いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その84:やれなかったのか、やらなかったのか…)

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第五回スポーツひのまるキッズ近畿大会が、無事終了しました。
弊社にとって、これまでで史上最小スタッフ人数での開催ということでの不安は見事的中し、バッタバタの一日でしたが、地元スタッフに支えられ、何とか形はつき、ホッと胸をなでおろしています。ありがとうございました!

そして、これで今年度のひのまるキッズの全工程が終了。

正直、嵐のような一年間でしたが、この一年振り返って…

やれなかったこと、

やらなかったこと。

冷静に考えて、私生活の問題をたてに「やらなかったこと」を「やれなかったこと」にすりかえ言い訳の一年だったように思えます。

前々回のこのブログで書かせていただいたように、今の私は、師匠の同じ頃に比べて完全に負けています。

でも、絶対にこのままでは終わりません!

来年の今のこのブログで、

できなかったこと、
できたこと。

を明確にすべく、とにかく、やれることはすべてする。

これを宣言します!

いまから、ここから、まずは踏み出します!

永瀬義規

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柔道の作り出すドラマと「人」の魅力を伝えたい

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日曜日のひのまる社長の絆ブログでも紹介されましたように、
この度、テレビに出演させていただきました。
そもそも、普段は取材やインタビューをする側で
されることにはまったく慣れていない私。
こんな私がテレビに出演していいものだろうかと、
お断りしていたのですが、
今回の番組『The GAME~震えた日~』
「古賀稔彦×吉田秀彦 逆境が生んだ金メダル」が、
およそ四半世紀前のバルセロナ五輪での
古賀選手と吉田選手の物語ということ。
そして、証言できる当時の記者があまりいないこともあり、
あの『バルセロナの奇跡』を現地で見た当事者として、
いまの若い人たちにもぜひ伝えたいと思い、
出演させていただくことにしたのでした。

基本的には、古賀さん吉田さんの横に座って、
ときどきコメントするという役どころではあるのですが、
収録のときは正直、かなり緊張もしましたし、
テレビに映った自分を見るのは、とても恥ずかしいものでした。
改めて冷静に見てみると、言葉の使い方が間違っていたり、
まとまりのない話になっていたり、
やっぱり素人だなぁと、顔から火が出る思い。
とはいえ、番組自体はとても面白い内容に仕上がっていましたし、
お二人から22年前には知らなかった事実も聞かされ、
いち柔道ファンとしても、とても楽しめるものでした。

私が柔道をやっていたのは小学3年生から高校3年生まで。
大学を出て、スポーツジャーナリストになりたくて
ベースボール・マガジン社に入社。
柔道専門誌『近代柔道』編集部に配属された1988年からの約27年は、
いくつか職場を変えながら、記者として、あるいは、
ファンとして柔道に関わってきました。

トップ選手の前で、「柔道をやっていた」というのが恥ずかしいくらい、
選手としては何の実績もありませんし、
偉そうなことを言えるようなものは何もありません。
でも、柔道の魅力、そして柔道に関わる「人」の魅力を語れるだけの、
多くの試合、ドラマを見てきましたし、取材をしてきたつもりです。

これからも「地道にこつこつ」ではありますが、
多くの試合を見て、柔道の作り出すドラマと選手の魅力を
伝えていきたいと思っています。

もちろん、ひのまるキッズ小学生大会での
親子の絆のドラマも伝えていきます!

スポーツひのまるキッズ事務局 林 毅

(写真 BSフジ『The GAME~震えた日~』古賀稔彦×吉田秀彦 逆境が生んだ金メダル 1992.7.31 収録中のワンカット)

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その83:林、GOOD JOB!!)

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『実は、各界の素晴らしいワンシーンにまつわる話を特集する番組を企画していまして・・
その中で柔道ではどのシーンが良いのか、相談にのってください!!』

テレビ業界の知り合いの中で特に尊敬している先輩からのお話だったので、否応もなく企画からお手伝いをさせていただいた番組が先ほど無事放送を終えました。

正直、最初は山下vs斉藤を取り上げようとして、(今だから言える斉藤先輩の体調が原因のため)それよりも私が一押しとして半ば強引に勧めたのが古賀と吉田の物語でした。

もちろん、我々の年代ではこれを知らない人はいませんが、もう20年以上前の出来事。

はっきり言って賞味期限切れ感がなかったわけではありませんが、全柔連問題、芳しくない試合成績・・というこの柔道界の状態を払拭するにはこのシーンの再現しかないという確信と、絶対に今の視聴者にも感動を与えるはずだという自信はありました。

