恩師の言葉

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こんにちは
スポーツひのまるキッズ協会の村中です。

私が在席していた高校の柔道部は女子部員が少なく、高校の道場で練習するときはほとんど男子部員か先生と稽古をしていました。
男子部員といい稽古をさせてもらっていましたが、やはり女子と練習したいという気持ちがありました。
今まで月に1度くらいしか出稽古に行っていなかった徳山大学へ頻繁に稽古に行かせていただけることになりました。
出稽古に行かせていただくことを快く承諾してくださったのが、当時徳山大学柔道部監督だった吉岡剛先生です。
高校から車で約30分。監督、親、おじいちゃん、おばあちゃんが協力してくれて平日も行かせていただきました。
大学生の先輩たちとの練習は短期集中!短い時間の中で濃い内容の練習に最初はついていくことで精いっぱいでした。
練習中足をつることなんてしょっちゅうありました。
稽古が終わって挨拶に行くと吉岡先生は必ず、「今日はどんなことが課題として見つかったかな?」と聞いてくるのです。
稽古をする前に今日はこれをしよう、これをやってみようと目標を決めて稽古をしなさいと吉岡先生に毎回言われていました。

実は吉岡先生は柔道界では有名な方です。
私は最初、吉岡先生の過去の実績を知らずに出稽古に行かせていただいていました。

2年生になって新入部員が入ってきて、初めて高校3大大会の1つである『金鷲旗』に出場し、パンフレットを見ていた時です。
過去の金鷲旗の記録がのっていて、吉岡先生の名前があったのです。
あの山下泰裕先生に吉岡先生が準決勝で勝っていたと・・・。
「吉岡先生は山下先生に2度勝ち、最後に山下先生に勝ったのが吉岡先生なんだぞ」
高校の監督から教えてもらったとき鳥肌が立ちました。
そんな先生に指導してもらっているのか!!と、金鷲旗の前にびっくりしたのを今でも覚えています。
吉岡先生は自分から過去の実績とか話をされません。
現役時代数々の実績を残しながら自慢などは一切しない。そんな先生に対してただただ尊敬するばかりでした。

高校最後の年に近づき、吉岡先生からうちの大学に来ないか?と誘っていただきました。
体育の教員免許も取れるし、山口県内で地元なので親も安心でき、なおかつ吉岡先生に指導いただきたいという思いで迷わず進学をお願いしました。
柔道の技術、人間教育、勉学と大学に進学して先生にたくさんのことを教わりました。
特に大学4年のときは練習が終わって教官室に行き、先生、コーチ、同級生とよく話をしていました。
部のこともですが、なんてことない雑談も先生と話をしている時間が大好きでした。

先生から卒業するときに、
「どんなことがあっても前に進んでいくこと。何かあったらすぐ相談しなさい。」
と力強く優しいお言葉をいただきました。

大学の時はどんなときでも先生が後ろで支えてくださったから前に進めた。
社会人になった今、悩み事や相談事があったときは、吉岡先生に相談するようにしています。
私が今の仕事に就けているのは、吉岡先生がチャンスをくださったからです。

私にとっては吉岡先生は尊敬する恩師です。

そんな先生にまだまだご迷惑をおかけすることもありますが、先生へ恩返しできるよう日々成長していきたいと思います。

この話を書いているうちに、大学時代に戻りたくなりました(笑)。
先生、コーチ、仲間たちと一緒に汗を流して泣いて、怒って、笑ったあの4年間は何ものにも変えられない私の一生の宝物です。
私の人生、くじけず前に進んで行きます!!!

(写真は2014年12月14日に開催されたひのまるキッズ中国大会の係員として協力してくれた今の徳山大学の学生と一緒に撮った1枚です。)

一流選手が子供たちにもたらす【夢】と【笑顔】

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2月8日に開催したひのまるキッズ近畿大会では、
宮城県石巻市の木村柔道館の13名をご招待させていただきました。
今回も、復興支援プロジェクト実施にあたっては、
いろいろな人や企業にご協力いただきました。
心より、感謝申し上げます。

石巻市は柔道がとても盛んな土地柄で、
ひのまるキッズでは、今までに3つの道場を
ご招待させていただいています。
実は、木村柔道館には、これまで何度かご招待の打診をしてきましたが、
なかなかタイミングが合わず、今回ようやく実現したのでした。

