いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その425:社長の仕事)

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10月20日で59歳となりました。

19~23日で福岡~山口出張。

オリパラ終わって、久しぶりの長距離運転でしっかりとぎっくり腰を再発させてしまいましたが、誕生日を挟んでの面談&会食ですっかりご馳走になってしまい、5キロ落ちた体重も一気に戻る勢い・・・。

感謝、感謝の1週間でした。

さて、

今回の出張で改めて思ったこと

経営者って大変だな・・。

です。

何をいまさら・・

とおっしゃられるとは思いましたが、もちろん、コロナ禍でみなさん少なからず影響を受けていましたが、それはともあれ、お会いした経営者の皆様の話を聞いていると私なんて、まだまだ・・と思うことばかりの毎日でした。

そんな中で、

ふと思い出した二つの言葉があります。

一つはたぶん、創業当時メチャクチャ落ち込んでいるときに、先輩経営者が、松下幸之助氏の名言を引用して、叱咤激励してくださったときのお言葉だと思います。

永瀬、社長というのはね、社員があーだ、こーだと悩むのがお仕事。なので、そのことが嫌ならとっととその会社を辞めてしまえば良いんだよ。

そして、もう一つは就職したての頃、できの悪い新人編集者の私に編集長が大酔っ払いで連呼してくださった言葉

永瀬、できた、できないんじゃないんだよ。やったか、やらないかなんだよ。いいか、毎日、毎日、自分はやったのか、やらなかったのか、それだけ振り返ればいい。やらなかったのなら、明日やればいいんだよ。さあ、飲め!!!!

自分一人でできないから会社、企業で挑戦する。

とにかくやる! をできるまでやる! に持っていくためには、社員の協力が必要。

その大切な社員のことをあーだ、こーだと考えるのが社長の仕事。

ひのまるキッズが『できた!』となるのはどうなったらですか?

という、よく聞かれる質問に、

私がいなくなっても回ることです

以外の言葉って何なのかなぁ・・。

今回のレンタカー走行距離420キロの道中でずーっと考えていたことでした。

いまから、ここから、前厄を楽しみます(笑)

永瀬義規

※写真は昨日が14回目の命日を迎えた父の形見のロレックス。私には小さいのでパートナーが付けてくれています。経営者先輩の父はなんて言ってくれたのかなぁ・・

 

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その424;第2の人生)

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オリパラが終わって、ひのまるキッズ営業で全国奔走開始。

出張から戻ってふと自宅のトイレにある本棚にある雑誌の表紙が目に入りました。

50歳からの人生が楽しくなる生き方

実は、50歳になって

さあて、そろそろ次のことも考えないと・・・。

と思って買ったこの本。

開くことなく、9年間、放置されていました(笑)

前回のここで書いた40,50歳ははなたれ小僧

いよいよ60歳までのカウントダウン。『働き盛り』を向かう今、その準備をしつつ、ここに書かれている第2の人生へのシフトもしてみようかと思っています。

ただ、

第2の人生・・・

私の場合は、その道は変わらず、進み方、進む仲間を増やしていこうとワクワクしています。

あと、3日で59歳

せっかくなので、ここに書いてあることを1年でやってみたいとも思っています!!

いまから、ここから。忙しい一年になりそうです。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その423;鼻たれ小僧)

渋沢栄一

先日、友人のFBにこの画像が投稿されていました。

還暦までのカウントダウン、同期と会うたびに同じような話になります。

これほどまでに岐路に立たされる年齢はないと思います。

サラリーマンは定年に向けての話

経営者は事業承継の話

が、メイン。

もちろん、人によって様々ではありますが、今まで以上にこれからのことを話すようになっています。ただ、コロナ禍のためか、ほとんどが下り坂の話。

私自身、ここでもつぶやいているように、オリパラで(たったの数週間だったにもかかわらず)出し切ってしまった感、満載で、

もちろん、ひのまるキッズ開催に向けて精力的に動き始めてはいますが、フト、どうしようもない焦燥感に追い込まれる自分がいます。

そんな中のこの

「四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧
 六十、七十は働き盛り
 九十になって迎えが来たら
 百まで待てと追い返せ」

今、NHK大河ドラマで取り上げられている「日本資本主義の父」とも呼ばれる渋沢栄一氏の言葉。

人生100年時代と呼ばれている現在ではなく、1840年に生まれて91歳で亡くなるまでの間に約500社の設立に関わり、約600件の社会公共事業に尽力した渋沢氏。

それも、明治期の男子の平均寿命は43歳といいますから、その2倍も生きた、とてつもなくエネルギッシュな人の言葉。

なので、

な~んだ、そうだよね!!

