いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その121:チャンピオンになるための三つの要素)

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以前からお話をさせていただいているように、

私は幸いにも二度のオリンピックを初め競技を問わずたくさんのメダリストと直接行動を共にすることによって

また、選手として、編集者として、全柔連事務局スタッフとして心技体共に充実した柔道家たちを目の当たりにすることによって

その人たちの共通点を見出し、講演などでそのことをお伝えする機会をいただいておりました。

シドニー五輪(写真)後、数年のことです。

その題目が、

『チャンピオンになる三つの要素』

でした。

その内容は・・、

これまでお会いしいたたくさんのメダリスト、トップアスリートを分析すると全員に三つの要素が濃く見受けられた。

1. いつも支えてくれる人がいる。

谷亮子のお母さん、高橋尚子の小出監督・・、家族、コーチ・・その選手には必ず一番身近にがっちりと支えてくれている人がいる。
その人たちとの心と心で深くつながった信頼関係があってこそ自分を信じて次に進む自信につながるのだ・・。シドニー五輪で見事金メダルを獲得した井上康生選手(冒頭の写真右)が表彰台で亡き母親の写真を掲げた姿にそれは象徴される。

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2. 大きな耳を持っている。

これは、別に耳が大きいのではなく、『聞く耳』を持っているということ。巷で「あいつは全然いうことを聞かない」と言われている選手でも、実はそうではなく、とにかく人の話はまずは一生懸命聞いている。そして、その都度その都度しっかり自分のものにしている。そのあと、それをどう活かすか・・それが大切なことだが実はその聞いたものものを信じ繰り返して実行できる根気強さが一番大切なのかもしれない・・。。

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3. 夢を共有する仲間がいる。

これは、文字通り。学校、クラブチーム・・。個人、団体に関わらず一つの『夢』を掲げ、それに向かって一心不乱に努力を重ねる仲間を彼らは必ず持っている。そして、常に語り合い、時には競い合い、お互い切磋琢磨することによって『夢』に向かっていくためのパワーを培っていくんです・・。

この三つなんです!

みたいな感じでした。

さて、会社を立ち上げ、ひのまるキッズを始めて7年。

もう講演のオファーなど全くなくなった過去の人ですが(笑)、最近、ひのまるキッズの卒業生の活躍を聞いてそれが間違っていなかったことを強く感じます。

もちろん、開会式でも申し上げるように、

ひのまるキッズは競技力向上の大会ではないので、強くなりたいだけなら出場しなくても結構

という気持ちは全くブレていません。

でも、

日ごろ道場で習っている教えを(2)、

仲間と共に一生懸命おこない(3)

親御さん、講師、指導者に褒めてもらう(1)
それが結局『夢』をつかむことにつながるというなら、それはそれで大変うれしいことだと正直思っています(笑)

いまから、ここから、より深く、より熱く!!!

永瀬義規

東京オリンピックを見据えて。

おはようございます、ひのまるキッズの原です。

先日からラグビーワールドカップで活躍した日本代表選手たちを、五郎丸選手を筆頭に、ほぼ毎日テレビやインターネットで目にしますよね~

柔道ではオリンピックや世界選手権で金メダリストになったとしても、これほどのメディアに取りざたされることはないと感じるのは、私だけでしょうか。

なぜ、柔道で結果を出しても、それほど反響が得られないのでしょうか。

それは日本の国技だから、勝つことが当たり前だという風潮があって、メディアもそこまで取り上げないのかもしれません・・・・。

それにしても、これまでのワールドカップや、たまにニュースで見る海外との対抗戦でも大差で負けていた印象だったので、今回のラグビー日本代表の躍進は、本当に驚きました。

そして、試合が終わってからのメディア露出と五郎丸選手というヒーローの誕生。

これが、もし、全て計画通りだとしたら!

最近では、テニスの錦織選手の活躍でテニスを始める子どもが4倍ほど増えたそうです。

ラグビーも、今回の反響でラグビーを始める子どもが確実に増えるでしょう。

そしてこのタイミングで、子どもたちの受け口や、入って来てくれた子どもたちを、どういうアプローチで継続的なラグビー普及に繋げていくかまで考え、準備が出来ていたとしたら!!

