いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その36:幸せを噛み締める瞬間)

御前岬

諸般の事情で、最近、幸せを感じたことはなく、正直、こころの中に穴がポッカリと空いている状況でした。

いつまでもくよくよしていても仕方がないと、なんとか前に進んでいこうとしている矢先、FBでもアップしたように
なんと、引っ越しの時には本当にバタバタで考える余裕がなかったのですが、大学時代同じ釜の飯を食べて、それ以降
公私ともに支えてくれている親友二人の家と本当に近くに新居を構えたということに先日、気が付きました(笑)。

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そして、今日、経営者としては大先輩でそれこそ公私ともにお世話になっている弟分が急に旅行に誘ってくれました。

尚(加賀)

親友二人とは、大井町でもつ鍋食べて、飛び込みでバーに入って・・・、そして、弟分とは昨夜から石川県の温泉に行って、飲んで、
ラーメン食べて、今日は、バスで加賀市を回って、蟹をはじめ北陸の蟹、魚を堪能して、日本海をボーっと眺めて・・。

蟹!

内容的には大したことはなかったのですが(失礼(笑))、ただ、笑って、笑って、笑いました。

人間とは、何かのために生きていると思います。

その中で大切な『働く』ということに関しても、

家族の生活を守るために働く、
自分の夢を叶えるための収入をえるために働く、もしくは、働くことで夢を叶える
会社を健全な経営状態に保ち、社員の家族を守るために働く、
プライド、見栄を守るために働く・・・。

ただ単に、『生きるため』だけに働く、っていう人もいるかもしれません、では、なんのために『生きる』のでしょうか?

死んだらおしまいだから、生きるんです・・・、もちろん。

自分自身、振り返っても自分は何のために生きているのか・・、正直、わからなくなっていました。

でも、今回、すべてを忘れて笑っていたら、そんなことはちっちゃな話で、こいつらを含めた、全ての絆を持つ仲間と
いろんなことを共有し、泣いて、笑って、感動して、そして、私には自分の子供のような『ひのまるキッズ』が生きる
糧なんだと、いつも言っているように、ただひたすらこのイベントを愚直に取り組めば良いんだ、と思えるようになりました。

そうただひたすら、己を尽くせば良いんです。そして、世の中に必要とされなければ、潔くやめれば良い。

どうなっても、仲間との絆は切れず、何をしても共に笑ってくれる。

義規スマイル

いまから、ここから、そう、絆を感じ、心の底から笑える幸せを噛み締めて、新年度に踏み出します!!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その35:いまから、ここから、ですね(^-^)v)

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本日、ここから新たな人生を踏み出します!
たぶん、死ぬとき『おい、俺の人生、楽しかったね』って言えるかどうかは、今日からの数年で決まると思います。

今まで以上に、己を尽くします。

いまから、ここから、よーい、ドン!

永瀬義規

娘の大学入学で、改めて考えた『親子の絆』

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私事で恐縮ですが、次女が大学に合格しました。
ホッとひと安心ではあるのですが、同時に、
入学金・授業料と怖いくらいの金額がかかることを改めて思い知らされ、
ちょっと途方にくれているところです。
2年前に、長女で同じことを経験しているわけで、
当然わかっていたことなのですが……、
「親って大変だなぁ」とつくづく実感するとともに、
自分が大学に入るときにも、
両親が同じような苦労をしていたんだなぁと思うと、
申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちになります。

「大学を卒業させるまでは親の役目」
そう思って頑張っているお父さん、お母さんも
たくさんいらっしゃると思います。
私自身もその一人ですが、果たして子供たちが
その気持ちをどれだけ理解しているのか……?
「感じているのなら、少しは普段の生活態度で示しなさい」と
小言の一つも言いたくなりますが、
言ったところで、親の一人相撲みたいになってしまいますしね。

