いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その82:斉藤先輩、見ていてください。そして、いままでありがとうございました)

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おい、永瀬。お前がやっていることは間違っていない。誰が何と言っても俺は応援すっからな!

昨年、電話で話した時、これがまさか最後の言葉になるとは思いもよりませんでした。

28年前、近代柔道編集長の時には「おい、せっかく編集長になったのだから全面的に協力するよ」と言って「斉藤仁の一本お願いしまッス」というコーナーを開設。

アメリカから戻って、初めて日本選手団入りを果たしたアトランタ五輪でも周囲の誹謗中傷に「おい、永瀬は全競技の広報責任者となったんだよ。柔道界としては誇りに思うべきだ。俺は絶対に応援するよ!」

シドニー五輪後、全柔連を辞めるときにも周囲からあることないこと言われた時には「おい、これからはマスコミとして柔道界を盛り上げていけるんだから思う存分やればいい、俺は応援するよ」…

そして、会社を作ってひのまるキッズを始めたときも、「良い大会だ! これが今の柔道界には必要なんだよ!! 俺は何でもするから言ってくれ!応援する!!」と度々会場に足を運んでくださいました。

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いつも、いつも、顔を見ると心配ばかりしてくれて、応援する、応援するって・・・

死んでしまっては、その応援に応えることはできないじゃないですか・・・・・・・・
あまりにも若すぎる別れに、悲しみは尽きません。

でも、その『思い』はしっかり素晴らしいDNAと共に残されています。

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謹んでお悔やみ申し上げるとともに、応援してくれた斉藤先輩の気持ちにこたえるためにも、ひのまるキッズをもっとしっかりとしたものに育て上げようと心に誓っています。

稀代の柔道家、斉藤仁先輩、お疲れ様でした!! ありがとうございました!!

そして、今後も応援、よろしくお願いいたします!!
合掌

いまから、ここから、必ずやりきります!!

永瀬義規

p.s.数日前の林の投稿とダブってしまいましたが、どうしても残しておきたかった独り言でした。

斉藤仁先生、安らかにお休みください

斉藤先生夫妻

最後にお話ししたのは11月の末でした。
グランドスラム東京の展望・見所の取材。
体調が思わしくなく、入院しているという噂も聞いていたので、
取材の申請はしたものの、取材させていただくのは難しいかなぁと
思っていたところに、斉藤先生のほうからお電話をいただいたのです。
「林ちゃん、この前は取材受けられなくてゴメンね。
いまちょっと病院なんだけど、時間あるから、いま話できるよ」
斉藤先生は、自分の体調が思わしくないにもかかわらず、
私のしていた取材依頼を気にとめてくれていて、
病院での検査の合間に連絡をくれたのでした。
「体調の悪いところすみません。大丈夫なんですか?」と聞くと、
「大丈夫だいじょうぶ、元気なんだけど、
数値があまりよくないみたいなんだね。でも、ホント元気だから」
おそらく斉藤先生は、私に心配させまいとして、
元気な様子で話してくれたんだと思います。

先生への取材は、40分近かったと思います。
途中、何度か「まだお話ししていても大丈夫ですか?」と聞いても、
「大丈夫だいじょうぶ」と、その後も、昔話や雑談も交えながら、
本当に熱く、いまの柔道界、選手のことを話してくれました。
あっという間の40分。斉藤先生と話した時間は、
とても楽しいひとときでした。
もはやかなわないことですが、
もっともっと、いろいろなお話を聞きたかったとつくづく思います。
「あとは、いつも通り、うまくまとめておいてよ。頼むね」
「先生、早く良くなってくださいね」
それが、斉藤先生と交わした最後の会話でした。