これと同じことを、柔道でも考えなければならないのではないかとハッとしました。。

地元開催である東京オリンピックに向け、結果を出すために全柔連でも色々な取り組みがなされているのだと思いいます。
そして、地元の応援に応え、多くのヒーローが誕生する可能性が大いにあると思っています。
そんなせっかくの大チャンスなのだから、柔道普及には繋がるような仕組みを準備しておく必要があるという事です。

ここ数年、柔道界は様々な問題が露呈して、子どもたちの柔道人口も軒並み減少傾向にあります。そして、メディアでも、柔道が取り上げられる頻度も激減しているのが現状だと思います。

だからこそ、今から柔道界全体で、ヒーローづくりから、子どもたちが集まるであろう道場の指導方法や普及方法を考え、来るであろう大チャンスに向けて、みんなが同じベクトルで準備をしていけたらと思うのです。

「点数付けられなければまぁまぁ楽しい」かな

こんばんは。
スポーツひのまるキッズ協会事務局の新井です。

先週、こちらのブログで、
「子どもの頃から運動が苦手で、体育なんて大嫌い。そのまま大人になって、
いやいやでもする機会すら無くなって、、、」

とお話しましたが、実は大人になって少しだけ、運動していた時期がありました。
今日はちょっとそんなお話を。

私、小さい頃はみんなより頭ひとつ大きく、横にもまぁまぁムチムチしてまして、
スラッとした子がうらやましく、学生の頃は、当然のようにダイエットを繰り返し、
がんばり過ぎて痩せすぎてしまったこともありました。

ちょうどそんな頃に就職をしまして、毎日毎日夜遅くまで仕事、土日も仕事、
仕事がよくわからなくてストレス溜まるわ、食べる時間が遅くなって太るわ、
ストレスで過食気味になるわ、それにリバウンドの時期と重なって、、、、
まぁ、太る太る。。。

いわゆる”激太り”ってやつです。

そんな風になると人に会いたくないので、仕事はない時は、家に引きこもって、
暗〜い暗〜い、生活をしてたんですよね。

それを見かねて、「お前、少し運動でもしてみろ。汗をかくと気分も違うぞ。」と、
スポーツクラブを勧められ、いやいやながら、エアロビなどをちょっとやってみました。

そこでも、うまくできないから恥ずかしったですね〜
でも、「点数付けられない運動は、まぁまぁ楽しいかも。」とは思いました。

「体育なんて大嫌い!」から「点数付けられないならまぁまぁ楽しいかも」

私とスポーツとの関わり第2期です。
でも、その時もそのあと10年ほども、まさかスポーツと関わって生きて行くことになるとは
全く、全く思っていませんでした(^^;

長くなりましたので、また。
それでは、失礼します(^^)

新井みどり

※写真は、Gボール(バランスボール)です。ロディ型かわいいですよね。

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まさに現代病。

みなさん、こんばんは。
ニュースを見ていたら、ビックリする特集をしていました。
「スマホ老眼」が急増。。なんと、20代・30代で老眼が急増しているそうなんです。
毎日の通勤電車の中、自分を含めて、スマホや携帯を見ていない人はほとんどいない。
最近は、新聞や雑誌など電子書籍で読めますし、SNSや動画、ゲームなどに集中していると、
時間つぶしにもなりますし、集中できるからラッシュのイライラも軽減するし、よほど混んでいなければ、
ほとんどの人がずっとスマホ見てますよね。
携帯の無かった時代、重い雑誌や本を持ち歩いて、電車の中で読んでいたので、いつもカバンが
重かったです(笑)
近年は、出かける時に忘れちゃならないのが、財布とスマホ。これだけ所持していれば、
身軽に外出できちゃいますよね〜
何せ、布団までスマホ持っていじったりして、そのまま寝落ちることもあったり。一日中持ってますね。
私は平日はPCの前でずっと仕事をして、移動中はスマホ…近眼乱視なのでメガネをしていますが、
最近は一年も経たないうちに、メガネの度が合わなくなっているので、やはり、眼を酷使しているんだな。。と
つくづく。
近距離でスマホを見続けると、ピントを合わせる力が衰えて、スマホ閉じて周りを見るとぼやけてしまうので、
40〜50センチ離して使用し、スマホの明るさにも注意してくださいとお医者さんのアドバイスがありました。
長時間、スマホで目を酷使すると、目の筋肉が凝り固まってしまうので、目の周りを軽くマッサージするのも
いいみたいです。一番いいのは、目を休めることでしょうけれど。
若年層の老眼、心配ですね。子どもたちも携帯ゲームやスマホ世代ですから、みなさんも気をつけてくださいませ。
と、このブログもタブレットで打ってますから、早く目を休めなくては!
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ひのまるキッズ事務局 丸山

学生たちの熱い闘いに感謝!