残念ながら、試合では実力を出し切れず、
結果を残すことはできませんでしたが、
今回、講師をつとめてくださった平岡拓晃選手が、
石巻の子供たちを、大会前日の練習会の時から楽しませてくれたこともあり、
大会後、子供たちがとても嬉しそうにしていたのが印象的でした。

平岡選手は、石巻の子供たちだけにではなく、
前日練習会、大会当日の打ち込みコンテストや受身コンテストでも
自らの体験も交えた興味深い話をしてくれたり、
得意技の披露と指導を熱心にしてくださり、
参加した子供たちだけでなく、
親御さんや指導者にも大人気でした。

今までに、平岡選手には記者として何度か取材させていただいていますが、
試合の時の平岡選手とは異なる、優しくてユニークな一面を垣間見ることができ、
感心すると同時に、選手としてのさらなる活躍を、
応援したくなりました。

今年度のひのまるキッズでは、
子供たちや親御さんたちのご要望に応え、
現役のトップ選手や引退したばかりの一流選手たちにも
講師として参加していただきました。
テレビなどで見たことのある現役選手ということで、
子供たちだけでなく、お父さんやお母さんたちにも大変好評でしたが、
「実際に教えてもらったことで、もっと応援したくなった」という声もあり、
現役選手に来てもらうことは、選手人気、ひいては、
柔道人気を高めるためにもなるのだと
痛感したのでした。

現役選手は、試合に勝つこと、
そして、オリンピックや世界選手権という目標に向かって
鍛錬を積むことが一番の仕事です。
ただ、同時に子供たちに大きな【夢】を与える存在であることも自覚し、
子供たちに触れ合う機会を大切にしていただければと思います。
ひのまるキッズへのご協力も、宜しくお願い致します。 m(__)m

(写真:ひのまるキッズ近畿大会でご招待した木村柔道館の皆さんと講師の先生方)

スポーツひのまるキッズ事務局 林 

壁を飛び越えて

こんばんは、スポーツひのまるキッズ事務局の原です。
私はある実業団の柔道部のお手伝をさせてもらって、今年で三年目になります。

今日、選手から東京選手権の組み合わせがアップされていることを教えてもらって組合せを見てみました。 毎年のことですが、ほとんどの選手が1回戦目、2回戦目から序列的には上位の選手と戦わなければならない状況で、東京のレベルの高さを痛感させられます。

それでも、毎年、その序列通りの結果になっているかと言えば、決してそうではありません。 必ず波乱を起こし、自らの力で序列を塗り替える選手が現れます。

それでは、波乱を起こせる選手と、そうでない選手は何が違うのか?

やはり、勝つんだ!と言う気持ちだと思います。

学生を卒業し実業団になると、急に成長が止まってしまう選手を多く目にします。

その原因として考えられる幾つかの中で、一番大きな要因と思うのは、「固定観念の壁」です。

子供の頃から高校、大学と柔道を続けてくると、この選手は強いだの、この選手は曲者で厄介だの色んなマイナスの思考を植えつけられ、無意識のうちにプラスの思考や、新しい思考を排除するようになり、組み合わせを見ても、その固定観念の範囲でこの程度で負けてしまうだろうと言ったイメージをするようです。

ポテンシャルもある、努力もしている、実力もある。
あとは勝つための思考で戦略を立て、それを実践するのみ!

一人でも多くの選手が自分の殻を打ち破って、本当の自分として戦うために。

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その84:やれなかったのか、やらなかったのか…)

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第五回スポーツひのまるキッズ近畿大会が、無事終了しました。
弊社にとって、これまでで史上最小スタッフ人数での開催ということでの不安は見事的中し、バッタバタの一日でしたが、地元スタッフに支えられ、何とか形はつき、ホッと胸をなでおろしています。ありがとうございました!

そして、これで今年度のひのまるキッズの全工程が終了。

正直、嵐のような一年間でしたが、この一年振り返って…

やれなかったこと、

やらなかったこと。

冷静に考えて、私生活の問題をたてに「やらなかったこと」を「やれなかったこと」にすりかえ言い訳の一年だったように思えます。

前々回のこのブログで書かせていただいたように、今の私は、師匠の同じ頃に比べて完全に負けています。

でも、絶対にこのままでは終わりません!

