子供の一番の応援者!

こんばんは。
スポーツひのまるキッズ事務局の原です。

夏休み明けの月曜日、頭も身体も重い一日をようやく終えようとしております。

私も先週お休みを頂きましたので久しぶりに子供たちと1泊二日で、海水浴に行って参りました。
時期も時期だったので、ある程度の覚悟はしてましたが、案の定、大渋滞で、予定の二倍以上の時間をかけて目的地に到着してしまい、子供たちからは大ブーイングでした。
翌日は天気はいまいちでしたが、子供たちはお構い無しで大はしゃぎし、私も昨日のブーイングを挽回しようと一所懸命にひたすら子供たちを楽しませようと努力しました。
その結果、脚が二度もつってしまい、自分が溺れかけると言う失態にも見舞われましたが、何とか、子供たちは楽しんでくれたのかなとホッとしております。

遊び終えて、帰りの車も当たり前のように大渋滞!子供たちも遊び疲れて大爆睡!!
私も子供たちにつられて睡魔と格闘しながら、何度も休憩を挟みつつ、ようやく帰宅するこが出来ました。
渋滞の最中、海水浴場、宿泊先など至る所で私と同じような家族連れの親御さんたちをたくさん目にして、本当にみんな頑張ってるよな~俺も頑張んなきゃって思っていました。

そして、翌日、録画して、みれていなかったテレビドラマをいくつか見ている中で、フジテレビで放送している「あすなろ 三三七拍子」というドラマを見ていたら、凄く共感できる言葉があったので、頑張っている親御さんたちにもご紹介させてください。

あすなろ 三三七拍子というドラマは、大学の応援団のお話です。
そこで、応援というものの考え方について、応援団のOBが言った言葉です。
「応援というものは、そもそも傲慢なもの。だから応援する側は、される側以上に汗をかかねばならない。じゃなきゃ応援する資格がない」

世のお父さん、お母さんは子供たちの一番の応援者だと思います。
スポーツひのまるキッズでは、そう信じて大会運営も行っております!
だから、私自身がこれからも子供たちの良き応援者であるために明日からも頑張ろうと感じた言葉でした。

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その59:やりたいことができたお盆の数日)

お盆休み最終日。

お陰様で、私も多分就職して初めてくらい(?)のお盆休みを14~17日までとることができました。

そして、以前より、まとまった休みがとれたらやりたいことをいくつか達成できたので、ここで報告したいです。
みなさんにとっては非常にプライベートすぎて、普通すぎてつまらないかもしれませんがお許しください。

その1
亡き父、祖母のお墓参り
父は今年で7回忌を迎えます。そして、祖母(母方の)は昨年の4月に他界。いつも忙しくて行けなかったので、これだけは絶対に!! ということで母と行くことができました。すでに供養花が捧げられていました。ありがとうございます!
お墓

その2
チキンカレー作成
以前、四国出張時に、バイヤーのM氏より伝授された究極の市販カレールーの三種類混ぜ合わせ+隠し味をしっかり再現。
そして、『お約束の一晩寝かせ』でいただくことができました。味は、井上康生の内股級です(もう少しで。。(笑))
チキンカレー傑作 (1)

その3
自転車整備
3月に引っ越ししてから、駐輪場に置きっぱなしでいつも気になっていたものの、どうしても時間が足れずにいた自転車整備を決行! 最初、駐輪所で見つからなく「これはやられたかな・・」と思って別のところを探したら、なんと『9月までにこの札を外してない自転車は撤去します』置き場にありました・・。涙が出そうになり、一生懸命磨いて、空気を入れたのですが
どうしてもすぐに抜けてしまうので、今度会社のそばの自転車屋さんにホイールだけ持っていこうと、部屋の玄関に引き上げました。
自転車

その4
本籍地の訪問
実は、本籍は就職してしばらくして落ち着いた場所に残してありました。
25歳から渡米する28歳までの3年間でしたが、近代柔道の編集長として公私ともに充実した、本当に思い出深い月日をここで過ごしました。
もう24年近くも足を踏み入れていなく、街(特に駅周辺)は昔の面影は全く残っていませんでしたが、記憶をたどって向かっていくとその当時住んでいたマンションは少しも変わらず存在していました。当時住んでた階まで上がってみました。驚くほどに、当時の記憶が次々とよみがえり少しセンチメンタルになりました。

