いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その303;働くということ)

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以前、ここでも書かせていただいたように、私の父は25歳の時に脱サラして仕出し弁当業を始めた、らしい。

らしい・・は、私が物心ついた時には、母親と一緒に夜中まで次の日の仕込みをして、朝3時には起きて黙々と弁当やおいなりさん、おむすびを作っている姿しか見せたことはなく、それは、私が小学3年生の時にお店を持ち、5年生の時には家を建て、中学、高校と本当に馬車馬のように働く背中しか見たことがないため、

そもそも、いつから? なんで? この仕事に着いたのかなどは聞く余地もなく、仕事というものはそんなものだと思いつつ、そんな親の苦労を横目で見つつ、自分自身は、

幼稚園でそろばん塾(当時は小学校に上がらないと受け入れてくれなかった)に入りたくて、お風呂で必死に九九を覚えて勝手に入塾したのを皮切りに、大学受験までとにかく好き勝手に自分がやりたいことをやりたいだけやっていました(毎日19時には家族全員が集合して夕食を食べる・・みたいな決まりはありましたが)。

ただ、思春期を迎えるころに、お弁当屋さんという職業になにか負い目があり、周りには『父は早稲田、母は日本女子を卒業、ただ、ワケあって今はお弁当屋さんだけどね』などと上っ面の話を一生懸命していたように覚えています。

そんな、私の好き勝手。(結局は父が死ぬまで)文句や苦言を言われた記憶はありませんが、ただ一度だけ、柔道推薦で大学進学を決めようと思った時に

「おまえ、大学は勉強でいくもの。早稲田に勉強で行けないのか?情けない。それならば、進学はやめてしまえ」

と人生の選択で唯一反対されました。

結局、「なにお~」と挑んだ早稲田受験に失敗し、浪人して中大に進学したのですが、これが私の人生のすべてを決定する出来事になろうとは思っても見ませんでした。

もう一つ、父の言葉で忘れられないものがあります。

それは、28歳の時、渡米を決意してそのことを父に話した時、

「ヨシノリ、世の中のほとんどの人は『いやあ、辛いこと、いやなことをしてもらって本当に申し訳ない。よく頑張ったね~』ってお給料をもらっているんだ。だから、好きなことでお給料をもらうことがどんなに幸せなことか、どんなに大変なことか、自覚しなければならないぞ」

との言葉。

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プロスポーツ選手のセカンドステージ・・・。

何を甘えたこと言ってるんだ。そんなステージは用意してもらうものではなく、自分が創るもの、勝ち取るもの、という考えに変わりはありませんが、

昨夜の山梨文化ホール。自分の好きなこと、やりたいことを『できること』で表現している若者のパフォーマンスに感動し、一所懸命ハリセン(巻頭写真)で声援を送っている自分がいました。

そこには、間違いなく、自らの動きで、人の心を動かし、そこに対価が発生する。働いている姿がありました。

しかし、これを、信者を作る~儲けるスキームにして初めて、『飯を喰う』ということ。

職種を創るための大きな『壁』がここにはあるんですよね・・。

そして、ここから先が大変! でも、好きなことで飯を喰うんだから、それは覚悟の上だと思います。

今日は、この辺で失礼いたします。

あ、父がお弁当屋さんを始めた理由、父の亡くなった時に叔父さんに教えていただきました(前にも書きましが・・)。

「ヨシノリ、お前が生まれたからだよ」

いまから、ここから、まずはがむしゃらに働きましょう!!

世の中、みんな悩んでますね。。。

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永瀬義規

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その302;人間万事塞翁が馬~なんちゃ、なか!)

  • 小出監督

少し前の事ですが、2019年4月24日、陸上の名伯楽・小出義雄さんの訃報が伝えられました。

有森裕子さん、高橋尚子さん、千葉真子さんら多くの女子メダリストを指導・育成してきた小出さん。

私は、幸いにも、アトランタの有森さん、シドニーの高橋さんのゴールでは、現地で一番最初に(記者会見の仕切り役として)接することができました。もちろん、その時に帯同していたのが小出さんでした。

事前の取材の時も「おい、大変だね。まあ、一杯やりなよ」って日本酒をこそっと進めてくれたりする気さくな方。訃報を聞いて教え子たちが「選手の心を動かす言葉」を紹介していましたが、その一つ一つが非常に重みのあり勉強になりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

さて、上記のこともあり、この訃報の放送が流れたとき、そして、平成をフラッシュバックする番組で小出さんのことがとり上げられたとき、本当にたくさんの人から、

「テレビに出まくっていましたよ。しかし、永瀬さん変わりませんね」

というような内容の連絡をいただきました。

上記で説明した通り、そりゃ、ミックスゾーンでの取材の時にはいつもそばにいましたので、下手をしたら監督より写っていたかもしりません(すみません)。

そして、ほとんどの人が久しぶりだったので、近況を話をすると、

「へぇ~、噂には聞いていたんですが、そんなことをしているのですか」

「ほとんど、全国各地、自分で回ってるんですって・・永瀬さんらしいバイタリティーですね」

と言われてました。

ちょこっと浮かれていました。

ただ、先日、某テレビ局お偉いさんと業界の後輩(大社長)と久しぶりに飲んだ時に、二人そろって開口一番

で、いつまでそれやるんですか?