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今年度の学生柔道を締めくくる
全日本学生柔道体重別団体優勝大会が、
先週末、尼崎で行なわれました。

春の優勝大会を制し、初の二冠を狙う筑波大と
優勝大会でV8を阻まれた東海大、
絶対的なエースといった存在はないものの、
満遍なく力のある選手を揃え、
久々に優勝を狙える布陣となった国士舘大。
この3校の前評判がとりわけ高かったのですが、
筑波大と東海大が、なんと準々決勝で対戦。
事実上の決勝戦と目されたこの試合は、
一戦一戦が、息詰まる接戦となりました。

今夏の世界選手権でチャンピオンになり、
春の全日本学生優勝大会でも、初優勝の立役者となった
絶対的なエース、81㎏級の永瀬貴規選手擁する筑波大。
一方の東海大は、
60㎏級に2013年世界王者の髙藤直寿選手、
66㎏級に世界選手権代表の高市賢悟選手、
90㎏級に世界3位のベイカー茉秋選手、
と現在の各階級の世界トップクラスの実力者と、
顔ぶれ的には、やや東海大が優位なように見えますが、
髙藤選手は、4日前にグランドスラムパリから帰ったばかり、
高市選手は、世界選手権の時の負傷で万全ではなく、
その他の選手もケガなどにより不安要素も多かったようです。

結果的に、東海大が4-1で筑波大を下して
準決勝へ駒を進めましたが、
点差ほどの力の差はなく、
どれも拮抗した試合でした。
ただ、「絶対に勝つんだ」という勝利への執着が、
東海大のほうが強かったように感じました。

先ほども書いたように、東海大は優勝大会の連覇を筑波大に阻まれました。
優勝大会のとき、東海大の選手たちは、
人目もはばからずに号泣し、
しばらく立ち上がることもできない様子でした。
初優勝の喜びを爆発させる筑波大の選手たちの傍らで、
泣き崩れる東海大の選手たち。
あのときの光景は、今も鮮明に覚えています。

あの悔しさが、今大会の東海大の選手たちの、
「執念」になっていたのだと思います。

7回も連続で勝つと、「常勝軍団」と言われ、
「いい選手が揃っているから、勝って当たり前」
というような声も聞こえてきます。
しかし、顔ぶれは毎年少しずつ変わっているわけですし、
高校のときに実績を残した選手が、そのまま大学でも
トップの実力を持ち続けたり、進化し続けることは
容易なことではありません。
実際、高校時代チャンピオンで、
大学で名前を聞かなくなった選手は山ほどいます。
大学で、自分を律し、質の高い練習をしているからこそ、
今があるのだと思います。弛まぬ努力を続けている選手には
頭が下がりますし、そういう環境を提供し続けている関係者にも
敬意を表したいと思います。

決勝は、東海大と国士舘大。
国士舘大は、なんと7年ぶりの決勝進出。
国士舘大としても、当然「思うところ」がたくさんあったと思います。
今年1月に斉藤仁さんが亡くなり、墓前に誓った「優勝」。
勝ちたい気持ちは非常に強かったと思います。
いまの国士舘大には、世界代表ほどの突出した選手はいないものの
66㎏級の藤阪太郎選手、81㎏級の佐藤正大選手、90㎏級の江畑丈夫選手、
3人の学生チャンピオンを中心に、精鋭が揃っています。
そして、今大会では全員が強い闘志を持って試合に臨んでいました。
三将戦までは0-0。まさに息詰まる激戦でした。
副将戦。東海大は主将の長澤憲大選手。
優勝大会で敗れ、連覇をストップさせたことに、
主将として、人一倍責任を感じていた男は、
魂の闘いを見せ、「反則勝ち」を勝ち獲り、
勝利を引き寄せました。
そして大将戦。
優勝大会の代表戦で永瀬選手に敗れ、
試合後に泣き崩れていた東海大のウルフ・アロン選手。
本来100㎏級のウルフ選手は、約40㎏重く、抜群に受けの強い
国士舘大の井上翼選手から内股で「技有」を奪って優勢勝ち。
優勝大会の雪辱を晴らしたのでした。

