いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その49:人の縁が絆になるとき思いは叶う)

最近常々思うんです。

全ては人の縁だと。

もちろん、人の縁は誰にでもある。

でも、その縁を生かすも殺すも、その人次第。

私の場合は、ひのまるキッズのお陰でその縁がどんどんひ広がって絆となり、
毎日がとても充実しています。

実は、人生で一番大切なものを失ってから、
とにかくがむしゃらに前に向かっているから神様がご褒美を与えてくれているんだ、
と思う反面、守るものが無くなったために半分やけになっていた自分もいます。

でも、もちろんいいことばかりではありませんが、
『正しいことをやっている限りは、お前のことをみすてないよ』

って神様が、人生最終コーナーに差し掛かったダメ社長に最後のチャンスを
与えてくれたんじゃないかと思える日々が続きます。

動機善なりや、私心なかりしか

自分を律し、もっともっとストイックに、いただいたご縁をしっかりとぶっとい絆に育て上げたいと思います。

いまから、ここから、全てのご縁に感謝し、太い絆にするためとことん己を尽くして尽くすのみ! 集中します!

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永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その48:おかげさん)

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子供の頃から厳格な父親に常に言われていたことがある。

『人のせいにしない、全ては自分の責任だ』

だから、ついこの前まで、いつも、

俺がやってやる、俺だからできる。

必ずできるまでやる。

って生きてきました。

でも、会社を興して、家も財産も、家族もほとんど失っちゃいましたが、ひのまるキッズという事業を
愚直に取り組んで、一つだけわかったことがあります。

人間は一人じゃ何もできない。

それに気づいたとき、

人のせい…ではなく、人のおかげ…って心底思えるようになっている自分がいました。

もちろん、責任は自分にあり、必ずできるまでやりきるという気持ちにブレはありません。

でも、やりきったとき、それはみんなのお陰で、おかげさんで、と感無量になりたいと思っています。

いまから、ここから、全ては輝く子供たちのために!

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その45:すみません。サボっちゃいました(笑))

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皆さん、お気づきのようにこの『親子の絆』ブログで私の担当は日曜日のこのタイトルでの投稿。

今回で45回目を迎えることができました。みなさん、いつも同じような個人的な呟きにお付き合いいただき
誠にありがとうございます。

そして、45回目にして、とうとうサボってしまいました・・・(笑)

昨日は、いつも私のことを気にして励ましてくれている素敵な方(笑)と、逗子、葉山に行きFBではアップしましたが、
大好きなカレーをお腹一杯食べて、ヨットハーバーで思いっきり深呼吸して、すごくきらきら輝く海を見ながら
短時間でしたが、ボーーーっとすることができました。もちろん、そこにはたくさんの家族の

微笑みがありました!!

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そして、夕方のアポイントメントのために東京に戻って、一仕事終えて帰宅して、そのままバタンキュー!!!

ブログアップをすっかり忘れていました。

でも(FBにも書きましたが)、昨年の11月から公私ともに色々なことがあり、本当に周りのみんなに支えられて
なんとか一歩一歩前に進んでいたものの、さすがに多方向から、複数の難題が金曜、土曜と襲いかかってきた矢先の
この休日。

お腹一杯で、素晴らしい海を見ていたら、

俺の悩みなんて、ちっちゃい、ちっちゃい・・と思えたら、なんかパァ~って力が抜けて、思わず大切な仕事を
飛ばしてしまったのです。

明日から、台湾~大阪~四国と怒涛の出張です。

本日、新規事業も内定しました。

いまから、ここから、我々のやるべきことは、海よりも深く、広い!!!
気張ってきます!!

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永瀬 義規

GWの次は……!

GW、皆さんはどう過ごされました?
4月29日には全日本選手権大会があり、
前日の28日には高段者大会があり、さらに、
5月5日「子供の日」には全国少年柔道大会がありと、
毎年のことではありますが、
柔道界はイベント盛りだくさんでしたね。

子供の日の全国少年柔道大会、
出場された選手、指導者の皆さんお疲れ様でした。
優勝は朝飛道場だったとのこと、
選手・関係者の皆さんおめでとうございます。

また、個人戦では、和歌山・九度山柔道クラブの入来院大樹君(5年生)と、
神奈川・朝飛道場の工藤海人君(6年生)が優勝したそうで、
こちらもおめでとうございます。

優勝選手以外でも、湯川魁君(県立富山武道館)や
海堀陽弥君(九度山柔道クラブ)、野村陽光君(舟川柔道塾)、
松澤佑栞さん(白根柔道連盟鳳雛塾)と上位進出選手のほとんどが
スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会でも
活躍している選手たちなので、
「みんな頑張ったなぁ」と、とても嬉しくなりました。

今回、活躍した選手はもちろん、
残念ながら、力を出し切れなかった選手たちも、
次は、全国各地の「スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会」が
お待ちしてます!