結果は・・・。

もちろん、素晴らしいものに仕上がったと、BSフジの番組スタッフに敬意を表する次第です。

そして、私事ですがこの番組にはもう一つの思い入れがありました。

それは、弊社・執行役員の林毅の共演でした。

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林と出会ったのは、1988年。

そう、番組でも取り上げられたソウル五輪の年でした。

近代柔道の編集長と新人という関係から始まり、それから離れていた時期はありましたが、現在までのほとんどの時間を共有し、7年前にジャパンスポーツコミッションを一緒に立ち上げてからも今まで苦労を共にしています。まさに表裏一体。

ここで改めて紹介はしませんが、業界で知らない人はいなく、私の知っている限り日本一の柔道ジャーナリストと言っても過言ではない林ですが、前述したとおり私とずーと上司と部下、そして表裏一体。

「見て見て、俺、俺(笑)」の永瀬が表に出れば出るほど、本人自ら『私は黒子に徹します』というようにこの男は裏、裏に隠れていました。

そんな彼が、今回、ほとんど初めて表面化した(失礼)この番組。

自分の出演よりもドキドキものでしたが、無事にその大役を務めていました。

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人という字は二人の人間が支えあっていると書きます。相手が欠けたら『人』は成り立ちません。

古賀稔彦、吉田秀彦の素晴らしい関係が引き起こしたあの『奇跡』のように、

近い将来、『そんなこと、絶対に事業として成功するわけはない』といわれたひのまるキッズを成功に導き、この林毅をはじめとする残った数少ない仲間と、その素晴らしい関係に声高らかに祝杯をあげることが私の夢の一つです。

いまから、ここから、思いは必ず叶います! いや、叶えます!!!

永瀬義規

ひのまるキッズ九州大会マナー賞決定!

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こんにちは!

1月25日(日)KIRISHIMAツワブキ武道館にて開催された『第6回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会』のマナー賞を、ひのまるキッズ九州大会公式ブログにて発表しております。
今大会も、勝っても負けても最後まで素晴らしい礼をした選手たちが受賞されました!
選手のみなさんは柔道が強いだけではなく、礼儀礼節を重んじてこれからも柔道に取り組んでください。
受賞された選手、ご家族、所属道場様、おめでとうございます!

★第6回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会ブログ★
大会結果も掲載中!
http://hinomaru-kids.jp/kyusyu6/

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その82:斉藤先輩、見ていてください。そして、いままでありがとうございました)

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おい、永瀬。お前がやっていることは間違っていない。誰が何と言っても俺は応援すっからな!

昨年、電話で話した時、これがまさか最後の言葉になるとは思いもよりませんでした。

28年前、近代柔道編集長の時には「おい、せっかく編集長になったのだから全面的に協力するよ」と言って「斉藤仁の一本お願いしまッス」というコーナーを開設。

アメリカから戻って、初めて日本選手団入りを果たしたアトランタ五輪でも周囲の誹謗中傷に「おい、永瀬は全競技の広報責任者となったんだよ。柔道界としては誇りに思うべきだ。俺は絶対に応援するよ!」

シドニー五輪後、全柔連を辞めるときにも周囲からあることないこと言われた時には「おい、これからはマスコミとして柔道界を盛り上げていけるんだから思う存分やればいい、俺は応援するよ」…

そして、会社を作ってひのまるキッズを始めたときも、「良い大会だ! これが今の柔道界には必要なんだよ!! 俺は何でもするから言ってくれ!応援する!!」と度々会場に足を運んでくださいました。

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いつも、いつも、顔を見ると心配ばかりしてくれて、応援する、応援するって・・・

死んでしまっては、その応援に応えることはできないじゃないですか・・・・・・・・
あまりにも若すぎる別れに、悲しみは尽きません。

でも、その『思い』はしっかり素晴らしいDNAと共に残されています。

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謹んでお悔やみ申し上げるとともに、応援してくれた斉藤先輩の気持ちにこたえるためにも、ひのまるキッズをもっとしっかりとしたものに育て上げようと心に誓っています。

稀代の柔道家、斉藤仁先輩、お疲れ様でした!! ありがとうございました!!