日中1時間立ち尽くしていました・・。
メゾン杏山4階からの眺望

その5
サーキュレーター購入
引っ越しして超節約してきましたが、どうしてもほしくて2か月悩んで隣駅のイオンで購入。快適です。
サーキュレーター

その6
マルちゃん正麺
前述したM氏がバイヤー歴○○年で最高の傑作品、と酔っぱらって言っていたマルちゃん正麺をいただきました。それもお言葉通り、
塩味を素のまま。
正直、美味しかったです。ただ、これも正直、カップラーメン以外、インスタントラーメンを食べた記憶がないので、他との比べようがなかったのですが・・・。でも、30年前に『あんた、記事なんか書いてないで、ラーメン売ったほうが出世するよ』と近代柔道杯の協賛を直談判しに行ったときに故・森社長に言われた言葉とあの笑顔が脳裏に浮かびました。
マルちゃん正麺

以上。ユーミンの「真夏の世の夢」を聞きながらこれを書き終えます。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!!

あ、今朝、ぎっくり腰が再発し、かなりヤバいお盆休みの終焉でした。おしまい。

いまから、ここから、思い出はどんなことでも貴重な財産です。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その58;IからWEに・・・。コミュニケーションの大切さ)

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年の半分は全国各地に出張し、ひのまるキッズの協賛営業を行い続けて6年目を迎えます。

お陰様で、150社近くのご協賛をいただけるようになり、少しずつですが、ひのまるキッズの知名度も上がり、また、ひのまるキッズが行くべき方向性も見えつつあります。

もちろん、まだまだ成功と言えるところまではきてはいませんが、なんとなくいい感じに来ていることは確か・・。

公私ともに様々なことがあったこの6年間で、多くの勉強をさせていただいています。

人間一人でできることは限られている
とことん己を尽くせば、絶対に光は見えてくる・・・etc

そして、一番身に染みたことが、

コミュニケーションの大切さ、です。

出張先で熱く語りに語りつくしている分、社内や、家庭で言葉足らずが非常に多かったのは否めない。

そのため、『あいつはわかっているはずだ』と思えば思うほど、実は何にもわかっていなかった・・というケースにたくさん遭遇しました。

つい最近も、『そんな、バカな・・』と思うこともあり、なんでわかってくれていないんだ・・、と思ってしまいまたが、よくよく考えてみれば、自らまったくコミュニケ-ションをとっていませんでした。

どこまでいっても他人だから・・、という人もいるけど、他人だからこそ、なおさらとことん話をしてわかってもらわなければならない。せっかくもらった「縁」なんだから、「絆」を深める努力をしなければ、たんなる「しがらみ」になる・・。

前回のブログで『我が事になる』ということを書きましたが、IをWEにするためには、もっともっと、大切な仲間に語りつくしてコミュニケーションをとらなければならないと強く感じる今日この頃です。

精力善用はなんとかできています、が、自他共栄が足りていませんでした・・反省。

いまから、ここから、IからWEにするための努力、自覚して進めます!!

永瀬 義規

「思いやりシート」

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高校生の夏の大イベント、インターハイ(柔道競技)が終わりました。
今年もたくさんのドラマがあり、会場で見ていて、
目頭が熱くなるシーンがたくさんありました。
やはり、青春っていいですね……。

会場となった成田市中台運動公園体育館は、
以前にも、インターハイや国体で使われており、
それなりに広い体育館ではあるのですが、
親御さんなどもたくさん応援に訪れるインターハイの会場としては、
ちょっと狭いかなぁという感じでした。
とくに出場人数の多い男子の団体・個人が行われた
初日と2日目は、観客席も超満員。
しかも身体の大きな高校生も多く、ただでさえ少し狭めの席は、
あまりに窮屈で、見ていてちょっとかわいそうなほどでした。
空調がガンガンに効いていたのは救いでしたが……。
朝の席取りは、ちょっと殺伐としていたようです。

ただ、そんな観戦状況のなか、
小さいお子さんをお連れの方やお年寄りの方用の特別席が
設けられていたことは、素晴らしいことだと思いました。
柔道界では最近、大会の際に、審判員や係員のお子様を預かる
託児ルーム(スマイルルーム)を開設したりしています。
今回のこの特別席は“思いやりシート”と名付けられていましたが、
“思いやり”は今の日本人が失いかけている、
とても大切な感情だと思います。