斉藤先生との付き合いは、私が柔道専門誌『近代柔道』の
編集部に配属された1988年、斉藤さんが全日本選手権で優勝し、
ソウル五輪で日本の最後の砦を守ったあの年からです。
結果的に、現役最後の年となったこの年の斉藤さんは、
新米記者の私にとっては、近づき難く、畏れ多い存在でした。
4月29日に行なわれた全日本選手権は、
ソウル五輪の代表をかけた戦いとして世間からの注目度も高く、
斉藤選手、正木嘉美選手、小川直也選手の
三つ巴の戦いの緊迫感はものすごいものでした。

全日本選手権からソウル五輪が終わるまでの数カ月間、
斉藤さんはボロボロの身体に鞭打って戦い続け、全日本選手権を初制覇、
そして、ソウル五輪で、オリンピック連覇を果たしました。
ソウルオリンピック決勝のときの気魄あふれる表情は、
いまもはっきりと覚えています。

現役を引退された後、仕事でご一緒することが多くなり、
バルセロナ五輪の時も、現地で食事に行ったりしました。
二人で夕食を食べに、街に出たときのこと、
下調べもせずに入ったステーキハウスで、
ショーケースに並べられた1ポンド(500g弱)のフィレ肉を指さし、
「フィレ、ドス(2つ)」とオーダー。
約1キロの肉をペロリと平らげたときは
「さすが斉藤さん」と驚いたものでした。

最近は、全日本柔道連盟の強化委員長という一面のほかに、
二人の子供のお父さんという立場で注目されることも多くなっていました。
スポーツひのまるキッズの大会にも、
二男の立(たつる)君、奥様の美恵子さんとともに、
何度か出てくださいました。
数年前、足を引きずっている斉藤先生に、
「どうしたんですか?」と聞くと、
「いやぁ、軽い気持ちで息子の打ち込み受けたら、
一発で肉離れ起こしちゃったよ」と、
痛そうにしながらも、ちょっと嬉しそうな表情で
話していたことも思い出されます。

高校1年生と中学1年生の息子さんを残し、
54歳という若さで逝くことになってしまったことは、
本当に無念だったと思います。
斉藤先生のご冥福をお祈り申し上げるとともに、
ご子息のご活躍を、心より応援しています。

斉藤先生、ありがとうございました。

斉藤先生と立

(写真上下:2012年のスポーツひのまるキッズ東北小学生柔道大会で美恵子夫人とともに立君の試合を見つめる斉藤先生。この大会で立君は5年生男子無差別で優勝。大会MVPに輝いた)

スポーツひのまるキッズ事務局 林 毅

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その81:先生、勝負です!!!)

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先日、公私ともにお世話になっている人生最大の師匠、佐藤宣践先生と新年のご挨拶と近況報告ということでお会いしました。

じっくりお会いするのは、なんと一年ぶり。

本当に久しぶりにお会いできたことで、2時間近く一方的に話しまくりました(笑)

先生は、その話をうん、うん、と真剣に聞いてくださいました。

そして、一言。

『永瀬、俺はもう71歳。これからは枯れていくのみ・・・。体力的にも精神的にもガタがきているよ・・。
でもな、自分の人生を振り返って50台が一番仕事ができた。60歳になったらガクッとくるけどね(笑)』

先生が私の歳、19年前といえば1996年、そうアトランタ五輪の年でした。
前年の幕張世界柔道のためにアメリカから先生にほぼ強制的に帰国させられた私は、その年、アトランタの地に先生とご一緒していました。

そこから4年後の、先生は日本選手団総監督、私も二回連続のプレスアタッシェとして参加したシドニー五輪までとにかく、先生の背中を追っかけるのに呼吸も忘れて必死になっていたことを思い出しました。

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最近、特にこの一年、公私ともに疲れがひどく、
もう自分の人生は終わりが見えてきて、どう整理をするか・・みたいなことばかり考えていました。

でも、先生とお会いして、

おいおい、やっとあの時の先生の年齢に追いついたばかりじゃないか!