それに私自身も、その年齢の頃には、
やはり親の苦労をわかろうとはしていませんでした。
大学入るのに、浪人までしてしまいましたし。
「周りのみんなも浪人しているし、浪人させてもらうのは当たり前」、
親への感謝は「卒業して、社会に出て出世して返す」くらいに、
簡単に考えていたと思います。
それが、社会に出て、結婚して、子供が生まれ、育てているうちに、
そんなことはすっかり忘れ、親よりも子供が最優先になっている――。

でも、それがある意味、連綿と続いていく親子の絆、
家族のつながりなのかなぁと、勝手に解釈しています。
自分がそうだったように、
おそらく子供たちも、自分が親になった時に、
いろいろなことに気付いていくんだと思います。

とはいえ、少しは親孝行らしいことしなくちゃなぁと、
つくづく感じている今日この頃です。

(写真は少し前ですが、東京・赤坂の豊川稲荷にお参りした際、「その通りだなぁ」と思って撮影した言葉です)

スポーツひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その34:言うは易く、行うは難し)

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先日の近畿大会で、お陰様で35回の『スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会』を開催することができました。
正直、2009年4月に関東大会を始めたとき、社員でさえ、「これでどうやって収益を上げるんだ」と疑心暗鬼の
スタートでした。

あれから35回・・・。

心が折れかかったことも数回あり、その度に応援してくれる人々、頑張ってくれている社員、そして支えてくれる
家族の助けでなんとかここまでこれました。

本当にありがとうございました。

先日、引っ越しのため、荷物の整理をしてたら、昔の手帳がどっさり出てきて、ページをひっくり返して当時のことを思い出していました。

そして、面白いことを発見しました。

ちょうど近代柔道の編集長になった25歳くらいからの記録でしたが、編集長~渡米~帰国そして、二度のオリンピック、全柔連、
古巣に戻って常務取締役・・・と、週に一回は「まだまだできる、もっと頑張らないと」って書きなぐっていたのと同時に、
常に人のことばかり「●●がこう言った、●●はどう思っているんだろう」と愚痴めいた言葉がいつもそこにはありました。

ところが、創業して「ひのまるキッズ」を始めてから、それこそ、人に裏切られ、収益がまったく上がらず、常にどん底(笑)の
毎日なのにかかわらず、そのメモには「いまから、ここから!」「一日一死で悔いなく行こう」と自分に対しての叱咤激励が
そのほとんどをしめているのです。

そして、極めつけは「動機善なりや、私心なかりしか」

ただ、これを今までは少し違った解釈をして自分自信を奮い立たせていたことに先日気が付きました。

四国の友人がよく使う、彼の師事する稲盛さんのお言葉ですが、私は、『無欲に良いことをやっていれば必ず成功する』と勝手に
解釈して、ことあるごとにこの言葉を掲げていました。

ところが、先日、その友人と話していたら、「永瀬、たしかにそうだけど、俺は『事業を始めるときに、その事業を始める動機が
良いことかどうか、そして、その事業で利益を上げた時には自分に使うのではなく、その利益をまた良いことに使う。そうすれば
その企業は世の中に必要とされる存在になり、多くの人に支えられ、もっと大きくなっていくんだ』と理解してるよ」と言われました。

自分自身が、毎日、毎日、一日一死の思いで精進するのは当たりまえ。そうやって積み上げた利益をまた、世の中のために使って
こそ、本当の成功が生まれる・・。

言うのは簡単だけど、行うのは難しい・・。

そして、6年前の会社創業時に妻からもらった一枚のメモ。
『新会社設立おめでとうございます。長年の夢が叶って良かったね。そんなあなたに”Save for rainy days”という言葉を贈ります。
景気のいい時こそ、悪い時に備えてしっかり貯える会社にしてください』

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どこまでいっても『良いこと』をやりつくし、その収益は世の中のために有効に使い、健全経営で社員の生活を守る!!

言うは易く、行うは難し。  でも、必ずやります!!

いまから、ここから、新年度を迎えるにあたり、『有言実行』を今一度心に刻みます!!