とはいきませんが、ほんの少し心が軽くなったような気がします。

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オフィスで私の正面に掲げてある『青春の詩』

常にこれを見て、己を奮い立たせていたつもりでしたが、まだまだ鼻たれ小僧。

還暦までのわずかな時間は、これから起こる『働き盛り』への最後の調整と思い、十分なメンテナンスをすることにします!!

いまから、ここから。イベントは準備が8割!!『働き盛り』を十分に乗り切るためにも・・

今が大切です。ね、野寄くん!

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その422;完敗です)

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先日、今月末の『コトユメ』特集企画で、ソフトテニスの小林幸司さんと対談をさせていただきました。

5年前。

第1回スポーツひのまるキッズソフトテニス親子大会の講師としておいで頂き、その時のスピーチが今でも心に深く刻まれています。

そのスピーチ内容は対談でご紹介しているので楽しみにしてください!

そして、今回の対談。

感想は、

完敗です。

何に?

マナーが悪い選手が試合に出ること自体が考えられない・・と言い切った小林さんと・・

とにかく、このソフトテニスマナーブックをお読みください。

https://www.jsta.or.jp/index/manner_book

いまから、ここから、世の中、まだまだ勉強です👌

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その421;TOKYO2020⑧最終回~ありがとう、日本武道館~)

1632645394189 東京五輪柔道競技のプレスセンター開設の日。

オリンピック公式取材チームの外人記者たちが挨拶に来られ、日本武道館を案内することになりました。

私的には、話題は2日後にスタートされる柔道競技のことだと思い込んでいたため、3名の記者との時間に意気込んで一人臨みました。

結果は、

通訳入れれば良かった・・・。

でした。

なぜなら、彼らの質問のほとんどが競技そのものではなく、世界の柔道・空手の選手たちが日本武道館で試合をできることの意義に対してのものだったからでした。

幸いにも、小学生の時から日本武道館での試合を経験させていただいていた自分にとって、正直、「日本武道館で試合ができる!」ということの意味をその時まで深く考えたことはありませんでした。

ただ、

小学生の時に全日本柔道錬成大会に出場。見たこともない人数の参加選手とともに畳の上に立ち、とてつもなく大きい小学生と対戦した時、

大学三年生で初めて試合に出せていただいたにも関わらず1回戦で10秒で投げられた時、

翌年、念願の団体戦レギュラーとなって準々決勝で対戦相手をにらんでいると、ふと目に入った観客席にそれまで一度も息子の試合を見に来たことのない我が父親の姿を見つけた時、

社会人になって、後輩たちが念願の日本一の座を手にし、監督を胴上げした時、

日本武道館の思い出の各場面で、そのフレームに鮮明に写し込まれていたものが日章旗、日の丸の旗でした。

なので、インタビューを受けた時、

そういえば、今回は日の丸の旗が外されているんだよなぁ・・

という彼らには到底思いつかない気付きが頭を埋めたとたん、その事を同説明しようかばかり考えてしまい、質問に対して(それも英語で)彼らが求める正しい答えを一言も発することができませんでした。

しかし、柔道、空手の全階級・記者会見の司会という立場で、メダリストのコメントを目の当たりにしたとき、海外選手の『日本武道館で試合ができてうれしい』という言葉が多かったことに驚かされ、あらためてその意義を考えさせられました。

そして、ふと2001年の全日本柔道選手権で運営責任者の一人として、最後の仕事を終え、撤収で武道館の会場を見渡した時のことを思い出しました。

これで仕事としてこの会場と関わることはないんだよなぁ・・

と見渡した時のことを・・。

そういえば、その時の思い出のフレームには日の丸の旗はなかった・・と。

それから、20年後。

パラリンピックが終了し、会場内の造作物が撤収されているとき、同じ気持ちでいる自分に気が付きました。

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日章旗のないことを意識し見上げた天井に、心の底から湧き出る言葉がありました。

ありがとう、日本武道館

TOKYO2020最後の思い出、その時の日本武道館天井。

無機質だけど、日の丸の旗はないけど、生涯忘れないワンショットです。

スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげるテーマパークを目指すひのまるキッズ。

どんな大会でも、『日本武道館での思い』となってしまう強烈なインパクトを持つには、繰り返される長い歴史によるものが大だと確信します。甲子園もそうですよね!