これからが勝負なんだ、と熱いものがガツンガツンと込み上げてきました。

先生が越えてきた試練、先生が築いてきたもの、先生が残してきた実績。すべてにおいてこれからの私にとって挑戦に値するお手本であり、何一つ、追いついていないのが実状。

先生に追いつき追い越すには、この先、もっと凄い試練が待っていると思います。

神様は乗り越えられる試練しかその人には与えない、と聞きます。

ならば、神様に認めてもらい次の試練を与えられるまで、当時の先生に負けない努力をし続けなければなりません。

そのためにも心身ともに充実させ、今まで以上に一日一死の思いで生きていこうと思っています。

いまから、ここから、師匠との勝負は始まったばかりです。

永瀬 義規

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2014年 一番の思い出 夏合宿

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2014年も残すところ数時間。
日記を書く習慣はないのですが、
スケジュール帳で1年を振り返ってみると、
今年もいろいろやってきたなぁと
感慨深いものがあります。

私にとって、今年もっとも印象に残っていることは、
ひのまるキッズ初の夏合宿です。

準備不足(募集期間の短さ)などもあり、
参加してくれた子供は少なく、ビジネスとしては
成功と言えるものではありませんでした。
でも、参加してくれた子供、そして、ひのまるキッズを信頼し、
大切な子供を参加させようとしてくださった親御さんたちの気持ちに
なんとか応えようと、スタッフみんなが一生懸命に知恵を絞り、
力を合わせ、全力でぶつかった3日間でした。

訪れた宮城では、現地の多くの人に助けていただきました。
道場の手配から被災地の案内までしてくださった
山元町柔道スポーツ少年団の南條幸夫先生。
道場の皆さんとの交流は、合宿に参加した子供たちにとって、
非常に有意義なものだったと思います。
快く道場を提供してくださった東北高校の大久芳輝先生。
東北高校の高校生たちは、小学生の稽古の相手も務めてくれました。
また、超多忙な中、東京から駆けつけ、
講師を務めてくださった朝飛大先生にも大感謝です。
皆さん、本当にありがとうございました。

私にとっても、被災地の現状は非常に衝撃的でした。
3年前の岩手県宮古市以来の被災地訪問でしたが、
復興が進んでいる場所もあれば、一向に進んでいない場所もあり、
とても考えさせられるものがありました。
ひのまるキッズとしても、これからもなんらかの形で、
復興支援を続けていかなくてはならないと痛感したのでした。

合宿の後に、参加した子供たちから届いた手紙やメール、
そして、その後のひのまるキッズの大会で会った時に見せてくれた
はにかんだような笑顔は、なんとも言えない喜びを感じさせてくれました。

ひのまるキッズの大会においても、
参加選手たちの成長を見ることは、
最大の楽しみと言っていいかもしれません。
でも、強くなったところを見たいというわけではありません。

今年、関東大会と東海大会は第6回大会を迎え、
6回連続出場の選手を表彰させていただきました。
当然ですが、上位に入賞している子ばかりではありません。
でも、柔道をずっと続けてきたこと、そして、
ひのまるキッズの大会に6年続けて出場したことは、
本当に素晴らしいことだと思います。
「継続は力なり」
やり続けることができること、
努力し続けることができることは立派な才能です。
たとえ、柔道が強くならなかったとしても、
きっとなにかに役立つ時がくるはずです。

私自身も、子供たちに負けないよう、
しっかり努力していきたいと思います。

今年最後のブログが、まとまりのないものになってしまい、すみません。
2014年、絆ブログをご覧いただいた皆様、
どうもありがとうございました!

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(写真上:夏合宿のひとコマ。東北高校、仙台市・石巻市・山元町の子供たちと。
写真下:山元町の沿岸にある中浜小学校とその周辺。震災前、住宅地だった場所は草原のようになったままだ)

スポーツひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その78:足を引っ張らず、手を引っ張りなさい!!)

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2014年も残るところあと4日。みなさんはどんな一年だったでしょうか?

