開会式を終え、時間があれば来賓席で様々な話をさせていただきました。

みなさん、とても熱心に聞いていただきました。

調子に乗った私は、つい、よくするこんな質問をしました。

「私はよく人に『永瀬さんにとって、将来、ひのまるキッズが“できた!”となる事由とはなんですか?と聞かれますが、一つは『永瀬がいなくてもまわること』もう一つは何だと思いますか?」

すると、総務担当の女性社員の方が、

「今、出場している選手が親席に座って自分の子どもを応援するということですか? それって素敵なことですね」

と、サラッと答えました。

正直、ビックリしました。

そして、ここにいる参加者、運営を手伝ってくださっている関係者、もっと言うとうちのスタッフにそれがどれだけ伝わっているのだろうか?と真剣に見つめ直した時、

伝わっていつのか?ではなく、自分が協賛社の人たちにお話しする熱情をもってしっかりと言葉にして伝えているのだろうか?

と思いました。

答えは、

まだまだ、です。

背中で語る、のも素晴らしいことです。でも、それだけで語れるほど実力はないということを今、強烈に感じています。

「お伝えします」という○○な心

当てはまる言葉を絞り出すべく、実行し続けます!!

いまから、ここから! 週末は近畿大会。今年度最後のひのまるキッズです。

永瀬義規