いい試合でした。

団体戦にはいろいろな“思い”が混じり合います。
選手一人ひとりの“思い”はもちろんですし、
大学の先輩や先生方、ご父兄の“思い”もあると思います。
そういう、いろんな“思い”がぶつかり合い、
単純な技の掛けあいではない
“勝負”が生まれているのだと思います。

選手の皆さん、今年も熱い闘いをありがとうございました。

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(写真上は優勝した東海大の皆さん 下は開会式の様子)

ひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その120:悪魔のささやきに打ち勝ったひのまるキッズ魂!!)

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先週の青森から始まって、青森→大阪→富山、宮崎→福岡→山口→大阪と続いた出張で、大活躍をしてくれたのがレンタカー。

今回は、大阪、福岡以外のすべての場所で柔道部でも有名なTレンタカーにて偶然(必然)にも5台のワゴンRを乗り継ぎました(笑)

そして、その悲劇が起こったのが最終日。

福岡から新山口駅を降りて、いつものように事務所を出て手慣れた作業でレンタカーし、ピピっとナビをSETしてさあ出発・・。

最初の目的地はそこからほんの10分程度・・ナビ通りの指示で立派な自社ビルを目視してほんの目の前に来たとき、

『左折です』『右折です』

に合わせて行くと一方通行の先はどう見ても行き止まり・・

「おいおい、勘弁してくれよ!」と止まって、道路に隣接していた民家の駐車場スペースでグイっとUターンをして出る瞬間

ガリガリ!!!!

ラジオの音量を少し上げていたので、その後ろのほうから出た異音をあまり気にせずそのまま走り去り、すぐに目的地について
「ひのまるキッズ中国大会」のご協賛の書類を渡して、よし、次の目的地へ・・・

と乗車して発進したら・・

あれれ、

後ろから違和感があり、ハンドルを取られ・・、

車を降りて確認したら、左後ろのタイヤが思いっきりパンクし、ホイールキャップも外れていました。。

しまった! ということで、先ほどの駐車場に戻ったらホイールキャップがあり、そして・・よく見ると出口の縁石の壁ががっぽり欠けていたんです・・。

すぐにTレンタカーに連絡して、近いということで代車を回してもらうことになり、そばの図書館の駐車場で待っていたその時です。

恥ずかしながら私の脳裏には、

『おいおい、次のアポイントメント間に合わないぞ!! 現場は誰もいなかったし、見られていないんだからレンタカー会社には適当に言って免責以外の保証金を払えばいいよ。ここで謝罪や手続きで時間を取られたら、せっかく何度も調整してやっと会ってもらう社長に申し訳ない。縁石が欠けたくらいなら大丈夫だよ・・。そのまま黙って行っちゃおうぜ・・』

という悪魔のささやきがグルグルと回っていました。

そして、一方で。

『何を言ってるんだ! お前は当たり前のことを当たり前にやる!ってことを人生をすべてかけて今まで全国を回ってきたんだろ! そんなお前が子供たちに顔向けできないことをしてどうするんだ! 今すぐに民家に言って謝罪し、誠意をもって対応するのが当たり前だ!!』

という声・・。

数分後、

代車を運転してきてくれたレンタカー会社の社員さんとその民家の前に立ち、呼び鈴を鳴らす自分がいました。

幸い(?)にも不在で、

「あとはこちらで対応しますから、次のアポイントメントに向かってください」という社員さんのお言葉に甘えてその場を後にし、次のアポイントメントにも無事間に合い、有意義なプレゼンを終えて(実は心の中は動揺で一杯でしたが)、そのあとの仕事も終えて何度かレンタカー会社と連絡をとり、翌朝、

「先方と連絡が取れ、あとは保険会社とのお話で無事に話が付きました」との電話をもらった時には安堵の気持ちで一杯でした。

そして、

「正直、あの状況ではそのまま立ち去るお客様がいないとは言えません。でも、ちゃんと対応する永瀬さんは立派です。さすがに柔道家ですよね!うちももっと柔道部を応援しないと・・」

と返却の時に言われたとき、悪魔のささやきに少しでも惑わされた自分の未熟さを反省させられました・・・。

またまた長文になってしまい失礼しました。

でも、当たり前のことを当たり前にやることに対し、何を隠そう、自分自身がひのまるキッズで成長させられているんだと痛感した出来事。53歳のスタートでした!!