私にとっては・・・、

正直、これまでの人生の半分を共有していた『私生活』が、すべて自分だけのものとなり、

生まれて初めてのことだらけの連続で、本当にアッという間であり、なおかつ、今までの
何十倍も濃~い一年でした。

とにかく、毎日、毎日、仕事以外のことで一杯一杯になってしまい、それがそのうち変な
充実感に変わって、でも実際は時間的にも仕事の面で足を引っ張っていた・・と数日前までは
反省し、落ち込むことも多々ありました。

そして、それが・・

ひのまるキッズの営業数字の悪化の原因だ。どうしよう、どうしよう・・と思い、気持ちばかり
が焦り、そのうち・・、

参加人数減や、さらに自身の体調悪化につながっているのではないかと、考え始める自分がいました。

その都度、「いまから、ここから!」って気持ちを奮い立たせてなんとか心身ともにギリギリの
ところで持ちこたえていたのは事実です。

でも、先日、大学の納会で、OB会長が話していた大先輩の言葉で一瞬にして目が覚めたのです。

話の内容はよくある話で、最近の柔道界に対しての様々な話でした。あまり好きではない内容なので話半分で先輩方(事情通の)話を聞いていたところ、話の中心は、登場人物は変われどすべてが、

○○さんが●●さんの足を引っ張って・・

ということでした。

あ~あ、またその話か・・

と、立ち上がろうとした瞬間、会長が、

足を引っ張らないで、手を引っ張ってあげるんだよ!!

と突然、大きな声で一言。

よく聞くと、会長も数日前、同じような話で盛り上がっていた宴席で(私もかつて大変お世話になった)大先輩が沈黙からいきなり開口一番に放った言葉だったとのこと。

それを聞いた途端、私の中にあったウジウジ君がスパーンと弾けました。

そうだ、この一年の苦労は仕事の足を引っ張っていたんではなく、自分を人間として成長させるために手を引っ張ってくれていたんだ!

よし、もう後ろを見ることはしない、いや、もともと後悔なんてできるわけがない、だって後ろを見ている暇なんて忙しくて俺にはないんだよね!!

その二日後、講道館の上村館長と1時間強、じっくり腹を割って話をしました。

内容は、時期が来たらしっかりと発表しますが、

嬉しいことに30年間で初めてやっていることをしっかりと褒められました(笑))^o^(

そして、その後にご挨拶した嘉納名誉館長に

「あんた、そこまで自分の資産投げ出して・・、治五郎さんみたいだね」

と言われた時には、涙をこらえるので精一杯でした(^_^;)(笑)

いまから、ここから、一皮むけたひのまる社長、来年は暴れますよ(笑)!!!

みなさん、よいお年を!!!(巻頭の写真は今年年始の挨拶での館長とのツーショットです)

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その75:もし、選タクシーに乗れたら・・)

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『人生は選択の連続であり、一度選んだら後戻りはできないもの。
しかし、誰にでも「もしあの時、別の道を選んでいたら…」と後悔することがあるはず。
では、もしも本当に過去に戻ってやり直すことができたら…?

過去に戻ることができる不思議なタクシー運転手と様々な乗客による、
1話完結型の“人生”再生エンターテインメント!』・・・・・。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/sentaxi/

竹之内豊さんが不思議なタクシー運転手役となり、お客さんを戻りたい時に
戻す番組がある。

もし、自分がその乗客になったら、間違いなく、いくらかかっても一年前の
今日に戻して欲しい・・と思っています。決してしてはいけない大失敗をしたあの日・・。

その詳細は分かる人だけにしかわかりませんが、

たぶん、死ぬまでずっとそれを悔やむ気持ちは変わらないでしょう。

でも、そんなことは現実に起こるわけではなく、過去を悔いる人生を生涯送るほど暇人ではありません。

ただ、選タクシーに乗れなくても、一瞬のうちに過去に戻ってしまうことがあります。

私にとって、それは、大学時代『同じ釜の飯』を食べた親友たちとの時間。

昨夜、その親友たちと合同誕生日会をしました。

一緒に祝ってくれる周りのメンバーは変わったとしても(変わらないことを願うけど)、
この三人の死ぬまで切れないと思える『絆』がある限り、その思い出は永遠のものです。