スポーツひのまるキッズ大会事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その44:本当にやらなければならないこと~ひのまるキッズのこだわり②・東北復興支援)

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平成23年、今から三年前のGW、私は当時の取締役・時崎と岩手県宮古市にいました。

未曽有の大震災によって被害にあった子供たちになにができるか・・・。

3月11日の震災以降、その直後の近畿大会、翌月の関東大会において募金活動をしましたが、どうしてもそれ以上のことをやりたい・・。

社内で会議を繰り返し、出てきた言葉は正直、後ろ向きな意見・・。

だったら、まずは俺たちでいく!! と東北大会営業で訪れていた弘前からレンタカーで南下し、花巻~盛岡と営業回りとして、たどり着いたのが宮古市山田町でした。

行ったときには、まさに映画でも見ているかのような状況・・、戦争後の東京もこんな感じだったのだろう・・、絶句の一言でした。

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山田町の鈴木先生を始め、実際、家が壊滅状態になってしまった鳥居さんやご父兄とお話をして当初は10組20名の予定だったご招待を23組46名に決定。それから、決まったからには・・ということで、五月一杯で全国48社を周り協賛を集めてなんとか大会にこぎつけました。

平成23年6月12日

会場の弘前・青森県武道館には500名以上の子供たちの中にその23名はいました。

そして、選手宣誓・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=LiTklouVgI8

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鳥居兄弟とそのお母さんが会長の前に立ち、

『選手宣誓の前に感謝の言葉を述べさせてもらいたいと思います』とはじまった時には、会場は静まり返りました・・。

そして、その感謝のスピーチが終わり、選手宣誓に移行。終わるころには、涙で一杯の眼からその涙をこぼさないように目を見開き、上を見上げるしかない状況が続き、横を見ると、講師、ゲスト、そして市長までもが全員顔を上げていることに気が付きました。

それから、今日まで皆さんのおかげで210名の親子を、各地のひのまるキッズにご招待することができました。

本当にありがとうございます。

今回にいたるまで、ここでは書きつくせない様々なお話を直接聞かせていただきました。

大阪の近畿大会でベイタワーホテルから見える南港の素晴らしい眺望を見た瞬間、宮城の女川からきた子供がお母さんに

『お母ちゃん、ここだったら津波、届かないね』

って言った時の胸の詰りは今でも、いや一生忘れられません。

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そして、今回、今一度、被災地を訪れました。

三年ぶりのその場所は、正直、想像以上に復旧は遅れているように思えました・・。

いや、言葉を選ばず言わせていただけば、まだまだ全く進んでいないように思えました。

国が、自治体が・・などと、言っていても仕方がありません。それぞれの立場もあるでしょう。

それでは、我々ができることは、何か・・・。

本当にちっぽけなことですが、我々は愚直に被災地の親子をひのまるキッズにご招待し、『親子の絆』を深めていただくことだと確信しています。

そして、それを続けることです。

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さらに、今度は満を持して、現地にてひのまるキッズを開催し、周りの力で被災地の親子たちに励ましのエールを送ることも企画します。

いまから、ここから、自分たちができることにとことん己を尽くして、決してあきらめない!! やれることは、まだまだ未知数です。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その43:思いは必ず叶う~引き寄せの法則?(笑))

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ひのまるキッズを始めてもう6年。

そんなことをやって、どうやって飯を食うんだ?

協賛金なんて集まるわけがない…

永瀬さんにしかできない。

様々ことを言われ、それでも、必死になって全国を回り、三万でも数百万でも決して力を抜かず、一生懸命話をしてきました。

そして、本当に少しずつですが、光が見え始めてきたように感じます。

そんな中、特に昨年くらいから、人の『絆』のありがたさを痛感する場面に遭遇することが度重なるようになりました。

先日も弘前で鳥肌ものの出会いがありました。

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「ミスひのまるキッズ」村中と深夜バスで到着してから、とにかく、回りに回っていました。

お陰さまで、ほとんどの話は順調に進んでいましたが、唯一、「中国大会の丸久、東海大会のユタカファーマシーみたいなスーパーもしくはドラックストアのスポンサードがほしい」という点だけが未決定でした。

行くところ、会う人にどこかないかと尋ねても、いくつか名前は出るけど、コネクションがない状態…( ̄^ ̄)