そして、今後も応援、よろしくお願いいたします!!
合掌

いまから、ここから、必ずやりきります!!

永瀬義規

p.s.数日前の林の投稿とダブってしまいましたが、どうしても残しておきたかった独り言でした。

斉藤仁先生、安らかにお休みください

斉藤先生夫妻

最後にお話ししたのは11月の末でした。
グランドスラム東京の展望・見所の取材。
体調が思わしくなく、入院しているという噂も聞いていたので、
取材の申請はしたものの、取材させていただくのは難しいかなぁと
思っていたところに、斉藤先生のほうからお電話をいただいたのです。
「林ちゃん、この前は取材受けられなくてゴメンね。
いまちょっと病院なんだけど、時間あるから、いま話できるよ」
斉藤先生は、自分の体調が思わしくないにもかかわらず、
私のしていた取材依頼を気にとめてくれていて、
病院での検査の合間に連絡をくれたのでした。
「体調の悪いところすみません。大丈夫なんですか?」と聞くと、
「大丈夫だいじょうぶ、元気なんだけど、
数値があまりよくないみたいなんだね。でも、ホント元気だから」
おそらく斉藤先生は、私に心配させまいとして、
元気な様子で話してくれたんだと思います。

先生への取材は、40分近かったと思います。
途中、何度か「まだお話ししていても大丈夫ですか?」と聞いても、
「大丈夫だいじょうぶ」と、その後も、昔話や雑談も交えながら、
本当に熱く、いまの柔道界、選手のことを話してくれました。
あっという間の40分。斉藤先生と話した時間は、
とても楽しいひとときでした。
もはやかなわないことですが、
もっともっと、いろいろなお話を聞きたかったとつくづく思います。
「あとは、いつも通り、うまくまとめておいてよ。頼むね」
「先生、早く良くなってくださいね」
それが、斉藤先生と交わした最後の会話でした。

斉藤先生との付き合いは、私が柔道専門誌『近代柔道』の
編集部に配属された1988年、斉藤さんが全日本選手権で優勝し、
ソウル五輪で日本の最後の砦を守ったあの年からです。
結果的に、現役最後の年となったこの年の斉藤さんは、
新米記者の私にとっては、近づき難く、畏れ多い存在でした。
4月29日に行なわれた全日本選手権は、
ソウル五輪の代表をかけた戦いとして世間からの注目度も高く、
斉藤選手、正木嘉美選手、小川直也選手の
三つ巴の戦いの緊迫感はものすごいものでした。

全日本選手権からソウル五輪が終わるまでの数カ月間、
斉藤さんはボロボロの身体に鞭打って戦い続け、全日本選手権を初制覇、
そして、ソウル五輪で、オリンピック連覇を果たしました。
ソウルオリンピック決勝のときの気魄あふれる表情は、
いまもはっきりと覚えています。

現役を引退された後、仕事でご一緒することが多くなり、
バルセロナ五輪の時も、現地で食事に行ったりしました。
二人で夕食を食べに、街に出たときのこと、
下調べもせずに入ったステーキハウスで、
ショーケースに並べられた1ポンド(500g弱)のフィレ肉を指さし、
「フィレ、ドス(2つ)」とオーダー。
約1キロの肉をペロリと平らげたときは
「さすが斉藤さん」と驚いたものでした。

最近は、全日本柔道連盟の強化委員長という一面のほかに、
二人の子供のお父さんという立場で注目されることも多くなっていました。
スポーツひのまるキッズの大会にも、
二男の立(たつる)君、奥様の美恵子さんとともに、
何度か出てくださいました。
数年前、足を引きずっている斉藤先生に、
「どうしたんですか?」と聞くと、
「いやぁ、軽い気持ちで息子の打ち込み受けたら、
一発で肉離れ起こしちゃったよ」と、
痛そうにしながらも、ちょっと嬉しそうな表情で
話していたことも思い出されます。

高校1年生と中学1年生の息子さんを残し、
54歳という若さで逝くことになってしまったことは、
本当に無念だったと思います。
斉藤先生のご冥福をお祈り申し上げるとともに、
ご子息のご活躍を、心より応援しています。

斉藤先生、ありがとうございました。

斉藤先生と立

(写真上下:2012年のスポーツひのまるキッズ東北小学生柔道大会で美恵子夫人とともに立君の試合を見つめる斉藤先生。この大会で立君は5年生男子無差別で優勝。大会MVPに輝いた)

スポーツひのまるキッズ事務局 林 毅

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その81:先生、勝負です!!!)