来年の今のこのブログで、

できなかったこと、
できたこと。

を明確にすべく、とにかく、やれることはすべてする。

これを宣言します!

いまから、ここから、まずは踏み出します!

永瀬義規

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嬉しい悲鳴!!体重制導入により、関東大会エントリー急増進中!!

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おはようございます!!

先日エントリーを開始しました第7回スポーツひのまるキッズ関東小学生柔道大会。

体重別導入を初採用したためか、エントリー数の伸びが例年の倍になっています!!

事務局としてはうれしい悲鳴ですが、このままでいくと締め切り前に募集人数の900名に達成する可能性も大、です。

来年度最初のひのまるキッズ、関東大会は初めての参加の講師も決定しております。前日練習会も含めていまから楽しみです。

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(写真は昨年の関東大会に大集合の子供たち)

スポーツひのまるキッズ事務局 丸山

柔道の作り出すドラマと「人」の魅力を伝えたい

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日曜日のひのまる社長の絆ブログでも紹介されましたように、
この度、テレビに出演させていただきました。
そもそも、普段は取材やインタビューをする側で
されることにはまったく慣れていない私。
こんな私がテレビに出演していいものだろうかと、
お断りしていたのですが、
今回の番組『The GAME~震えた日~』
「古賀稔彦×吉田秀彦 逆境が生んだ金メダル」が、
およそ四半世紀前のバルセロナ五輪での
古賀選手と吉田選手の物語ということ。
そして、証言できる当時の記者があまりいないこともあり、
あの『バルセロナの奇跡』を現地で見た当事者として、
いまの若い人たちにもぜひ伝えたいと思い、
出演させていただくことにしたのでした。

基本的には、古賀さん吉田さんの横に座って、
ときどきコメントするという役どころではあるのですが、
収録のときは正直、かなり緊張もしましたし、
テレビに映った自分を見るのは、とても恥ずかしいものでした。
改めて冷静に見てみると、言葉の使い方が間違っていたり、
まとまりのない話になっていたり、
やっぱり素人だなぁと、顔から火が出る思い。
とはいえ、番組自体はとても面白い内容に仕上がっていましたし、
お二人から22年前には知らなかった事実も聞かされ、
いち柔道ファンとしても、とても楽しめるものでした。

私が柔道をやっていたのは小学3年生から高校3年生まで。
大学を出て、スポーツジャーナリストになりたくて
ベースボール・マガジン社に入社。
柔道専門誌『近代柔道』編集部に配属された1988年からの約27年は、
いくつか職場を変えながら、記者として、あるいは、
ファンとして柔道に関わってきました。

トップ選手の前で、「柔道をやっていた」というのが恥ずかしいくらい、
選手としては何の実績もありませんし、
偉そうなことを言えるようなものは何もありません。
でも、柔道の魅力、そして柔道に関わる「人」の魅力を語れるだけの、
多くの試合、ドラマを見てきましたし、取材をしてきたつもりです。

これからも「地道にこつこつ」ではありますが、
多くの試合を見て、柔道の作り出すドラマと選手の魅力を
伝えていきたいと思っています。

もちろん、ひのまるキッズ小学生大会での
親子の絆のドラマも伝えていきます!

スポーツひのまるキッズ事務局 林 毅

(写真 BSフジ『The GAME~震えた日~』古賀稔彦×吉田秀彦 逆境が生んだ金メダル 1992.7.31 収録中のワンカット)

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その83:林、GOOD JOB!!)

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『実は、各界の素晴らしいワンシーンにまつわる話を特集する番組を企画していまして・・
その中で柔道ではどのシーンが良いのか、相談にのってください!!』

テレビ業界の知り合いの中で特に尊敬している先輩からのお話だったので、否応もなく企画からお手伝いをさせていただいた番組が先ほど無事放送を終えました。

正直、最初は山下vs斉藤を取り上げようとして、(今だから言える斉藤先輩の体調が原因のため)それよりも私が一押しとして半ば強引に勧めたのが古賀と吉田の物語でした。

もちろん、我々の年代ではこれを知らない人はいませんが、もう20年以上前の出来事。

はっきり言って賞味期限切れ感がなかったわけではありませんが、全柔連問題、芳しくない試合成績・・というこの柔道界の状態を払拭するにはこのシーンの再現しかないという確信と、絶対に今の視聴者にも感動を与えるはずだという自信はありました。