柔道は、相手がいてはじめてできる競技だからこそ、
他人を思いやる気持ちを持つことは、何よりも大切なことだと思います。
本当は、こんなシートがなくても、譲り合えるのが理想なのでしょうが、
理想と現実はなかなか一致しませんし、理想ばかりを言っていても
改善されることはありません。
ファーストステップとして、“気づき”の機会になればと思いますし、
実際に私自身、会場に「思いやりシート」があったことで、
考える機会をいただきました。

スポーツひのまるキッズ事務局 林

子供の頃の思い出。

こんにちは、スポーツひのまるキッズ事務局の原です。
昨日は、日本武道館で第46回全日本少年少女武道錬成大会が開催されたようですね。
face bookを見ていたら、会場の写真がUPされていたので、昔のことを思い出しました。。
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この大会には私も子供のころに出場させてもらい、九州の佐賀県からの出場でしたので、初めての飛行機に初めての東京で、今でもあのどドキドキ感は記憶の引き出しのど真ん中に残っています。
私は小学4年生だったと思います。柔道を始めて2年が経っていましたが、初めて九州から出た大会でもありましたし、もちろん母親にも付き添ってきてもらっていました。
僕は、4人兄弟の末っ子で、兄や姉はまだ東京なんて行ったこともなかったので、東京行きが決まってからは、毎晩のように羨ましがられたり、時には嫌味を言われたりしていました。
そんな兄弟からの叱咤激励もあり、私は、子供ながらに母親に良いとこを見せたいという気持ちが凄く強かったのを覚えています。
その為に何か努力したか?と言えば、特に覚えていませんが、勝ちたい!という気持ちのレベルで思い返してみたら、大学まで柔道をやらせてもらった中でもベスト3に入ることは間違いありません。
そして、その想いは他のメンバーも同じだったと思います。みんな親が来てくれていて、兄弟の中でも先んじて東京に来たのだから。

そんな気持ちで臨んだ試合だったからなのかどうかはわかりませんが、あれよあれよと勝ち進むことができ、遂には初出場でパート優勝まで上り詰めることが出来ました。

子供は親に良いところを見せたい。これだけは、いつの時代も変わらないと信じてます!

そして、スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会では、そんな子供の想いを形にさせてもらっています!

必ずしも子供が良いところだけを見せられる訳ではありません。だからこそ、一番近くで結果を見届けてあげてください。

そして、励ましてあげてもらえたら、子供たちは今度こそ良いところを見せたいと、もっと頑張るんだと思っています。

失礼いたしました。ツイひのまるキッズの話になってしまいましたが、私の小学生時代の思い出話に付き合っていただきありがとうございました。
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スポーツひのまるキッズ東海小学生柔道大会と四国大会のエントリーも行っております。
全国各地から参加することが出来ますので、是非ともご検討いただければ幸いです。
http://www.hinomaru-kids.jp/

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その57;我が事で対峙するという覚悟)

私の親友に今、東北の被災地で人生かけて農業に取り組んでいる男がいます。

彼とは、もう10年以上も前、
当時、私は出版社の常務という立場ながら、少年大会開催に駆けずり回っており、そのときにある人の紹介で会ったのが最初でした。

同じ年代の彼とは一瞬のうちに意気投合。

当時、彼は所属する会社の常務として様々な事業を手掛け、拡張。我々の大会にも協賛をする橋渡しになっていただきました。

高校時代にラグビーに青春を注いでいたスポーツマンに加えて、物腰の優しさ、物事に
対して常に真摯にそしてあくまでもクールに取り組む彼の姿には自分にないものを感じ、惹かれていきました。

常に冷静。淡々と仕事をこなす彼でしたが、時々、彼の心底にある強いポリシー、熱いものを感じる場面に
遭遇することがありました。

ある日のことです。

彼の会社に別件で訪問したときに、常務室をのぞいたら、彼が部下に対して烈火のごとく怒ってました・・。

「これは、珍しい。後でちゃかしてやろう」

と、聞く耳を立てると・・、

「お前らは、傍観者か! 仕事は我が事でやらなければ絶対に成し遂げられない。他人の夢をかなえるために
死ぬ気で立ち向かえないだろう! 熱くなれ! 俺もとことん己を尽くす。 俺たちの事業、俺たちの夢じゃないか!
俺たちがやらないで誰がやるんだ!!!」

普段、沈着冷静な彼の言葉だけに、その真っ赤に充血した眼を見開いてスタッフに対峙する姿の迫力はすざましいものでした。

その日の夜に、酒を酌み交わしながら、

「おい、凄い迫力だったな・・」

と言ったら、

「何言うてんねん、永瀬の真似をしただけだよ」

って笑っていた彼の笑顔を昨日のように覚えています。

物事に対峙するとき、常に我が事と思い己を尽くす!