永瀬 義規

スポーツひのまるキッズ近畿大会に被災地の親子をご招待して、改めて感じたこと

IMG_05642月9日(日)、大阪で開催したスポーツひのまるキッズ近畿小学生柔道大会。
宮城県から来ていただきやすいということもあり、この大会には、3年連続で東日本大震災の被災地である宮城県から親子をご招待させていただいております。
2012年は女川町と七ヶ浜町から32名、2013年は山元町から14名、そして今年は、石巻市から19名。いずれも被害がとても甚大だった地域です。

東日本大震災からまもなく3年が経ちます。
近畿大会の第1回大会は、震災直後の2011年3月20日(日)で、東北地方はまだ大混乱のさなか。関東地方もお米をはじめとする食糧不足の状態で、ほとんど影響のなかった近畿地区とはかなりの温度差を感じたものでした。時の経つのは本当に早いもので、あれからもう3年です。

スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会では、2011年6月の東北大会以降、岩手県、宮城県、福島県の被災地の親子を大会にご招待させていただき、延べの人数は200名を越えました。

ご招待させていただいた選手、お父さんお母さん、そして指導者の先生方にお会いして、震災のお話をお聞きすると、本当につらい思いをされたんだなぁとつくづく思います。あの頃、毎日のようにテレビに映し出されていた悲惨な状況を、目の前で見た子供たちは、あの光景を一生忘れることはないと思いますし、震災前と震災後では、被災された皆さんの心に大きな違いが生じているのは間違いないことだと思います。

「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」という言葉は軽すぎますが、震災への意識は着実に、そして急速に薄まっているように感じます。

「子供が元気に柔道をやっている姿が見られて、本当にうれしい」
2011年6月の東北大会で、ご招待した山田柔道スポーツ少年団の子供のお母さんが、なにげなく発した言葉は、今も心に残っています。

震災から3年が経ち、状況は大きく変わってきています。でも、あの時の、親御さんたちの子供への思いと、子供たちの親御さんへの思いは、今も、そしてこれからも永遠に変わらないものだと思います。

「親子の絆」を改めて確認していただくためにも、スポーツひのまるキッズでは、東日本大震災復興支援プロジェクトをこれからも続けていきたいと考えています。

スポーツひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その33:スタッドレスに泣き、スタッドレスに助けられた大雪のバレンタイン)

今年の2月14日は、本当に長い一日でした・・・。

その前夜は(FB投稿にあるように)、会社に泊まってしまいました・・。この時点で、かなり疲れが出ていたような気がします・・・。

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朝、バタバタの中で会議をしようとしていたら、フロリダからの来客、田中さん。会議はスタッフに任せて、ひのまるキッズの今後の国際展開を話や、
お互いの人生について(同じ年だったので)熱く語っているうちに、外出の時間。

14時に盟友・藤川さん(初のJリーガーで同じ年、現在、国際武道大学サッカー部監督)に会いに勝浦に行かなければならないということで、
田中さんとバタバタの中、出発。すでに雪交じりの雨が降っていたので、タクシーに乗り込んで、社内でも熱く語りながら駅前で降車。改札を通ろうとした時に
『あれ、定期入れがない…』
『支払いの時にSuicaで払ったのは見てましたけど(田中さん)』
『ですよね。じゃあ、タクシーだ・・』ということで
領収書からタクシー会社に電話をしていると、
『ちょっと降車したところに見に行きますよ(田中さん)』
『いや、道の真ん中で降りたので落としたら気が付くでしょう・・』
と言いながらも、横断歩道を渡って降車場所に行くと・・・
ありました。でも、車に踏まれてビチョビチョになっており、よく見ると小さな穴が開いている・・・。

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なんじゃこりゃ、と思いながらも、
『田中さん、ありがとうございました!!』と言って、そのまま電車に乗り込み、勝浦に向かいました。

勝浦についた時には、すでに大雪。

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タクシーに乗り込んで、藤川さんの待つレストランへ・・・。

14時からのパーティーは悪天候にかかわらず、なんと福岡からも訪問者があり、旧知の人とも再会もでき・・、と充実していました。

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15時くらいに『そろそろ電車が動かなくなったら困るから帰ります』とタクシーを呼んでもらい、御宿という駅に向かいました。