と聞かれ、いきなり現実に引きずり降ろされました・・・。

創業して11年。確かにこれまで年間の三分の一以上は全国を駆けずり回る日々。これをあと10年、同じように続けられるか?と聞かれたら、「当たり前!」って即答できるかは・・不安です。

だからこそ、これからの10年でやることを明確にして、共に事業を作り上げる仲間を増やし、『一日一死』で生きる覚悟もできたことも事実です。

でも、先日、ある人(数回前にご紹介したパワフル70歳台のおひとり)に、

「まだまだやりますよ!! そして、倒れるときは前のめりで倒れ、後人の踏み台になることが私の『覚悟』です。その時に、芯の通った踏み台でないと意味がないですから、いまから、心身ともに鍛えないと!ですね(笑)」

といったら、

「代表、『人間万事塞翁が馬』が小生の座右の銘です。代表の活動姿勢は必ず良い方向に向かいます。ご自身を信じ前に進んでください」

と返ってきました。

人間万事塞翁が馬

事の幸不幸は予測のつかないものである、ということ。

ケ、セラ、セラ♪なるように、なる・・のですね。

前述の小出監督の名言に「けがをしたときに、『なんで』と思うな、『せっかく』と思え」というのがありました。

なんで、こんなに苦労したのに・・・、

なんで、一生懸命やっているのに・・・、

思いがちです。

せっかく苦労したんだから、一生懸命やったんだから、結果はどうであれ、死に物狂いを楽しもうと思います。

なんちゃ、なか!!(福岡の師匠のお言葉です)

いまから、ここから、進みます。

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その301;できて、当たり前)

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GW真っ只中の3~5日に開催したスポーツひのまるキッズバスケットイベント

『第1回月刊バスケットボールカップU12』

は、お陰様で無事成功裏に終了することができました・・・。

実は、この文章、決勝戦前の少し空いた時間に書き出したものの、

はて、我々の仕事の評価ってなんだろう・・と、なんだか急に疑問が湧いてきてしまい、そこから先をかけずに固まってしまいました。

それは、

丁度その時、月バスカップを初回から支えてくださっている協賛企業の社長がスタッフルームに顔をだしてくださり、

「いやあ、実は担当者が変わってどうなることかと思っていたんだけど、何とか無事に終わりそうだねぇ」

とお声をかけてくださったときの事でした。

正直、私的には、今回の担当替えでこれまでの不安が一気に払拭されて、その理由の何もかも、その社長には説明したつもりでした。

でも、(もちろん、社長には悪気はないのですが)、前述のお言葉に「え、そんな風に思っていたのですか・・」という驚きと、その社長に関しては、運営のプロセスではなく、全てを結果で判断するのだなぁと思い、少し落ち込んでしまい、固まってしまったのです。

ただ、これは当たり前のことで、正直、社長は我々に対して『できて当たり前』が大前提にあり、その『できたこと』を評価してご協賛し、応援してくれるわけで、『できるまでのプロセス』に対価を提供してくださっているわけではない・・と、しみじみと感じました。

できるまで、やる。

の『できた』は、

大会ができた・・ではなく、大会を通じて、

参加者の『親子の絆』が深まり、『子供たちと夢』が近づき、

協賛社(者)に求めているもの(事)をしっかり渡せて、

関係している全ての人たちに充実感を提供する

ことが、できて、初めて言えることだと改めて思い、このことをスタッフと分かり合えるまで共有していこうと心に誓いました。

そして、決勝戦が始まると伝えられ、コートに向かった私の目の前に飛び込んできた光景に、『俺は何をフニフニ考えてるんだ!』と震えが出ました。

それが、巻頭の写真です。

そこには、決勝戦が始まるコート以外のところで、彼らの邪魔にならないように音を立てずに、机やいすを片付け、モップで床を黙々と拭いてる大会スタッフ・上武大学女子バスケットボール部の方々の姿がありました。

なにが、『成功裏に終了‥』だ、まだまだやるべきことは終わってないじゃないか・・・。

今回で一番勉強しなければならないのは、誰であろう、私だったのです。猛省。

いまから、ここから、『できて当たり前』を突き詰めます!