最近、全然会う機会はなくなったけど、先日、FB友達から、

「この人、永瀬さんの友達ですよね。私の友人のブログにアップされていましたよ」

って知らせていただきました。

そこには、立派な農業おじさん(笑)になり、たくましい光を放っている彼の姿がありました。

笹井の今

いまから、ここから、俺も負けるわけにいはいきません、笹井、今度遊びに行くぞ!とことん語りましょう!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その56;親子鷹、いいじゃないですか!!!)

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先日行われた「金鷲旗高校柔道大会」、東京・修徳高校が悲願の初優勝を達成しました。
その大将で、決勝も自ら優勝を決めたのが、あの小川直也さんの息子の雄勢くん。

ひのまるキッズで親子の絆を毎日意識しているからではないと思いますが、
今回の金鷲旗ではこの小川選手以外でも、本当に数多くの二世柔道家の活躍が目立ちました。

準決勝に進出した4強で、小川以外でも、古賀(大成)、古田、正木(天理)、竹村(国士舘)・・・。

記者席でもその話題で持ちきりでした。

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ただ、記者の中には「うちはそのネタではクローズアップしません。あくまで本人の実力次第です」
という声もありましたが、

私は、純粋に非常に楽しく観戦させていただき、まさに「蛙の子は蛙」を目の当たりにして、子供がいない
自分としては非常にうらやましい思いでいっぱいでした。

ひのまるキッズ出場のみなさんの中でもたくさんの二世柔道家が参加しています。
当たり前ですが、お父さん(お母さん)がかつて強くても弱くても関係なく、参加して楽しいんでいます。

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数年前の関東大会で優勝した子供のお父さんに表彰台でテレビがインタビューをしたときに、
「まさか、オリンピックチャンピオンより高い表彰台に上がれると思いませんでした。子供に感謝します」
といって、横にいる古賀稔彦さんをチラ見して恥ずかしそうに語ったお父さんのことを思い出しました。

なにはともあれ、かつて自分が青春を捧げたスポーツを子供が受け継ぎ、一生懸命にそれに打ち込む姿を
見れることなんて、本当に親にとっては最大の幸せで、子供にとっては最高の親孝行だと感じるともに、
その絆を、より深める一助として、ひのまるキッズをもっともっといい大会にしていきたいと心に誓った
福岡の熱~い三日間でした。

いまから、ここから、もっとたくさんのステージを提供します!!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その53:当たり前をする難しさ)

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前回のblogでも書いたように、強くなる、いや、立派な人間になるためには、

当たり前の事を当たり前にやる

ことだと確信した。

さて、では、自分はそれができているんだろうか…( ̄^ ̄)

答えは、

まだまだ十分じゃない。いや、まだ50%もできていない。できていなかったといったほうが正しい。

でも、私もあと20年は生きられると思い、毎日、毎日、一日一死でもっともっとがむしゃらに生きていきたい。

炊事、洗濯、家屋の世話…、恥ずかしながらこの年になって自分でやってみて初めて実感しこれまでに感謝の気持ちが心底溢れでた。

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後悔後に立たずj

でも、あえていわせて欲しい、

本当に本当にありがとう!これからは一杯幸せになってください!

いまから、ここから、まずは、今までの全てに感謝から始めることにします!

料理、はまってます(笑)(^^)d

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その52;鶏が先か、卵が先か・・、勝利の方程式とは?)

柔道の本質(年間②)

以前にも書いたように、ひのまるキッズの参加選手の柔道のレベルは年々グングン上がり、
正直、『競技力向上の大会ではない!!』と言い切っている手前、少し戸惑っています。

でも、これにはしっかりした訳があったということも、以前、古賀先生の言葉を紹介した通り、

強い選手は、当たり前のことを当たり前にやれる人間。

当たり前とは・・

はい、ありがとう、をきちんと言えて、お年寄りに席を譲り、靴を揃えること。

つまり、ひのまるキッズで徹底的にやっていただいていること・・ということで証明されました・・・。

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今日、全日本学生柔道優勝大会が日本武道館で開催され、全日本学生柔道連盟の広告総代理店の弊社スタッフは大忙しだったのを横目に、私は母校の応援に集中させていただいていました。