普段、10分で着くところを40分かかって、御宿駅に到着。そ、そこで恐れていたことが・・・。
電車がまったく着ません・・・。

小一時間待って、これはダメだと思案していると、ふと先ほど交換した名刺がポケットから出てきました。
それは、数年ぶりに再会したミズノの井上さん。『そうだ、彼は車だと言っていたけど、タイヤがノーマルだからあきらめて泊まるって
言ってたけど・・』と携帯に電話したら・・、

『いやあ、なんとスタッドレスタイヤだったので、車で東京に向かって、先ほど御宿を過ぎてしまいましたが、戻ります!!』

これぞ、神の助け・・・。

ん?スタッドレスタイヤ・・。もしかしたら・・・と定期入れをよく見ると明らかにボツボツはその証でした(笑)

しばらくして、無事に迎えに来ていただき、そのままミズノ本社の御茶ノ水駅まで送っていただき・・・・、西国分寺前直帰する・・・
はずでしたが、なんと、武蔵境でまったく動かなくなり、頭来て、もうホテルに泊まろうと歩き回ったものの、全部満室・・。

バレンタイン???

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もう腹を決めて、まずは腹ごしらえと武蔵境駅近くのカレー屋さんでしっかり食べて、ホームに戻ったら、中央線は動いており、無事、
西国分寺に到着。と、改札を出た途端、とても嫌な予感が・・、家の鍵を会社に忘れた・・・。そう、徹夜あけでバタバタで机の上に・・。

一瞬、目の前が真っ白・・、雪で回りも真っ白・・。

仕方なく、最後の手段。実家の母親が持っているスペアキーを借りに、今度は武蔵野線に乗って新小平に(隣駅)、そこでやっとタクシーに
乗れて、そのまま実家に行き、カギをピックアップして西国分寺についたのが24時・・。

タクシー車内で、運転手さんが話をしていた内容がスタッドレスタイヤ。

とにもかくにも、2014年のバレンタインはスタッドレスタイヤの日だなぁ~、と朦朧とした意識の中、その日を終わりにしたのでした。

くだらない内容でしたが、こんな日もあるんですね。いやあ、結構きつかったです。寂しかったです・・・。

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いまから、ここから、仲間や家族の大切さを痛感したこの日を糧に気張っていきます(笑)

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その32:自他共栄~多くの人に支えられて)

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社長、私は悔しいです。学生たちに「Mさんは、何の職業をされているんですか?」って聞かれて、「私はこれよ」と
答えたら「いえいえ、普段は何をされているんですか?」「だーかーら、これだって」「え、こんなことが職業になる
んですか?」と言われてしまうんです。

以前、ミスひのまるキッズのM嬢が大会後にこぼしていた。

かねがね、「俺たちはプロだ。スポーツで飯を食ってるんだ。だから、ボランティアの方々に対して過度な期待をしては
ならないんだ」と言って、プロフェッショナルを追求しているものの、時々、会場の補助係りの学生のその働きぶりに脱帽
することがある。

今回の大阪の常翔学園高校の男女、大阪体育大の女子チーム。

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常翔は児玉先生の指導のもと、とにかくしっかりしているし、

大阪体育大チームは、M嬢を初めとする弊社スタッフの過酷なオファーにもかかわらず(笑)、最後の最後まで明るく業務を
こなしてくれました。

将来、この子達の中から『同じ釜の飯』を食べれる人材が育った時に、一人でも大草受け入れられるよう、事業を確実な
ものに成長させなければならないと、切実に思った近畿大会でした。

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いまから、ここから、未来の仲間との夢の共有を願って…。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その31:夢はでっかく根はふかく)

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スポーツ界の三角形の頂点は俺がいなくても問題ない。

俺は、三角形の底辺、基盤をしっかりと支え、スポーツで飯を食える事業を興す!

起業して『ひのまるキッズ』を始めて6年。

まだまだスタートしたばかり、日々、一日一死の思いで前に進みます!