そうこうしているうちに、最終日になってしまいました。

深夜バスの時間まで、青森のパートナーで、スポーツひのまるキッズ協会の理事でもある藤田博臣と、元、弘前青年会議所理事長の藤田あつ志氏のW藤田と会食。

その時に、藤田あつ志さんが連れてきた現青年会議所の理事長に、いつも通り熱く語りまくっていました。ひとしきり話終え、次のアポイントメントのために先にお店を出るという時、ふと理事長に「理事長は何の商売をされているんですか?」と聞くと、

スーパーです。

という返事。

ん、と交換した名刺をよくよく見ると、佐藤さん。

ん、佐藤…。ん? 

と、昼、物産協会の事務局次長に教えてもらった企業のメモを見直すとそこには「さとちょう スーパー」と走り書き。

まさか、理事長は?(笑)(^^)d

はい、佐藤長というスーパーやってます…。

見、見つけた! 最後の最後で、奇跡が起こりました!

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そこからは、怒濤の営業攻撃で、協力は約束してくれました(^-^)v

まさに、テレビドラマを見ているようで、W藤田も、ミスひのまるキッズも、大感激でした。

いまから、ここから、思いは必ず叶う~引き寄せの法則でもっともっとひのまるキッズの絆を深めていきたいと思います!

感謝。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その42:ひのまるキッズのこだわり①~靴を揃える)

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スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会を始めるに至って、様々なことを社内で話し合いました・・。
参加する子供がうれしいこと、『夢』を提供して、一生の思い出つくりのお手伝いをすること・・・。

そして、生まれたのが、

『一番見て欲しくて、褒めてもらいたい人にもっとも近いところにいてもらい感動を共有してもらう』

つまり、

いつもは観客席で応援している親御さんに試合場の一番近い席で、応援してもらう、ということでした。

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これって、基本的にはそんなに難しいことではないように思えますが、ひのまるキッズの規模でそれを
やるとなると、かなりのハードルの高さになるということは、かつて全柔連大会事業課長だった自分が
一番よく知っていました。

でも、スタッフの熱意、県柔連の先生方のご理解、賛同する道場の先生方のご協力で6年前、無事関東大会
を開催し、それから現在まで、全国8か所でもう完全に定着することができたことは、本当に皆さんのお蔭で、
感謝の気持ちで一杯です。

さて、そんな中で、このルールにするにあたって、大会としてこだわっていることがいくつかあります。

今回は、その中の一つ、『はきものを揃える』ということを紹介します。

文字通り、靴を揃えるという行為。当たり前と言ったら当たり前なんですが、当初は、まあ、見事に入口、
トイレ・・いたるところでゴチャゴチャでした。

最初は、入口で口うるさく言っても、放送で何度も注意してもまったくダメ。

ところが、ある時から何も言わなくても、一つ、二つ・・、そして、現在はほとんどの会場でしっかり
はきものがそろっているシーンを見かけるようになりました。

その理由は・・・

簡単でした。

最初、私自身も、スタッフも一生懸命脱ぎ捨てられた靴を揃えていました。それを見れば(つまり背中を見せれば)
子供たちは気づいてくれると信じて・・。

でも、それはとんでもないということが、すぐにわかりました。簡単に言うことを聞いてくれるわけがありません。
でも、顕著に変わった瞬間が訪れるのはそんなに時間はかかりませんでした。

私たちの姿を見て、共に入場する親たちがしっかり揃えるようになり、それを見た子供たちが、当たり前のように
その真似をするようになったのです。

まさに、親子の絆

そして、この『はきものを揃える』という行為。もちろん、会場によっては、格差はありますが、柔道のレベルとマナーは
必ず比例するということを気づかされる物差しにも現在はなっています。

つまり、「子は親の鏡。鏡である子供に靴を揃えなさい、例をしなさいと言って、自ら実行する親に育てられた子供は
柔道の技術もしっかり吸収し、成長も早い」ということ。

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年々、ひのまるキッズのレベルが高くなってきて参加者が『勝てない大会』とエントリーを躊躇するという声が多くなり、
ちょっと心配ですが、そこは『競技力向上の大会ではなく、負けてからしっかり楽しめるイベント』というコンセプトの
徹底がなされていない、我々の広報不足と反省しております・・・。

いつの日か、ひのまるキッズの会場では、いつもピシッと揃えられたはきもので一杯にしたいと思います。

いまから、ここから、信念を持って己を尽くしていきます!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その39:原点『近代柔道杯』)

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何でもいいから、企画書を持ってきなさい!! 新入社員だからと言っても遠慮することはないぞ。