いまから、ここから、とにかく、続けます。やり切ります!!

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その420;TOKYO2020⑦~男の背中~)

漢の背中

パラリンピック柔道が終了後、休む暇もなく現場復帰。

先週は、10月31日のスポーツひのまるキッズ北信越小学生柔道大会のご協賛のお願いで富山へ。十数件の企業周りをさせていただきました。

この時期の訪問を受けていただいた企業の皆様には、全て前向きなご回答をいただきました。感謝の気持ちとともに、いかにして安心安全な大会を実行するかというミッションで改めて気の引き締まる思いがしました。

さて、今回のタイトル

男の背中

みなさん、過去を振り返ってみてください。何人の背中を思い出しますか?(もちろん、女の背中大歓迎です!)

夢ばかり追いかけている我が人生。好き勝手なことをして周りを振り回し続けていたので、あまり人の背中を見てどうの・・ということは無かったように思えます。

そんな中、

物心ついた時から、朝から晩まで働き続けていた父親の背中

自分のやるべき努力を毎日毎日、コツコツとやり遂げて日本一の座を手にした大学柔道部同期の背中

右も左もわからない新人編集者だった私を、年間250日くらい自分のマンションに泊めてくださって『社会人のいろは』を教えてくださった編集長の背中

社会人となって人生の転機を迎えるたびに大きなジェスチャーと力強い眼光、そして優しい笑顔で導いてくださった恩師の背中

に続いて、久々に心に焼き付く男の背中を見ることができました。

それが、巻頭の写真です。

TOKYO2020オリンピック柔道競技設営が終了し、リハーサルで私の目の前に仁王立ちしていた組織委員会職員、池田正一さんの背中。

新聞社写真部長や東京写真記者協会事務局長などを経験し、TOKYO2020組織委員会のプレスオペレーション部職員として、三年前から着任。

ここなんかでは書ききれない様々なご経験をした三年間への想いが、走馬灯のようにグルグルを回っているんだろうなぁ・・と思いながら、同僚の豊田くんとその後ろ姿に見入ってしまっていました。

そして、

この背中を見た瞬間

ようし、こうなったら四の五の言わず、とことんやってやろうじゃないか!

と腹の底から熱いものが沸き上がってきたのを昨日のように覚えています。

背中で心を表す。

人は心で動く。

忘れられないTOKYO2020での一コマです。

スポーツひのまるキッズ協会発足から8年。9年目の第一歩を踏み出す今日。個人的には最終コーナーをどのように回っていくべきか、懸命に考えています・・、完全な答えはまだ見つかりませんが、まずは、こんな背中を持てるように丹念に漢を磨くことにします。

いまから、ここから、人生、どこまでいっても修行ですね!!

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その419:TOKYO2020⑥~食で泣く~)

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オリパラが終了して職場復帰しました。

この一週間でとにかく、会う人会う人みんなに言われることが・・

痩せましたね~

でした。

はい、ここでも触れましたが、この2か月で5キロ減りました。

それも、運動して痩せたわけでも、ダイエットで効率よく減量した訳でもなく、ただ単にゲッソリしました(笑)

しかし、振り返ると、少なくても昼と晩は組織委員会から支給していただいたお弁当をしっかりと食べ、さらに、最後の方では、スポンサーさんからいただいた飲料をがぶ飲みしていたので、そんなに痩せる要素はない、のに、ただただ、日に日に痩せていった・・というのが正直なところでした。

これは、私だけではなく、周りのスタッフの全てが同じ状況で、やはり、激務だったんだと思います。もちろん、その分、やりがいもあったので感謝しています。

さて、今日のタイトル。

もう、時効で扱いでお願いしたいのですが。

実は期間中に、数回、弁当差し入れをもらいました。line_293509140930134

経緯は内緒にさせていただきますが。

そのお弁当の美味しかったこと、美味しかったこと・・・

実家が弁当屋さんで、また、全国各地の出張先で美味しいご当地駅弁をいただいていましたので、あまり、お弁当の味に感動することは無かったのですが、

その見栄えからじっくりと堪能。

スタッフも、蓋をあけて歓喜の声、

一口食べて言葉にならないため息交じりで『お・い・し・い』

食べ終わって、

ありがとうございました!の連呼でした。

私自身、一口食べたときにその美味しさが、身体の隅々まで染み渡る・・という状態。

なんて言ったらいいのでしょうか・・

現役時代、やみくもに断食を繰り返していた減量明けで初めて飲んだポカリがじわ~っと染み込むあの感じを食で体験するとは思いませんでした。

それも別に空腹時の体験でもないので、身体が本当に欲していたものが吸収されていくといった実体験、めったにできるものではないと思います。

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今日、オンラインセミナーでもお世話になったお弁当。いただきながら、その話を朝飛先生にお話ししたので、ここにも書き留めさせていただきました!