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先日、公私ともにお世話になっている人生最大の師匠、佐藤宣践先生と新年のご挨拶と近況報告ということでお会いしました。

じっくりお会いするのは、なんと一年ぶり。

本当に久しぶりにお会いできたことで、2時間近く一方的に話しまくりました(笑)

先生は、その話をうん、うん、と真剣に聞いてくださいました。

そして、一言。

『永瀬、俺はもう71歳。これからは枯れていくのみ・・・。体力的にも精神的にもガタがきているよ・・。
でもな、自分の人生を振り返って50台が一番仕事ができた。60歳になったらガクッとくるけどね(笑)』

先生が私の歳、19年前といえば1996年、そうアトランタ五輪の年でした。
前年の幕張世界柔道のためにアメリカから先生にほぼ強制的に帰国させられた私は、その年、アトランタの地に先生とご一緒していました。

そこから4年後の、先生は日本選手団総監督、私も二回連続のプレスアタッシェとして参加したシドニー五輪までとにかく、先生の背中を追っかけるのに呼吸も忘れて必死になっていたことを思い出しました。

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最近、特にこの一年、公私ともに疲れがひどく、
もう自分の人生は終わりが見えてきて、どう整理をするか・・みたいなことばかり考えていました。

でも、先生とお会いして、

おいおい、やっとあの時の先生の年齢に追いついたばかりじゃないか!

これからが勝負なんだ、と熱いものがガツンガツンと込み上げてきました。

先生が越えてきた試練、先生が築いてきたもの、先生が残してきた実績。すべてにおいてこれからの私にとって挑戦に値するお手本であり、何一つ、追いついていないのが実状。

先生に追いつき追い越すには、この先、もっと凄い試練が待っていると思います。

神様は乗り越えられる試練しかその人には与えない、と聞きます。

ならば、神様に認めてもらい次の試練を与えられるまで、当時の先生に負けない努力をし続けなければなりません。

そのためにも心身ともに充実させ、今まで以上に一日一死の思いで生きていこうと思っています。

いまから、ここから、師匠との勝負は始まったばかりです。

永瀬 義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その80:目線を合わせる)

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日本中のひのまるキッズの協力者の中でも一、二を争うくらい熱い男とじっくり三時間話をしました。

ほとんど、一方的に自分のやりたいこと、やらなければならないこと、将来的に事業をどうしていきたくて、
どんな風にそれを思い描いているのか…を語りまくりました。

その男は、じっくりそれを聞いて

先輩、一言いっていいですか?

その思いを先輩の一番近いスタッフは本当に共有していますか? 先輩と目線あってますか?
我々はあってるつもりですが、大丈夫ですか?

ゾッとしました。

近いからこそ、いつも一緒にいるからこそ、わかっているはず…ではなく、わかるまで語らなければならない。
そう、目線が合うまで常に何時間でも、何日でも語らなければならない…今までそれをしなくて、周りに誤解や
わだかまりを産み、今までどれ程反省したか…( ̄^ ̄)

人間、黙っていてわかりあえる、何てことは実は本当に稀有なことなんだってこと、わかっているはずなのに
またやらかすところでした(汗)

FBでも書きましたが、大阪で、スポンサーであり親友でもある同期の経営者から

俺は、永瀬と親友でホンマ良かったわー。永瀬見てると俺も頑張らないとって力がわいてくる。

って言われました。

これも、三時間語ったあとの一言です。

まずは、一番近い人達としっかり目線合わせをしていきたいと思います!

いまから、ここから、大切なことはすぐに実行あるのみ! です(笑)(^^)d!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その79:謹賀新年、誰にも負けない努力をする!!)

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新年あけましておめでとうございます!