夢はでっかく、根はふかく

いまから、ここから、ひのまるキッズが全国を駆け回って行ける日を夢見て。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その30:一生懸命が産むもの)

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通算34回目のひのまるキッズ、第五回九州大会が無事終了しました。

今回も数々の感動を与えてくれましたが、その中で特に大盛り上がりだったのが、過去最大参加数(18名)参加の『保護者の部』。

実は、中国大会で恐れていたケガ人が発生し、継続に一抹の不安を持っていた私の気持ちを一掃してくれたのが、今回、大会にもエントリーした後輩の言葉でした。

『先輩、『保護者の部』は八方良いことつくしです。

勝ったら、親の威厳を保てる。

負けたら、「お父さんだって負けるんだから…」って、子供が負けたときの言い訳材料を与えられる。

そして、何より、

子供に、ひとつのことを一生懸命やっている自分の姿を見せることができる。

こんなに素晴らしいことはないんです』

何事においても冷めている現代の若者たち。それは、熱くなろうにも、熱くなる模範がないから、そうならざるおえないのではないでしょうか?

そんな中で、一番身近な『親』が見せてくれる一生懸命な姿に、熱くならない子供はいないと実感させられた『保護者の部』。

言ってくれた後輩は、身長で21センチ、年齢で8歳違う、かつての名選手の前に撃沈してしまいましたが、そこで見せたいつもとは違った鷹のような勝負師の眼には、弊社スタッフをはじめ、見ている者を魅了する何かがあり、それは必ずや観客席の妻子に感動を与えたと確信しています(^-^)(^-^)v

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いまから、ここから、人生常に一生懸命! とことん己を尽くす姿に感動しない人間はいないと信じて前に進みましょう。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その29:過去の永瀬ではなく、今の永瀬を応援してるんです!)

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「こんなこと、永瀬さん以外にできっこない」
ひのまるキッズを立ち上げた頃に、事業(営業)を任せていた執行役員に捨て台詞的に会議で言われ、それ以降、会社を離れて行った人間のほとんどの離職理由が同じような内容。
「社長が何でそこまでできるか、わからない。第三の何かが宿っているとしか思えない」
と言った人もいた(笑)。
果たして、自分は特殊なのか?
本当に永瀬しかできないのなら、続けても周りを不幸にするだけじゃないのか…。
財産をなくし、借金を抱え、家族にも見放され、そこまでしてなぜ俺はこの『ひのまるキッズ』をやり遂げなければならないのか…。
できるまでやる。
良いことだから、やる。
負けたくないから挑み続ける。
もっと、もっと、頑張る…
色んな理由が、頭をぐるぐる周り、毎日、毎日が嵐のように過ぎ去っていく。
スポンサーを断られ、落ち込み、思わぬ快諾に喜び、人との絆に感動し、裏切られ泣く…。
「事業をやってたら、多かれ少なかれ浮き沈みはあるけど、永瀬さんは沈みっぱなしやもんな」「今までのキャリアから見て永瀬さんがやるべきことではない」
と言われることが多く、返す言葉もない自分もいる。

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そんな時、滅茶苦茶ヤンチャな50歳の不良社長である大阪のブレーンの一人にこう言われて何かが見えた気がした。
「先輩、ワシは先輩と知り合ってまだ一年ちょっと。だから、先輩がかつてどんな偉くて、何をしたか全く知らないし、興味もない。ただ、俺の知ってる永瀬は、『今』を一生懸命生きている男だ。口ばっかりの人間ばかりが蔓延る世の中で全てをなげうって、ひのまるキッズに命をかけている。だから、薄っぺらい自分だけど、やれることはやる。応援するんや!」
正直、自分自身、ひのまるキッズをやり続けるための正しい答えをまだ見つけられていない。
でも、少なくとも、自分を必要としてくれる人がいる限り、止めてはいけないと思うし、俺はまだまだ己を尽くしきってない。
世の中に必要な会社(事業)は、必ず生き残る。
いまから、ここから、まだ倒れるわけはいかない!!
永瀬 義規