全日本の柔道家にはお馴染みのあのお店です。

こんな人生初めての経験をさせていただいたTOKYO2020。

もう、いい思い出ですね(笑)

いまから、ここから、ありがとう! 〇山、池〇社長!!!!

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その418:TOKYO2020⑤~浦島太郎からの『ありがとう』~)

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『先輩、ちょっとお願いがあります。時間をください』

2019年、夏。かつて、同じ職場だった山田利彦から受けた一本の電話。

つい数日前、スタッフから「山田先生はTOKYO2020組織委員会で頑張っている・・苦労が多いみたいですが・・」と聞いたばかりだったので、何か相談でもあるのかな?と軽く電話を受けたところの第一声がこれ。

いつもの柔らかい言い方は変わらないものの、何か引くに引けない雰囲気を感じました。

会話はこう続きました。

『先輩しか、いないんです。先輩しか思い浮かびません。何とか引き受けてもらえませんか?』

いきなりなんだ??

と思いつつ詳細を聞くと、TOKYO2020組織委員会に所属して、日本武道館におけるメディア対応責任者を引き受けて欲しいということ。

すぐに断りました。

でも、最終的には恩師の言葉、そしてなにより利彦の情熱に絆(ほだ)されました

それがすべての始まりでした。

佐藤先生とシドニー開会式

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その410;20年!)

そして、もろもろの事情から準備不足の中、オリンピック開幕

とにかく、20年ぶりの大舞台。

周りにいる人のほとんどが見知らぬ人状態の中、正直、最初のうちはかつての思い出と重ね合わせて悦に入っていた自分がいました。

大野将平①

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その411;天命~やらなければならないこと)

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その414:TOKYO2020①~再会~)

ところが、日を追うにつれて、そんな思い出も丸ごと上書きされる出会い、感動が押し寄せてきました。

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その412;誰が為に鐘は鳴る)

オリンピック武道館チーム②

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その415:TOKYO2020②~人は心で動く~)

空手に大切なことを教わり

空手形金メダリスト

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その416:TOKYO2020③~公平、公正、敬意~)

今まで接触が薄かった人々からも新たな感動をいただきました

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その417:TOKYO2020④~涙の金メダル~)

そして、本日、パラリンピックが閉幕します。

人生の最終コーナーであえて挑んだ大きな壁。前にも書きましたが、冗談抜きで『知力、体力、気力』をとことんつぎ込む機会をいただきました。

実は、パラリンピック柔道が終了し、事実上、業務を終え残務整理をしていた私の頭から離れなかった疑問、それは、

浦島太郎のその後

でした。

何度も言うように、私にとって、20年ぶりに戻った大舞台では当初、本当に浦島太郎状態で、人、モノ、言葉に至るまで、異次元と言っても過言ではありませんでした。

ただ、この二ヶ月。そのギャップは徐々に埋まり(と信じ(笑))、たくさんの新たな絆が生まれました。失ったものは・・体重くらいでこれも良し!です。

そして、今、こう思っています。

私にとって、この2カ月は、ひのまるキッズを興してからの12年間、そして、その後の未来へのカンフル剤。

『お前、まだまだ終わってないよ。少し、気合を入れてあげよう!』

という神様のお告げだった、と。

なので、この浦島太郎の玉手箱開封はお預け、さらに挑むことに己を尽くしていこうと思っています。

勇気をもって

誰よりも先に

人と違うことをする

そして、最後にこの二か月間でかかわったすべての人、そして、わがまま代表の背中を力強く押してくれたスタッフのみんなに心から言わせてもらいます。

Thank you for everyone!!

本当にありがとうございます。

いまから、ここから、そう、玉手箱開封の時が来るまで!!