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その300;お陰様で300回、平成最後の独り言)

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ここに一枚のスポーツタオルがあります。

確か・・中央大学柔道部創立85周年記念で配布されたものです。

お陰様で、今日に至るまでずっと使わせていただいています。

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ここに一枚の賞状があります。

大学を卒業し三年目でいただいた柔道四段の証です。

修行が足りず、今日に至るまで昇段できずにおります。

共に平成元年。ここから状況は変わっていません。

でも変わっていないのはこのくらいかもしれません・・(笑)

この32年間。

まさに、山あり谷あり、大激動,ジェットコースターのような人生でした。

本当に様々な経験をさせていただき、引き出しはいっぱいに増えました。

序盤戦・・・。

雑誌編集長、渡米、2度のオリンピック

中盤戦・・。

会社役員、様々な充電

終盤戦・・。

会社設立、日本全国奔走、悲しい別れ、嬉しい出会い

まあ、とにもかくにも、やりたい大放題の人生でした。

たくさんの人に迷惑をかけた32年間だったと思います。この場をお借りしてお詫びいたします。

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最後に・・、

ここに一枚の楯があります。

スポーツひのまるキッズ2018年度スポンサーへのご協賛記念楯に似せて、スタッフが手作りで作ってくれたものです。

平成最後の最高の宝物。感謝です。

さあて、

新年号『令和』

間違いなく、人生の総決算です。これまでの引き出しを全て引っ張り出して、一日一日を大切に生きていこうと思っています。

このブログも300回を迎えることができました。読んでいただいてる皆さん、本当にありがとうございます。まだまだ続けるつもりですので、よろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。

いまから、ここから、よ~し、ここから!!!!

永瀬義規

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その299;少年よ限りない熱量を持て!)

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子どもの頃から何をしてもそこそこ、人並み以上できた。

大学に入って、それが一変した。

考えが甘かった。

一般生で柔道部に入り、何をしても、どうやっても周りの人たちに勝てず、少しずつ追いついてきたと思っても、全く無視され、同級生たちと並んだつもりが10歩も20歩も先の存在。

悔しくて、悔しくて、必死に続けた。

でも、巡ってきた僅かなチャンスも不甲斐ない結果になり、自分がどうより、選んでくれた人に対して申し訳ない気持ちでやり切れなかった。

幸いなことに、そんな男に対して、どんなことがあってもあきらめず、腕を引っ張ってくれた同級生のおかげで、最終学年で結果を出せた。

その後、社会人になってこれまで、苦しいと思っても辞めようと思わなかったのは、この時に培った『やると決めたら出来るまでやる』という気持ちと、それに対峙するために身に着けた熱量。

いつでも、どこでも、どんな状態でも人に言われることは、良いも悪いも・・・

凄い熱量ですね!!

ただ、その熱量。沸点まで上がり、目標を達成すると人一倍早く冷めていくのがこれまでの悪パターン。

正直、昨年はそうなりかけた・・・。

一息ついたら、とんでもないことになっていた。

56歳。

周りは、定年や、引き際の話で盛り上がってきた。

とんでもない、まだまだやり切ってない。

先日、ある経営者に頼まれてスタッフに話をしたとき、最後に、

「今の若い人たちに一言」

と言われ、間髪をいれず口から出た言葉。

少年よ、限りない熱量を持て!

いまから、ここから、冷める暇は、全くもって、ない。

永瀬義規

P.S 藤田文武おめでとう。君の熱量、素晴らしかった! いまから、ここからだぞ!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その298;スペシャリストとは、かくありき!)

1555239615399本日は、大変お忙しいなか私の退職を祝う会にお集まり頂き、誠にありいがとうございました。柔道の事を何も知らなかった私が、ミズノに入社し42年もの長きにわたり柔道に携われたことは、皆様からの心温まるご指導、ご助力をいただいたおかげと感謝しております・・。

名古屋~大阪出張から急いで駆けつけた東京ドームホテル。

焦りました。

『永瀬、12日東京ドームホテルで慶徳さんの退職祝いするから空けといてね』

一か月前に出張先で柏崎先生からお電話をいただいた時には、

『かしこまりました。必ず参加します!』

と二つ返事で応え、手帳にしっかりと書き込んでの当日参加でしたが、まさか・・ここまで盛大だとは・・。

ノーネクタイは私だけ(あとで西田先生もそうでしたので、ピッタリそばについていました(笑))。

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柏崎先生の司会進行で、佐藤先生(東海大柔道部主席師範)、山下先生(全柔連会長)のご挨拶、金野先生(全柔連強化委員長)から井上先生(全柔連男子強化監督)までの祝辞(私もおまけで入れていただきました)の全てにあったのが、慶徳さんの42年間貫いた『柔道衣への想い』への称賛、そして感謝のお言葉でした。