大学を卒業して、ベースボールマガジン社に入社し、近代柔道編集部に配属。毎日毎日、慣れない編集作業で
フラフラになっているときに、当時の副社長から言われたこの言葉に、それまで思っていることを爆発させた。

近代柔道編集部に所属したときに最初に思ったこと、
それは、『あれ、俺ってこの雑誌に何回載ったことがあるんだろう??』

正直、片手で数えるくらいしか、それも記録のページにちょこっと、写真は学校訪問と『ちょっといい顔』の観客として・・(笑)

まあ、正直、ほとんどの人がその程度(以下)と気が付いてから、ことあるごとにみんなはどこのページから読んでいるのかな・・と
注意するようになり、また、できる限りの読者に「どのページを見ますか?」って聞きまくりました。

答えは、記録のページがダントツ。じゃあ、どうすれば一人でも多くの人を掲載できるのだろう・・・・、

そこで確信した私が出した企画が『お父さんは子供のころに全国大会で〇〇選手と同じステージに立ったんだよ』と言って近代柔道を子供に
みせてもらうための゛誰もが出れる全国大会” それも、その当時、一番選手層が薄かった中学生にターゲットを絞りました。

企画書を持ち込んだ時には、当時の広告局長に『馬鹿野郎、柔道のイベントなんて儲かるわけないだろ!!』と言われたものの、起死回生の大逆転で
東洋水産から協賛をいただき資金を確保。そこから、東京都中体連や全柔連に当時の編集長・根本氏(故人)と何度も通い、体重別の団体戦も
認めてもらい、なんとか1988年3月27日、(当時は関東大会として)51チームの参加で講道館にて開催された『近代柔道杯』

補助係員は中大の後輩。
アナウンサーはのちの嫁さん、
弁当運びは『ひのまるキッズ講師』でお世話になっている青井先生(笑)・・・・・!!!

閉会式で、当時の池田社長に『おまえ、よくやったな。うん、うん。これは我社の看板大会だ。今後、役員は必ず出席するように!!』と褒められた時の
感動は昨日の時のように思えています。

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それから、5年後に渡米するまで全国大会に育て上げ、そのあとは、もっとも信頼する後輩を始めとする広告局スタッフを中心に続けていただき、帰国後は、全柔連の
立場でバックアップ。2001年に再び古巣に戻ってからは、主体事業として大会規模拡大をめざし、その集大成が独立する前の年の2007年大会。
テレビを入れ、協賛を増やし、そして世界の大陸代表として6か国から参加を得るところまで発展させることができました。

独立してからは、残念ながら携わることができず、毎年、思い出を振り返るだけですが、今の自分の考え方、ビジネス手法、そしてネットワークを構築できたのは
この大会のおかげだと思って感謝しています。

『誰もが出れる全国大会』で呼んで輝く舞台を提供する近代柔道杯に負けないよう、
『一人でも多くの子供に夢を提供し、親子の絆を深める』イベントとしてひのまるキッズを地方の方々と広げていきたいと思います。

そして、いつかは ひのまるキッズ⇒近代柔道杯⇒金鷲旗⇒学生柔道⇒実業団⇒ひのまるキッズ(保護者の部)⇒マスターズ と、民間企業がしっかりと『柔道界』を
バックアップできるパイプを一気通貫でいけるようになればと望んでいます。

それには、『ひのまるキッズ』もっともっと盤石な事業にしないといけませんね!!

いまから、ここまら、温故知新でさらにパワーアップです!!

最後に、本日の第27回近代柔道杯、スタッフの皆様お疲れ様です。大会の成功をお祈りしております!

http://www.judo.or.jp/p/32634

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その38:私のヒーロー!『昭和の三四郎』岡野功

その柔道家を知ったのは、小学生のころ。

戦国時代の武将好きだったため、貪るように偉人の伝記を読み感化されていた私が、ふと手にしたのがその柔道家が
それまでの柔道生活を記した単行本でした。

本のタイトルも、中身の詳細もほとんど覚えていませんが、
『これだけ練習しないと世界一にはなれないんだ』
『中学生で耳がつぶれていないと恰好わるいなぁ(笑)』
と思っていたことは確かでした・・・。

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その柔道家との初対面が中学生の時、柔道の私塾『講道学舎』でのことでした。