結果は・・・。

もちろん、素晴らしいものに仕上がったと、BSフジの番組スタッフに敬意を表する次第です。

そして、私事ですがこの番組にはもう一つの思い入れがありました。

それは、弊社・執行役員の林毅の共演でした。

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林と出会ったのは、1988年。

そう、番組でも取り上げられたソウル五輪の年でした。

近代柔道の編集長と新人という関係から始まり、それから離れていた時期はありましたが、現在までのほとんどの時間を共有し、7年前にジャパンスポーツコミッションを一緒に立ち上げてからも今まで苦労を共にしています。まさに表裏一体。

ここで改めて紹介はしませんが、業界で知らない人はいなく、私の知っている限り日本一の柔道ジャーナリストと言っても過言ではない林ですが、前述したとおり私とずーと上司と部下、そして表裏一体。

「見て見て、俺、俺(笑)」の永瀬が表に出れば出るほど、本人自ら『私は黒子に徹します』というようにこの男は裏、裏に隠れていました。

そんな彼が、今回、ほとんど初めて表面化した(失礼)この番組。

自分の出演よりもドキドキものでしたが、無事にその大役を務めていました。

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人という字は二人の人間が支えあっていると書きます。相手が欠けたら『人』は成り立ちません。

古賀稔彦、吉田秀彦の素晴らしい関係が引き起こしたあの『奇跡』のように、

近い将来、『そんなこと、絶対に事業として成功するわけはない』といわれたひのまるキッズを成功に導き、この林毅をはじめとする残った数少ない仲間と、その素晴らしい関係に声高らかに祝杯をあげることが私の夢の一つです。

いまから、ここから、思いは必ず叶います! いや、叶えます!!!

永瀬義規

ひのまるキッズ九州大会マナー賞決定!

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こんにちは!

1月25日(日)KIRISHIMAツワブキ武道館にて開催された『第6回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会』のマナー賞を、ひのまるキッズ九州大会公式ブログにて発表しております。
今大会も、勝っても負けても最後まで素晴らしい礼をした選手たちが受賞されました!
選手のみなさんは柔道が強いだけではなく、礼儀礼節を重んじてこれからも柔道に取り組んでください。
受賞された選手、ご家族、所属道場様、おめでとうございます!

★第6回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会ブログ★
大会結果も掲載中!
http://hinomaru-kids.jp/kyusyu6/

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その82:斉藤先輩、見ていてください。そして、いままでありがとうございました)

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おい、永瀬。お前がやっていることは間違っていない。誰が何と言っても俺は応援すっからな!

昨年、電話で話した時、これがまさか最後の言葉になるとは思いもよりませんでした。

28年前、近代柔道編集長の時には「おい、せっかく編集長になったのだから全面的に協力するよ」と言って「斉藤仁の一本お願いしまッス」というコーナーを開設。

アメリカから戻って、初めて日本選手団入りを果たしたアトランタ五輪でも周囲の誹謗中傷に「おい、永瀬は全競技の広報責任者となったんだよ。柔道界としては誇りに思うべきだ。俺は絶対に応援するよ!」

シドニー五輪後、全柔連を辞めるときにも周囲からあることないこと言われた時には「おい、これからはマスコミとして柔道界を盛り上げていけるんだから思う存分やればいい、俺は応援するよ」…

そして、会社を作ってひのまるキッズを始めたときも、「良い大会だ! これが今の柔道界には必要なんだよ!! 俺は何でもするから言ってくれ!応援する!!」と度々会場に足を運んでくださいました。

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いつも、いつも、顔を見ると心配ばかりしてくれて、応援する、応援するって・・・

死んでしまっては、その応援に応えることはできないじゃないですか・・・・・・・・
あまりにも若すぎる別れに、悲しみは尽きません。

でも、その『思い』はしっかり素晴らしいDNAと共に残されています。

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謹んでお悔やみ申し上げるとともに、応援してくれた斉藤先輩の気持ちにこたえるためにも、ひのまるキッズをもっとしっかりとしたものに育て上げようと心に誓っています。

稀代の柔道家、斉藤仁先輩、お疲れ様でした!! ありがとうございました!!

そして、今後も応援、よろしくお願いいたします!!
合掌

いまから、ここから、必ずやりきります!!