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大変失礼ながら、こんなサラリーマン見たことないです。

柔道未経験。

そんなの関係ない。

42年前、ボロカス言われながらも(失礼)、とにかく何度も何度も研究、開発に取り組み、その12年後、それまで絶対的地位にあり、自らも目標にしていた岩崎柔道衣の岩崎社長に

「君には負けたよ」

と言わしめた後も、その手を緩めることなく。ついに全柔連のオフィシャルサプライヤーとしてミズノを不動の地位まで押し上げても、奢ることなく、柔道界のことを誰よりも憂い、全力でサポートしてきたスペシャリストの中のスペシャリスト。

幸運にも、36年前の20歳からこれまで、学生、近代柔道編集長、全柔連事務局員、出版社役員、そして現在と、あらゆる場面で、様々な瞬間を目の当たりにできたことを本当に誇りに思っています。

そして、

3月に退職を親しましたが、継続してミズノで勤務しておりますので変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いします。

ということで、

まさに、いまから、ここから!!

まだまだ、勉強させていただきます。なにとぞ、よろしくお願いいたします。

いまから、ここから、極めて、極めて、極めまくります!

永瀬義規

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その297;孤独と不安を吹っ飛ばしてくれたひのまるキッズOG!!おめでとう!!!!)

古賀若菜&素根輝

昨日、今日と福岡で開催された全日本選抜柔道体重別選手権大会。

おそらく、渡米していた数年を除いて、初めてこの大会会場に足を運ぶことができなかった今回。

正直、あらゆることがいっぺんに押し寄せてきて、福岡行きを断念し、とにかくリセットと決断。木曜日から検査、そして休息をとることができました。

元気が出たので朝から出社したものの、改めて襲ってくる数字の恐怖と、お構いなしにかかってくる電話(別に借金取り立てではありませんが(笑))に、オフィスで一人、孤独と不安で頭の中がグルグル・・・。

やばい、ちょっと休憩。「選抜どうだったかなぁ・・」とインターネットで記録を見てみると、

なんと、

表彰式の写真になじみのある顔が・・・。

そうです。

48㎏級で優勝した古賀若菜選手と78㎏超級で優勝の素根輝選手。

二人ともひのまるキッズOGで、8年半前の2010年12月に宮崎で開催された第2回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会では、古賀選手は3年生、素根選手は4年生で見事に優勝。

MVPをとった素根選手、そして、当時は性別体重無差別の中で小っちゃい体で男の子をバンバン打ち破った古賀選手の活躍は今でも瞼に焼き付いています。

「そっか・・・。あれから、8年半か・・。続けてくれて、結果を出してくれているんだよな・・。そんな中で俺はなにやってんだろう」

と、脳天から雷を落とされたようでした。

孤独や不安が耐えられないようなら、経営者なんてさっさとやめてしまえばいい

かつて、経営の神様と言われた方の言葉です。

いやいや、こんな感動を味わえる仕事、ないでしょう!やめられませんよ!!

と、再びデスクに向かうと、30年苦楽を共にした弊社役員からラインが飛び込んできました。

お疲れ様です。
いま取材終わりました。
飛行機は19時45分なので、それまで時間を潰して帰ります。

すると、一斉に、スタッフがラインで「お疲れ様でした!」の返信。

孤独、不安なんて言っている場合じゃないですね(笑)

いまから、ここから! 今日も生かされていることに感謝です。

永瀬義規

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その296;平成と共に捨てるもの))

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がんばれ花川君でも取り上げたように、いよいよ明日、新元号が決定。あと1か月で平成も終わります。

平成の思い出については、4月末のここでしっかりと書きたいと思います。

そして、この1か月間でやるべきことを決めました。

それは、

しがらみを切り捨てる

ということ。

以前より、

いただいた『縁』を『しがらみ』にしてはならない、『絆』になるように意識し、精進していこう!!