私の使命は、ひのまるキッズで一人でも多くの子供たちに、一番深い『絆』を持つ親御さんと
一生涯の思い出つくりをすること。

参加者の親子にもそうですが、協賛してくれた企業のみなさん、運営に協力してくれている柔道連盟の先生方、学生、そして我々スタッフにとっても

「ああ、あの時に戻りたいね!」

って少しでも思い出してもらえるひと時を創出するために、己をとことん尽くそうと思っています。

いまから、ここから、そう、俺は一人じゃない。

永瀬 義規

 

 

「3年連続で1回戦が同じ相手なんですが」!? …トーナメント作りの裏側

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いま、スポーツひのまるキッズの大会事務局では、
12月14日開催の中国大会のトーナメント作成に取りかかっていますが、
このトーナメント作成が、結構大変なんです。

大会(階級)によってはエントリー人数が100人を超えるため、
叩き台作りから完成まで、結構な時間がかかります。
一応、完成した後には、別のスタッフが最終確認をしますが、
そこでも数時間を要します。

トーナメント作成のソフトもありますが、
ひのまるキッズに関しては、
道場、県、地区、体重などなど、設定する条件が多いため、
叩き台としては使えても、結局最後は、
スタッフの手作業にならざるを得ません。

トーナメント作成において、まず考えるのは、
同じ道場の選手同士が早々に対戦しないようにすること。
さらに、同じ県同士もなるべく早くにあたらないように、
バランス良く配置します。
ひのまるキッズは、オープン大会ですので、
全国津々浦々、多様な都道府県から参加していただいています。
なので、例えば、中国大会にわざわざ東北・宮城から出場したのに、
2回戦で同じ宮城や岩手の、県大会や東北大会で対戦したことのある選手と
あたるようでは、少し残念ですよね。
なので、同じ地区の選手もなるべく離すようにしています。

あと、無差別においては、選手一人ひとりの体重もかなり考慮に入れます。
6年生くらいになると、100kgを超える選手もいたりします。
6年生の軽量級は50㎏以下ですから、
50㎏ちょっとの選手と100kgを超える選手が
初戦であたってしまうこともあり得るのです。
ケガ防止を第一に考え、1回戦はあまり体重差のある対戦に
ならないように心掛けています。

細心の注意をして作成しているトーナメントですが、
それでも、過去には同じ道場の選手が2回戦で
あたってしまったということもありました。

スポーツひのまるキッズのホームページ(ブログ)で、
事前に、トーナメントの発表を行うのは、
名前の記載漏れがないか、
男子なのに、女子の部のトーナメントに
入っているといったことがないか
(エントリー用紙の記入間違いで、実際にあった事例)、
エントリーした階級と異なっていないか、
といったことを確認してもらうためですが、
トーナメントを作成したスタッフは、
発表後しばらくは、かなり緊張した状態です。

トーナメントの変更・修正は、
大会事務局のミスによるものや、特別なことがない限りは行いません。
「相手の選手とはつい最近、他の大会で対戦しているので変えてもらえませんか」
というお問い合わせをいただいたこともありましたが、お断りしました。
1人を動かすことで、大幅な修正が必要になるのと同時に、
一度発表しているため、修正・変更した別の選手にも連絡し確認をとるなど、
大変な作業が出てくるのです。
でも、ただ一度だけ、「3年連続で1回戦が同じ相手なのですが…」
というお電話をいただいた時は、さすがに、変更させていただきました。
30人以上出場していたトーナメントだったので、
まさかそんなことが…とスタッフ一同とても驚いたことを覚えています。