いまから、ここから、まだまだ修行中です!!

永瀬義規

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人の話を聞く力

こんばんは、ひのまるキッズ事務局の原です。

早いもので10月も来週で最終週となり、11月15日に開催する北信越大会が目の前に迫ってまいりました!!

エントリーしてくださった方たちに参加して良かったと思っていただけるようにしっかりと準備を進めていきたいと思います。

本日のテーマは人の話を聞く力についてです。
私も常々、人の話にはしっかりと耳を傾けるように心がけていますが、どうしても、聞き流してしまったりすることがあります。
ひのまるキッズの五つの心にある、素直な心や感謝の心を持って、人の話を聞けるように精進したいものです。

今回も、松下幸之助さんのお話ですが、本当に素晴らしい話ですので、ぜひ、読んでみてください。

「人の話を聞くことにより、人生の80%は成功する」(デール・カーネギー)

人の話を聞くことほど重要なことはないが、同時に、人の話を聞くことほど忍耐が必要なこともない。

なぜなら、人は、聞くことよりも、話したくて話したくて仕方のない生き物だから。

松下幸之助さんという人は、近現代の日本を代表する経営者だが、けっして独断専行型の天才ではなかった。

常に人に話を聞きながら、人にものを尋ねながら経営を進めていった。

社会のこと、政治のこと、経済のこと、とにかく何でも「君はどう思う?」「この件はどうしたらいいと思う?」と聞いて回る。

そうやって膨大(ぼうだい)な量の情報を手に入れ、それを頭の中で整理しながら決断を下していったわけである。

松下さんは、特に社員の話にも非常に熱心に耳を傾けた。

社長が社員の話に耳を傾けると、双方に二つずつのメリットが生まれる。

社員にとっては、社長が一所懸命に話を聞いてくれれば、まず「やる気が出る」ようになる。

また、社長が喜ぶような情報を持っていこうと「勉強する」ようになる。

社長にとってのメリットの一つ目は「社員から尊敬される」ようになることだ。

社員の話をないがしろにしたり、途中でさえぎったりする社長に、絶対に社員はついてこない。

社員に素直にものを尋ね、意見を求める社長こそが、尊敬され、信頼されるのである。

二つ目は、何よりも自然に「情報が集まってくる」ようになるメリットだ。

松下幸之助さんのところには、日々ひっきりなしにいろいろな人が訪れる。

そいう人たちの話を聞くとき、松下さんは「その話は前に聞いた」とか「それは私の考えていることと同じだ」という応対を、ただの一度もしたことはなかった。

いつもいつも「君はいいこと言うな」「君はなかなか賢いな」というふうに感心しながら聞く。

椅子から身を乗り出し、相手の眼をじっと見ながら真剣に聞くのである。

これにはみんな感激する。

「あの松下幸之助さんが私の話を真剣に聞いてくれた。そして話の内容に感心してくれた」と思うのである。

すると人間とは不思議なもので、何か面白い情報が入るたびに、

「よし、これを松下幸之助さんのところに持っていこう」「この話は松下の大将の耳に入れておこう」

という気になってくる。

結果として、自然と膨大な情報が入ってくることになる。

一日に入れ替わり立ち替わり人が来るわけだから、当然、同じ情報もある。

しかし松下幸之助さんは、すべての話を初めて耳にするような雰囲気で聞く。

それは、たとえ同じ情報であったとしても、話す人によって視点が少しずつ違うからである。

松下さんは、一つの事実についても、さまざまな角度から複数の情報と意見を得て、いつも熱心に聞き比べた。

できるだけ多くの人から情報を手に入れること。

そして、それらをすべて頭に入れた上で判断すること。

これは、いくらテクノロジーが発達した時代になっても、昔と変わらぬ仕事の鉄則であろう。

ある日の午前中、松下さんの執務室で私は、

「なあ江口君、今度、○○ということをやろうと思うんやけど、君はどう思う?」

と尋ねられた。

すばらしいアイデアだと思ったので、私は「それはいいですね」と答えた。