と伝えて、自らもそれを具現化しているつもりですが、やはり、長い間生きているとそうもいかないのが現状です。

なので、新しい元号になる前に払拭すべき『しがらみ』の選定を行い、元号が変わるともに、思い切った断捨離を行おうと決意しました。

実は、最近、本当に物忘れがひどく、スタッフにも迷惑をかけていることに自己嫌悪に陥っている時に、事務所のトイレにあった日めくりを見てその気持ちがガッツリと固まったのです。

それは、

ふるいものを出さなければ

あたらしいものは入らない

という言葉。

そろそろ、私の中身もキャパシティーオーバーになってきたかもしれません。クリーンアップが必要です。

脳みそも、身体も、そして心も・・・。

今回は、ふるいものの前に溜まった『しがらみ』を綺麗にします!!

勇気を持って

誰よりも先に

人と違うことをする

には、

決意を持って

何よりも先に

余計なものを切り捨てる

です。

いまから、ここから、思い切りますよ!!

永瀬義規

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いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その295;感動の引退シーンを吹っ飛ばした生涯現役4人の侍たち)

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後悔などあろうはずありません

先日、超満員の東京ドームでの最後の試合の後、記者会見できっぱりと言い切ったイチロー選手。

45歳の引退まで、前人未到の大記録を次々と達成し、まさしく、野球界のレジェンドである彼の生きざまに本当に敬意を表するとともに、今後の動向に思いっきり注目させていただきたいと思います。

イチロー引退シーン

45歳というと私が独立、創業した歳。

もちろん、あの時は、終わる・・のではなく、始めるということに120%向き合っていたので、後悔などどいう言葉とは無縁でした。

あれから11年。

昨年、一つの節目を迎え、その時も一区切り・・で、いまから、ここから!と次の10年構想を睨みつけていました。

なので、テレビの記者会見に涙しながらも、

俺にとってこのシュチエーションは、臨終の時なんだろうな・・。と思っていました。

さて、

そんな思いをより強化にしたのが、この2日間、

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おいおいおい!!

この人たちにおいて行かれないようにしないと・・いや、なんとか追いつき追い越すには、最後の最後の判定まで持ち込まないといけないぞ!と思わせた4人の侍・大先輩たち。

立命館アジア太平洋大学・出口学長(左上)

株式会社栄住産業・宇都会長(左下)

株式会社イトダネーム・井戸田会長(右上)

株式会社ロハスト・金坂相談役(右下)

4人共に経営者。

4人全員が70歳越え。

4人それぞれが『精力最善活用』でその瞬間瞬間を過ごされている。

そして、

4人全てが、元気そのもの!!

少なくても彼らの年齢まであと15年以上あります。

まだまだ未熟な自分自身をこの15年で彼らのレベルに持っていくには、並大抵の努力では成しえないと、今一度自分自身を見直していこうと思っています。

勇気を持って

誰よりも先に

人と違うことに挑戦する

ために、

強い志を持って

誰よりも熱く

自己研磨を積んでいく

いまから、ここから! 一日一生。

永瀬義規

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その294;年に一度の大感謝祭!)

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大学を卒業して30数年。渡米していた時以外は(たぶん)毎回出席している大学柔道の歓送迎会。

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例に漏れず、強い時は大勢のOBが集まり、弱い時には10名もいなかった時もあった記憶がありますが、私はこれからも死ぬまで出席するつもりです。

思い出話をし始めたら尽きることはないので、ここでは控えるとして、最近、この会で、特にこの数年はなるべく多くの人に感謝の気持ちを伝えようと心がけています。

4年間、託した夢に応えてくれてありがとう。

数ある大学から中大を選んでくれてありがとう。

1年間、一緒に母校を応援してくださってありがとう。

今回も、バイキングの食事も一切口にせず、お酒もいただかず、ただひたすら・・一つでも多くの『ありがとう』を伝えようと学生、ご父兄、先輩、後輩に話しかけることができました。

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今回は、私が卒業後初めて参加してくださった中大柔道部師範で『レジェンド』岡野功先輩が参加され、また、新入生のご父兄からお子さんがひのまるキッズに参加したと聞かされるなど、大変楽しいこといっぱいでアッという間に会は終わってしまいました。

ただただ楽しい会でした。

会の最後に学生に囲まれて最高の笑顔で校歌、応援歌を歌っていた前々会長の高宮先輩。そのシーンを目前に、共に歌いながら頭に浮かんだのが、冒頭の写真。

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ひのまるキッズスポンサーが、会社設立時に、仕事の師匠である高宮先輩から贈られた『直筆の書』が頭の中でいっぱいになっていました。

私たちは自分たちに言い聞かせている言葉があります

から始まり、『口』『耳』『目』『手足』『心』の使い道が書いてありました。

そして、最後に、

『あたりまえ』と思っていることを”ありがとう”と思い、相手に伝えよう 行動しよう

はい、一日一日、悔いの残らないように行動します!

いまから、ここから、過去は変えられないけど、未来は変えられる!

永瀬義規