永瀬義規

p.s.数日前の林の投稿とダブってしまいましたが、どうしても残しておきたかった独り言でした。

斉藤仁先生、安らかにお休みください

斉藤先生夫妻

最後にお話ししたのは11月の末でした。
グランドスラム東京の展望・見所の取材。
体調が思わしくなく、入院しているという噂も聞いていたので、
取材の申請はしたものの、取材させていただくのは難しいかなぁと
思っていたところに、斉藤先生のほうからお電話をいただいたのです。
「林ちゃん、この前は取材受けられなくてゴメンね。
いまちょっと病院なんだけど、時間あるから、いま話できるよ」
斉藤先生は、自分の体調が思わしくないにもかかわらず、
私のしていた取材依頼を気にとめてくれていて、
病院での検査の合間に連絡をくれたのでした。
「体調の悪いところすみません。大丈夫なんですか?」と聞くと、
「大丈夫だいじょうぶ、元気なんだけど、
数値があまりよくないみたいなんだね。でも、ホント元気だから」
おそらく斉藤先生は、私に心配させまいとして、
元気な様子で話してくれたんだと思います。

先生への取材は、40分近かったと思います。
途中、何度か「まだお話ししていても大丈夫ですか?」と聞いても、
「大丈夫だいじょうぶ」と、その後も、昔話や雑談も交えながら、
本当に熱く、いまの柔道界、選手のことを話してくれました。
あっという間の40分。斉藤先生と話した時間は、
とても楽しいひとときでした。
もはやかなわないことですが、
もっともっと、いろいろなお話を聞きたかったとつくづく思います。
「あとは、いつも通り、うまくまとめておいてよ。頼むね」
「先生、早く良くなってくださいね」
それが、斉藤先生と交わした最後の会話でした。

斉藤先生との付き合いは、私が柔道専門誌『近代柔道』の
編集部に配属された1988年、斉藤さんが全日本選手権で優勝し、
ソウル五輪で日本の最後の砦を守ったあの年からです。
結果的に、現役最後の年となったこの年の斉藤さんは、
新米記者の私にとっては、近づき難く、畏れ多い存在でした。
4月29日に行なわれた全日本選手権は、
ソウル五輪の代表をかけた戦いとして世間からの注目度も高く、
斉藤選手、正木嘉美選手、小川直也選手の
三つ巴の戦いの緊迫感はものすごいものでした。

全日本選手権からソウル五輪が終わるまでの数カ月間、
斉藤さんはボロボロの身体に鞭打って戦い続け、全日本選手権を初制覇、
そして、ソウル五輪で、オリンピック連覇を果たしました。
ソウルオリンピック決勝のときの気魄あふれる表情は、
いまもはっきりと覚えています。

現役を引退された後、仕事でご一緒することが多くなり、
バルセロナ五輪の時も、現地で食事に行ったりしました。
二人で夕食を食べに、街に出たときのこと、
下調べもせずに入ったステーキハウスで、
ショーケースに並べられた1ポンド(500g弱)のフィレ肉を指さし、
「フィレ、ドス(2つ)」とオーダー。
約1キロの肉をペロリと平らげたときは
「さすが斉藤さん」と驚いたものでした。

最近は、全日本柔道連盟の強化委員長という一面のほかに、
二人の子供のお父さんという立場で注目されることも多くなっていました。
スポーツひのまるキッズの大会にも、
二男の立(たつる)君、奥様の美恵子さんとともに、
何度か出てくださいました。
数年前、足を引きずっている斉藤先生に、
「どうしたんですか?」と聞くと、
「いやぁ、軽い気持ちで息子の打ち込み受けたら、
一発で肉離れ起こしちゃったよ」と、
痛そうにしながらも、ちょっと嬉しそうな表情で
話していたことも思い出されます。

高校1年生と中学1年生の息子さんを残し、
54歳という若さで逝くことになってしまったことは、
本当に無念だったと思います。
斉藤先生のご冥福をお祈り申し上げるとともに、
ご子息のご活躍を、心より応援しています。

斉藤先生、ありがとうございました。

斉藤先生と立

(写真上下:2012年のスポーツひのまるキッズ東北小学生柔道大会で美恵子夫人とともに立君の試合を見つめる斉藤先生。この大会で立君は5年生男子無差別で優勝。大会MVPに輝いた)

スポーツひのまるキッズ事務局 林 毅