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その417:TOKYO2020④~涙の金メダル~)

 

IMG_20210822_162957TOKYO2020オリンピック柔道競技が終わってもう3週間。

これまでの人生、お陰様で様々な経験をさせていただいた我が人生の中で、

開幕から10日間。

もう一回やってみる?

と聞かれて、

いや、やれること全てをやりつくさせていただきました。

と言える経験をこの歳でさせていただいたことに、本当に感謝しています。

もちろん、これまで2回経験させていただいたオリンピックのあの時に戻れるか?と聞かれても同じ答えかもしれません。

でも、あの時とは全く違った様々な思いが交錯した経験を積ませていただきました。思いの詳細はまた後日語らせていただきます。もちろん、前回のここで書かせていただいた空手への想いもその一つ、良いこともいっぱいありました。

10日間で、4キロ痩せました。

内容は別として、朝、昼、晩としっかり食べさせていただいたし、こんなに食べたことはない!と言えるくらい差し入れのお菓子をさんざんいただきました。

のにも関わらずです。

まさに、知力、体力、気力を振り絞り吐き出しました(笑)

これは、ここで初めて経験したことではありませんが、私は究極に追いつめられるととことんハイになります。10日間の後半は、その状態が続き、主要スタッフにもそれが移って(笑)、全員がなんかちょっとしたことでも、ただひたすら笑い続けるという状態になってしまいました。

そんなときです。

午前のセッションが終わって、さあ、泣いても笑ってもこれで終わり!という午後のセッションが始まるときあたり(かと思います)に、ボランティアさんへの最後の説明を終えて人がサァーっと引いた時に、スタッフの一人がボロボロと大粒の涙を流していました。

あれ、何か問題か!?

と近づいていくと、

そこにあったのが、ボラティアさんから渡された我々スタッフへのビニール袋。

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手渡され、中身をみると、健康グッツや

『お世話になりました。ドキドキ、わくわくな毎日でした。ありがとうございました」

と書かれたメモ。

そして、巻頭の写真。手作りの金メダルでした。

その日、柔道団体は銀メダルを獲得。

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怒涛の入賞4チーム連続の記者会見を終えて戻ったデスクに置いてあった金メダルを見ながら食べた弁当の味は格別なもの。やけにショッパイ味付けのように感じたのは私だけではなかったと思います・・・。

さあて、いよいよ今週末はパラリンピック柔道。

爾今生涯。

いまから、ここから、悔いの残らないように己を尽くします。

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その416:TOKYO2020③~公平、公正、敬意~)

空手形金メダリスト

初めて目の当たりにした空手競技。

そもそも、柔道界に恩返し・・という気持ちで受けた今回のミッションだっただけに、正直、続く空手に関してそこまでの想いをもって挑んではいませんでした。

ところが、オリンピック終了後、振り返って残るシーンは空手競技でのものばかり。

もちろん、時系列的に考えるとそのイメージは後のものの方が残るのかもしれませんが、それ以上に、空手スタッフ、競技者、関係者の一挙一動に心を惹かれました。

空手競技が、初めてのオリンピック競技として認められ、絶対に成功させなければならないというスタッフの義務感

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メダルを取らなければならないということよりも、競技としての『高み』を自分たちが知らせなければならないという使命感

コーチに座例

自らの競技がワールドワイドなスポーツであると認められるために、それころ一挙手、一投足に注意を払って行動する緊張感

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スタッフは、事前準備から当日の仕切りに至るまで、何度も何度もシュミレーションを起こし、幾度となく確認、確認を実施。

選手たちは相手方のコーチに座例で敬意を表した試合後の挨拶をし、記者会見において、我がことよりもまずは空手の素晴らしさをしっかりと自分の言葉でメディアに伝えました。

関係者においては、空手がおかれた立ち位置をしっかりと理解し、常に武道家としてあるべき姿を基盤に、スポーツとしていかに世界的に通用するかと自らの言葉、行動で示していました。

公平、公正、敬意

柔道から空手に移行するときの日本武道館チームマネージャー会議において、スポーツマネージャーの村田氏が掲げた空手チームのスローガン。

大会が終わって、その意味が腹落ちしなかったスタッフはいなかったと思います。

残念ながらパリ大会では採用されないと聞いていますが、近い将来、必ず再び世界中の人々に感動を与えてくれると信じています。

そして・・・

スポーツひのまるキッズ空手大会、近い将来必ず開催いたします!!

いまから、ここから、新たな扉は開かれました!!

永瀬義規

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