当時のことも、正直、あまり覚えていません。ただ、筋の良い後輩に背負い投げを教えているのを陰で見て、やけに
その理論的な指導に感動していました・・・。

大学進学を決めるとき、その決め手となったのが、その柔道家の存在だったことも嘘ではありません。

そして、その柔道家との強烈な思い出は、大学4年になる直前の勝浦合宿でのことです。

当時、とにかく、強くなりたくてライバルたちには絶対に負けまいと朝のランニングでは必ずトップを争い、午後の乱取り
でも、元立ちを進んでこなして、たぶん20~30本くらいガンガン稽古をしていました。

ただ、午前中の寝技稽古の時だけ、寝技が苦手な私は、正直、少し手を抜いていたように見えたのかもしれません・・。
そんな時です。

何本目かで当たった流通経済大学の学生との寝技稽古の時、亀になって相手の攻撃をただ時間稼ぎをするかのようにこらえていると、
ふと、凄いさっきを感じました。

顔を上げた瞬間、目の前が真っ暗になりもんどりうってすっ飛ばされ『貴様、中大のレギュラー候補がそんな練習をしてどうする、
今すぐ道場から出ていけ!!』という声だけが頭に響き、目の前にその柔道家が仁王立ちしていました。でも、その柔道家は
流通経済大学の監督で、なんで俺が怒られなければ・・、と思いながらも、すぐに立ち上がり『す、すみません・・』と言って
稽古に戻りましたが、顔中が痛くて、その日の午後に(その時は頭をけられたと申請して)、コーチに言って、一日早く
大学の合宿所に帰る許可をいただきました。

正直、その時は『稽古をさぼれる。それも公式に』みたいな気持ちで帰路に着いたのですが、勝浦から東京駅に行き、そこから
電車を乗り継いで、八王子の合宿所がある南平を降りるときは、口の中が痛くて、痛くて気絶寸前。

これは、頭ではなく、口だな・・と、駅を降りてすぐの歯医者に飛び込みました。

すると、レントゲンをもってきた歯科助手が「これは、ひどい」という声が聞こえ、先生から「君、前歯三本、根っこで折れているけど
どうしたの??」

マジすか・・・。

と言っても、あまり大したことと受け取らず、すぐに差し歯にしてもらい、現在は7年前にインプラントできれいになっていますが・・。

そして、就職し、近代柔道の編集長でその柔道家をことあるごとに取り上げ、ようやく名前を覚えていただき、そのあと、縁があって
eJudoの代表取締役としてお会いする機会が増え、お宅にお邪魔しては編集長の古田君と感銘を受けていました。

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昨年、状況が変化して、頻繁にお会いすることがなくなり非常に残念だと思っていた矢先、その柔道家が母校の第五代目の師範に就任という
話が持ち上がり、なんとかお願いして受けていただいたと聞いた時には本当に涙が出るほど嬉しかったです。

昨日の中大柔道部歓送迎会で『自分の柔道人生の集大成にしたい』と仰り、FBでもご報告しましたが、このブログでもご紹介させていただきました。

昭和の三四郎

岡野功

私の中でヒーロー中のヒーローであるこの稀代の柔道家からこれからも様々なことを吸収できる喜びを実感しています。

いまから、ここから、日々勉強、勉強です!!

あ、岡野師範は、私の歯のことはまったく覚えていませんでした(笑) スケールが違いますね・・・(*_*)

永瀬 義規

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いまから、ここから。ひのまる社長の独り言(その37:あの時、思ったこと・・)

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帰郷している親友から、『アルバムを開いていたらこんなの見つけたよ!』って写真が
添付されてきました。

いまから28年前、中大の卒業アルバムだと思います。

一般学生で柔道部に入って、三年間はまったく存在さえも無視され、でも回りの支えで
頑張り、なんとか4年生でレギュラーの末端に引っかかった学生時代。

とことん、己を尽くす。

できるまでやる。

決してあきらめない。

51歳になった今でも、永瀬義規を支えている生き方は、この4年間で構築されたといっても
過言ではありません。

ただ、この写真を見て、卒業式のあの日、大学の正門で同級生で写真を撮った時に思ったことがふと頭に浮かびました・・、

俺って、幸せだな~

これまでの四年間が走馬灯のように頭を駆け巡り、本当にそう呟いてしまいました。

みんなは笑っていましたが、

今でも、私の周りにはこのころの仲間がいて、弱気になった私を大所高所で支えてくれています。

さあて、死ぬまであと20数年(たぶん(笑))

死ぬときに、その時、そばにいる大切な人に『俺って幸せだったなぁ~』そして、先に行った仲間たちに
『おう、お待たせ!!これからも楽しくいこうな』って言えるように前を向いて精進していきたい。

いまから、ここから、幸せは自ら感じることです!!!  ね。

永瀬義規