トーナメント発表の日は、
おそらく選手や保護者の皆さんも、ちょっとドキドキしているのかと思います。
実は、私たちスタッフも、別の意味でドキドキしているのです。
勝負の世界なので、勝って喜ぶ選手もいれば、負けて悲しむ選手もいます。
勝っても負けても、その試合が良い経験になればいいなぁと思いますし、
そんな試合が生まれるトーナメントになればなぁと思いながら、
一生懸命作っています。
今回は、トーナメント作成の裏側をご紹介しました。

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ひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その73;やる気のあるやつ、かかってこんかい!!)

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人生70年だとしても、大学を卒業してから約50年あります。先生は学生の人生を22年間で終わらせるつもりですか??

十数年前、世界で一番尊敬している師匠にに食って掛かったことがあります。

柔道を、スポーツを、職業として考えるとき、すぐに上がるのがプロ選手。

柔道で言えば、それがプライドやかつてのK-1みたいな格闘家につながるのだと思いますが、私は、柔道、スポーツ(体育)を教える教員を初め、スポーツを紹介する記者、スポーツイベントを開催するイベンター・・・
様々な形でスポーツで飯を食っている人たちはすべて『スポーツのプロ』だと言えると思っています。

冒頭の話は、

○○大学体育学部武道学科、ましては柔道専攻なんて学部を卒業する学生が胸を張って

『私は道場経営で身を立てます』

という学生がいないのはおかしい、そもそも学校で武道が取り上げられるのは(のちに中学で必須になるのですが・・)、武道が素晴らしいからでしょう。オリンピックを育てるためではない。だったらどうしてそんな素晴らしい武道をしっかり教える道場で生計を立てられないのか・・。

大学を卒業したらそれでおしまいではなく、我々は彼らのステージもしっかりと作り上げなければならないのではないか・・。

ということで議論になってしまったのです。

そして、職業としてスポーツに対して、真っ向勝負で己の尻に火をつけて死に物狂いで取り組むこと、を大義に6年前に立ち上げたのがジャパンスポーツコミッションでした。

結果は・・・

経営者としては大失格。

本当に尻に火が付き、毎日、毎日、何年も追い込まれる日が続きましたが、

でも、信頼できる社員、賛同してくれるスポンサー、そして、なにより応援してくれる皆さんのおかげでなんとかその方向性が定まりつつあります。

東京五輪に向けて、個人的には本当に身に余るオファーを頂いたりしましたが、すべてお断りし、今、己がすべきことと信じている『ひのまるキッズ事業』に一日一死で取り組んでいます。

そんな、我社も来年、なんとか新入社員公募をすることになりました。

採用は1~2名しかできませんが、

スポーツを、柔道を職業として、一緒に尻に火をつけて(笑)、己をとことん尽くせる人がいれば、自薦他薦は構いませんのでぜひとも応募・チャレンジしてもらいたいです。

http://www.japan-sc.co.jp/rec.html

まさに、いまから、ここから、を共に踏み出すガッツのある男女、どんどんかかってきてください!!!

永瀬 義規

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講道館杯で感じた「光と影」

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先週末に行なわれた講道館杯、
私も2日間、会場で観戦をしていました。
今回の講道館杯は、名目上は来年(2015年)の世界選手権の
日本代表選手第一次選考試合ということになっていますが、
実際には、さ来年2016年のリオデジャネイロ五輪の選考会でもあり、
階級によっては、今大会での敗北が、
リオ五輪代表のマッチレースからの脱落を意味すると
言っても過言ではなかったのです。

今大会では、今年の世界選手権代表とアジア大会金メダリストは
出場が免除されていましたから、その選手たちは、
代表候補として認められた存在と言えるでしょう。
階級によっては、この時点ですでに代表候補が3名確定。
候補として考えられるのは各階級せいぜい4~5名ですから、
優勝することだけが、リオ五輪代表マッチレースに生き残る
最後のチャンスだった階級もありました。