今年もスポーツひのまるキッズをより良いものにすべく、とことん己を尽くしていこうと思います。

さて、先日、私の親友が崇拝する経営者・稲盛和夫さんの経営哲学「六つの精神」を勉強する機会をいただきました。

六つの項目、それぞれが心にズシンと響くものがありましたが、今年は、この精神を全うしていきたいと思っています。

~誰にも負けない努力をする~

稲盛さんは

「より充実した人生を生きていこうとするならば、人一倍努力を払い、仕事に一生懸命打ち込まなければなりません。

自然界に生きている動植物はみな、必死に生きています。

我々人間もまた、まじめに、一生懸命に働くということが、生を受けたものとしての最低の務めであろうと思います。

そのためには、まず仕事を好きになることが大切です。

好きであればこそ、仕事に没頭することができます。

また、よりよいものを目指そうという気持ちも生まれ、自然に創意工夫をするようになります。

仕事に惚れ込み、夢中になり、人並み以上の努力をする。

この誰にも負けない努力が素晴らしい結果をもたらしてくれるのです」

と説いています。

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2015年、社員を愛し、会社を共に育て、誰にも負けない努力をし、ひのまるキッズに参加してくれた親子、スポンサー、そしてスタッフ皆さんに『ああ、参加して良かった』って思っていただけるよう精進していく所存です。

今年も、何とぞご指導の程、よろしくお願い申し上げます!!

いまから、ここから、努力に限界はありません。

永瀬 義規

2014年 一番の思い出 夏合宿

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2014年も残すところ数時間。
日記を書く習慣はないのですが、
スケジュール帳で1年を振り返ってみると、
今年もいろいろやってきたなぁと
感慨深いものがあります。

私にとって、今年もっとも印象に残っていることは、
ひのまるキッズ初の夏合宿です。

準備不足(募集期間の短さ)などもあり、
参加してくれた子供は少なく、ビジネスとしては
成功と言えるものではありませんでした。
でも、参加してくれた子供、そして、ひのまるキッズを信頼し、
大切な子供を参加させようとしてくださった親御さんたちの気持ちに
なんとか応えようと、スタッフみんなが一生懸命に知恵を絞り、
力を合わせ、全力でぶつかった3日間でした。

訪れた宮城では、現地の多くの人に助けていただきました。
道場の手配から被災地の案内までしてくださった
山元町柔道スポーツ少年団の南條幸夫先生。
道場の皆さんとの交流は、合宿に参加した子供たちにとって、
非常に有意義なものだったと思います。
快く道場を提供してくださった東北高校の大久芳輝先生。
東北高校の高校生たちは、小学生の稽古の相手も務めてくれました。
また、超多忙な中、東京から駆けつけ、
講師を務めてくださった朝飛大先生にも大感謝です。
皆さん、本当にありがとうございました。

私にとっても、被災地の現状は非常に衝撃的でした。
3年前の岩手県宮古市以来の被災地訪問でしたが、
復興が進んでいる場所もあれば、一向に進んでいない場所もあり、
とても考えさせられるものがありました。
ひのまるキッズとしても、これからもなんらかの形で、
復興支援を続けていかなくてはならないと痛感したのでした。

合宿の後に、参加した子供たちから届いた手紙やメール、
そして、その後のひのまるキッズの大会で会った時に見せてくれた
はにかんだような笑顔は、なんとも言えない喜びを感じさせてくれました。

ひのまるキッズの大会においても、
参加選手たちの成長を見ることは、
最大の楽しみと言っていいかもしれません。
でも、強くなったところを見たいというわけではありません。

今年、関東大会と東海大会は第6回大会を迎え、
6回連続出場の選手を表彰させていただきました。
当然ですが、上位に入賞している子ばかりではありません。
でも、柔道をずっと続けてきたこと、そして、
ひのまるキッズの大会に6年続けて出場したことは、
本当に素晴らしいことだと思います。
「継続は力なり」
やり続けることができること、
努力し続けることができることは立派な才能です。
たとえ、柔道が強くならなかったとしても、
きっとなにかに役立つ時がくるはずです。

私自身も、子供たちに負けないよう、
しっかり努力していきたいと思います。

今年最後のブログが、まとまりのないものになってしまい、すみません。
2014年、絆ブログをご覧いただいた皆様、
どうもありがとうございました!

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(写真上:夏合宿のひとコマ。東北高校、仙台市・石巻市・山元町の子供たちと。
写真下:山元町の沿岸にある中浜小学校とその周辺。震災前、住宅地だった場所は草原のようになったままだ)

スポーツひのまるキッズ事務局 林