するとその日の午後、松下電器のある役員が松下幸之助さんのところへ来て、

「今度、○○ということをやりたいと思うのですが、いかがでしょう」

とアイデアを提案した。

その○○というアイデアは、午前中に松下さんが私に話してくれたのとほぼ同じものだった。

だから私は、松下さんが「それはわしも考えていた。午前中に江口君に話していたところなんだ」と言うと思った。

しかし、松下さんはそうは答えなかった。

ウンウンと頷くと、

「君のそのアイデアはなかなかいいな。よし、すぐにそれをやろう」

と応じたのである。

これが松下幸之助さんのやり方だった。

自分の立場も、自分の面子もどうでもよかった。

社員にやる気を出させ、生き生きと仕事をさせることが第一義だったのである。

思えば松下幸之助さんは、持ってきた情報そのものを評価するのではなく、持ってきた人の努力や勇気を評価していたのだ。

「よく、わしのところへ話しに来てくれたな」

「その情報を持ってくるためには、大変な勉強が必要だったろうな」

そんな気持ちだったに違いないし、実際、そのように口に出しもした。

松下幸之助さんはけっして「今は忙しいから、後にしてくれ」とは言わなかった。

アポイントメントが入っている場合は別として、よほどのことがない限り、その社員を部屋に入れ、話を最後まで聞いた。

「時間がないから、その辺りでやめてくれ」とも絶対に言わなかった。

これは簡単なようで、実はなかなかできることではない。

初めまして

初めまして、10月よりスポーツひのまるキッズ事務局に入りました、
新井みどりと申します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

新しく入りましたが、決して若くはありません。
というより、かなり歳です。
う〜ん、はっきり言ってしまいますと40歳。
はい、おばちゃんです。

9月までは全く違う業界で事務の仕事をしていました。
そんな私が、40歳にもなって? なぜスポーツの業界へ? なぜ”ひのまるキッズ”?

それは、、、、まず、「体育なんて大嫌い!」だったからです。

「???」ですよね?

私は、小さい頃から運動が苦手で、特に学校の授業「体育」が大嫌いでした。

もともと運動神経が良くなかったとは思いますが、それに加え体が弱かったもので、病院ばかり行っていました。
そうすると、学校の体育の授業はほとんど「見学」だったのです。
そして、たまに「体育、出ても良いよ。」と言われても、みんなについていけるわけがないのです。

うまくできないから、恥ずかしくてどんどん嫌になります。
練習する機会もないので、やらず→出来ず→ますます嫌いになるの悪循環、、、

そのまま高校卒業まで12年。
私と「体育=スポーツ」との関係はそのままになり、大人になって、”いやいやでもする機会”すら無くなって、一生関わらないものと思っていました。

しかし、30歳もまぁまぁ過ぎた頃に、とあることから全く違うカタチでスポーツに再開し、今や、スポーツ業界へ。

「私のように運動が苦手な子でも、人でも、楽しめる場を作りたい。」
「得意でなくても良い。ひとつでも、自信を持って『好きだ』と言えるものを持って欲しい。」

ここ数年は、その想いで活動してきまして、そして、

「決して競技力向上のための大会ではない。スポーツを通じて子どもたちの健康で健全な心身を育成する。」をテーマにそれを実践しているひのまるキッズの大会に出会いました。

スポーツとの再開はどのようなカタチだったのか?
ひのまるキッズのメインのテーマ、「親子の絆」との関わりは?

その辺りも含め、少しずつお話させていただければと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

スポーツひのまるキッズ協会 事務局 新井みどり

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※写真は本文とは関係なく、単にうちで使っている木べらです。
 これを使う時、ふと力が抜けて、やっぱりこんな顔になります。
 あれ、写真が横向き?