そのことを十分に理解し、“負けたら引退”という
背水の思いを胸に戦い、見事、生き残った選手もいます。
逆に、夢破れ、静かに決断をした選手もいたと思います。

勝ち残ったとしても、それが終わりではなく、
その先には、さらに険しい“いばらの道”が待っているのは間違いありません。
それでも、自らの力を信じ、前に進もうとする選手を
心から応援したいと思います。

今回の大会では、希望に満ちあふれた若手の台頭もありました。
あどけなさの残る高校2年生の阿部一二三選手と嶺井美穂選手です。
まだ17歳だから、2020年の東京五輪を狙ってほしいという声もありますが、
6年も先のことを、いったい誰がわかるというのでしょうか。
トップクラスだった選手が、2~3年で、
姿を消してしまった例を山ほど見てきています。
だからこそ、この2人の高校生にも、
しっかりと「リオ五輪」を目標に定めて、
真剣に狙ってほしいと思います。

講道館杯の結果を受けて、12月に行なわれる
グランドスラム東京や、その他の国際大会の代表も
決まってきました。

選手たちにとっては、これからの一戦一戦が
まさに“勝負”だと思います。
ケガだけは気をつけて、
最後まで悔いを残さない戦いをしてほしいと思います。

ひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その69:応援する側と応援される側、深い『絆』に必要なのは心底からの感謝の気持ち

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前回の独り言をアップしてから、一週間、ぶっ通しで出張に出て、今、帰宅しました。

毎日のFBでのアップで詳細はご報告していますとおり、今回も様々な感動をいただきました。

ただし、今回は正直、最近では一番反省が多く残った日々を過ごしました。

まずは、応援していただく立場として・・・

一つ一つは、私の心の中にがっつりと刻み込むとして、まず、応援していただく側、つまりご協賛をいただくための面談、アポイントメントに関しては、新規では、ものすごくいい出会いもありましたが、既存のクライアント、ビジネスパートナーに対してのフォローが全くなっていなく、これは本当に反省、反省、猛反省・・です。

これは、一言でいうと応援していただいている相手への感謝の気持ちが足りないということでした。

少しばかり、ひのまるキッズが世間で認められ始めたと言って、正直、傲慢になりかけている自分の愚かさが身にしみました。

これに関しては、もう一度、初心に戻ってそれぞれの方々に心の底から感謝の気持ちをもって接していこうと思っています。これは、ここで改めて約束します。

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そして、応援する立場としても、己の未熟さを目の当たりにした経験もさせていただきました。

本日、全日本学生体重別団体戦で、大変残念な負け方をした母校の後輩たちに対して、現場の指導者に対して全く何もできていない自分に茫然としてしまいました。

いくつか前の『独り言』でもつぶやき、反省したつもりでしたが、全くなっていませんでした。

泣きじゃくる者、ふてくされる者、放心状態の者・・・。

誰に対しても、当たり前のことを、偉そうなことを言っても自分自身はできているだろうか?

応援していただくときにも、するときにも、一番必要なのは信頼関係。

それを構築し『絆』としてもっと深く太くするには、誠意をもって臆することなく知ってもらう、知る、努力をとことんしなければならないのに、心の底から感謝の気持ちを持つことを、自分自身、周りのすべての人、いや、己に胸を張ってそれをやっているって言えるのだろうか???

答えは、まだまだ、まだまだ・・でした。

52歳になって一週間で、大外刈りで思いっきり頭から落とされたような経験をした一週間。

将来、このつぶやきを見て、

「おいおい、俺はなんとかできたじゃないか!!!」

と言えるように、明日、いや、今から前に進みます!

いまから、ここから、一に努力、二に努力、三、四がなくても五に努力です!!

永瀬 義規