残念ながら、母校・中大はベスト8をかけて、ライバル明治大学と対戦、小差で敗れてしまいました。

そして、決勝戦。

東海大学と日本大学の試合はとって取られての好勝負が展開され、結果、東海大学が見事に7連覇を達成しました。

この決勝戦を見て、心底、感じました。

両校ともに、礼儀礼節がしっかりしている。

もちろん、今どきの子供ですから、勝って自分の応援団席に向けてガッツポーズをする選手もいましたが、どの選手も、試合の始まりと終わりの礼は本当にしっかりとしており、まさに勇者の風格を感じました。

そして、思いました。

この子たちは、当たり前のことをちゃんとできるから強いのか、
はたまた、強いから当たり前のことがちゃんとできているのか・・・・。

以前だったら、頭のなかは???だったのですが、今は、胸を張って言い切れます!!

当たり前のことを、しっかりできるから、強いんです!!

そして、彼らは格好いいです・・・・。

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大会が終了して、懇親会の会場で、私を含めて選手にOBが一言いうシーンがありました。

会長の後に、自ら話をさせてくださいとお願いし、先陣を切って話をしました。

正直、その時の感想は、

こいつら、本当にわかっているのかな・・という感じでした。なぜか・・、語り掛けても
返事がないのです・・。

でも、時間が過ぎ、何人かが話す毎に、次第に選手の顔つきが変わってきて、最後の矢嶋先輩が、

今日は、初めてお前らの試合前の円陣に入れてもらった。その時、本当に勝ちたいと思った。
今日は残念な結果だったけど、次は絶対に勝ちたいよな。勝たせたいよ。
お前らなら絶対にできる、絶対にあきらめずにやりきろうな!

って言葉に、最初は返事がなかった選手も、OBから『返事!』って言われて、せきを切ったようにバカでかい声で顔を上げて返事をし出しました。

あとで、聞いたら『いつもはいつ返事をしていいのかわからなくて・・」と頭をかく、選手たち。

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この子たちにとって、返事をすることが、当たり前だということはわかっていても、そのタイミングも教えなければならなく、ってことは、当たり前を子供のころからしっかりやらせていれば、そのタイミングも必然的に覚え、そして前述の方程式通り、強くもなる。

実感しました。

礼儀礼節

いまから、ここから、日々、勉強です!!  気張れ! 中大!!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その51;青春の詩)

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先日、中大柔道OB会長である高宮先輩から電話があって、

「永瀬、お願いされていた額が上がってきたから贈呈してあげたいけど、ちょっと思いのほか
大きいから、お前の狭い一人暮らしのワンルームじゃとてもはいらないよ! 会社に持っていくよ」

とのこと、数日後、先輩自ら持参いただいた額の大きさに、迎えに出た社員の原君もビックリ・・、下から電話をしてきて、

「社長、これマジで会社に飾るんですか・・・」

「当たり前だろ。(原君も中大柔道部OB)高宮先輩がせっかく持って来てくださったのだから
さっさと運びなさい・・・」

と言いつつ、嫌な予感がしたので自らも下に降りていくと、会社のビルの玄関に入るかどうかというでっかい額を持った原君。

「おう、永瀬。まあ、社長室にでも飾ってくれよ(高宮先輩)」

はい、喜んで・・・と、

今、なんとか会社の中入口の前にドカンと置いてあります・・・(笑)

そもそも、これは中大の壮行式の時の会長あいさつで高宮先輩が引用した、サムエル・ウルフマンという詩人の『青春の詩』の一説を聞いて、先輩にお願いして、その全文をくださいと言ったのがきっかけで、まさかこんな立派な額に収まって、そして、先輩自らの書で寄贈してくださるとは感激の一言でした。

この詩は、二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていたもので、その後、松下幸之助氏などにより広く紹介されたものとのことだったが、正直、先日の先輩のスピーチで初めて知りました。

内容は・・・、

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青  春
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

というものです。

人は若くいる限り、その可能性は無限で、若さは信念、自身と共に育ち希望を生む。

若さとは年齢ではない、信念、自身をもって希望に向かって突き進む。その時が『青春』なんだ、とあらためて思いました。

いまから、ここから、わが人生、ただいま青春まっただ中です!!

永瀬義規

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