小さな幸せ♪

みなさん、こんばんは。
今日は、朝からワクワクすることが2つありました!
まずは…朝のワイドショーでもやってましたが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で描かれた未来、主人公がタイムトラベルで行きついた《2015年10月21日》だったんですよね~
映画好きな自分はもちろん映画館へ観に行きましたが、その日が今日だったとは!
映画で描かれた未来では、タブレット型PCや大画面の薄型テレビ、テレビ通話など、その当時は「ない、ない!」なんて思ってものが、当たり前のように日常にある今にち。
まるで未来を予言していたかのようですよね。びっくりです。そして、ず~っと先の未来の事って思っていたのに、あっという間。。月日の流れ、恐ろしい。
次にまた主人公が未来にタイムトラベルしたら、どんな世界が待っているんでしょうか。
それから、素敵な出会いもありました!朝の通勤途中、最寄り駅から地上に出て、「ふ~、あとちょっとで会社だぁ」と、ラッシュにもまれて朝からやや疲れてたんですが、信号待ちをとなりでしていたおばあさんのリュックサックがぱっかり口を開けていて、「カバン、開いてますが大丈夫ですか?閉めましょうね」とファスナーを閉めてあげたら、「今日は朝からいいことあったわ~」って、すごく喜んでくれたんです。「もう90才になるけど、娘たちに迷惑かけないように、リュック背負って毎日出かけるようにしてるのよ!これから歯医者よ」って。とてもそんなお年にみえず、シャキシャキされていて、「あなたはこれから会社かしら?一日頑張ってらっしゃいね」とエールをいただき、通勤疲れも忘れ、おばあさんに負けじと、会社に向かいました、信号待ちのたった2分間くらいの出来事でしたが、けっこう会話がはずんだんです。まさにハッピータイムでした♪またいつか、お会いできるといいな~

ひのまるキッズ事務局 丸山

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その119:石の上にも三年~まずはやってみましょう!)

50才の俺

お陰様で、もうすぐ53歳の誕生日を迎えることができます。お世話になった皆様に心から感謝いたします。

先日、来年度の新卒採用面談をするにあたって、何を語ろうかな・・、と考えているとき、

自分自身が採用最終面接で面接官の総務部長に言われた言葉を思い出しました。

『永瀬君、君は柔道を大学で4年間必死にやったよね。そして、4年生でやっとレギュラーになったらしいね。素晴らしいよ!本当に。私も高校時代に野球を必死にやって、なんとか3年生でベンチ入りでき、甲子園の土も踏むことができた。それが今の人生の誇りだ』

そして、こう続けました、

『君は正直言って入社テストの成績が良かったわけではない、いや、むしろ筆記試験は不合格だった。でも、私は君にこの会社で思う存分実力を発揮してほしい。それは、一般生で中大のレギュラーになったからではない、レギュラーになるまで、諦めずに努力をし続けた男だからだよ』

『さっき話は私の誇りは、ベンチ入りして甲子園の土を踏めたことではない、甲子園の土を踏むまで三年間必死で努力できたことが誇りなんだ』

さらに、

『成功の秘訣なんてわからない。でも、少なくても諦めてしまったら成功はしないよね!』

と笑ってくださったことを思い出しました。

そして面談当日、胸を張ってこう言いました。

『うちは、スポーツで飯を喰うということを追求し、「スポーツひのまるキッズ」でそれを具現化しようとしています。〝当たり前のことを当たり前にできる子供”を親子の絆を深めることによってどんどん育て、その場を企業の社会貢献の場としてもらうために日々努力しています』

『弊社の自慢は何でもできること。柔道以外のひのまるキッズをやりたければやればいい、理念がぶれなければ本を出してもいい、料理レシピを考え、アパレル展開してもいい・・。でも、何でもできるということは、できるまで努力をし続けないといけない。まずは、実力をつけること。それには、最低3年はかかると思います。石の上にも三年~まずは、三年。どうですか??』

石の上にも三年

石の上にも三年とは、つらくても辛抱して続ければ、いつかは成し遂げられるということ。
【石の上にも三年の解説】
【注釈】 冷たい石でも三年間座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だということ。
「三年」は三年ちょうどの意味ではなく、多くの月日を表している。
「石の上にも三年居れば暖まる」ともいう。

さて、これを書きながら、

三年前か・・。とFB投稿をさかのぼってみました。そこにアップされていた私が巻頭の写真。そして下の写真がつい先日。

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はい、はい、一目瞭然。

いまから10kg痩せていました。つまり、三年で10kgの贅肉(?)・・。もちろん、仕事の努力はし続けているつもりですが、栄養まで取り続けなくても・・という声がちらほら(笑)

いまから、ここから、まずはやってみましょう!!!

永瀬義規