私が子供のころ、仕出し弁当の事業を興した両親。
正直、『弁当屋の息子』と言われるのが嫌でした。
なので、事あるごとに、
『父さんは早稲田大学時代に起業し、日本女子大でモデルの母さんと学生結婚したんだ!』
なんて、わけもわからず友達に言っていた覚えがあります。
もちろん、事業を拡大し、二人の子供を育て上げた両親には大人になって尊敬の念を持つようにはなりましたが、
子ども二人とも家庭を持って独立し、もうそんなに働かなくてもいいのに・・となっても、早朝より仕込みをして、店を切り盛りする両親がいました。
時々(本当に年に数回)帰省すると、ひび割れてガサガサになった手にクリームを塗りながら私の仕事の話を熱心に聞く父親の姿を見て、『何ももうそんなに働かなくても良いのに‥』と心の底で思っていました・・・・。
思い起こすと、厳格で特に私にとって非常に厳しかった父親の手の思い出は、温もり、というよりガサガサというイメージしかありませんでした。当時はそのガサガサが父親との距離を縮めることができなかった要因だったとさえ思えます。
コロナ感染防止対策でテレワークになり、1カ月以上、ほとんどの時間を自宅で過ごしています。
うがい、手洗いをこまめに実行し、感染防止に努めていると、肌の弱い私の手はみるみる赤くなり、カサカサになってしまいます。
そんな中、パートナーが私のようなタイプ用のハンドクリームを買ってきてくれました。
それをこまめにつけるようになり、手肌の調子はすこぶるよくなってきたのですが、最初、その匂いを嗅ぐととても懐かしい思いがすることに気づき、ふとそのクリームを見てハッとしました。
そうです、それこそ父親がガサガサの手に擦りこんでいた・・あのクリームだったんです。
たった数回の手洗いで肌荒れを起こす私の遺伝子は彼から受け継いだんだと思いました。
そして、数回の手洗いでこんなになるんだから、朝から晩まで水を扱う仕事をしていた父親の手があんなにガサガサになるのは当たり前。
俺はなんてことをしたんだ。
あの時、オヤジの手をもっと握ってあげればよかった。
あの時、もっと効くハンドクリームをプレゼントすれば良かった。
これを書いている今でも、その気持ちはドンドン湧き上がってきて込み上げるものがあります。
こんな事がなかったら
あの時の父親の手がガサガサだったことを思い出せなかった。
こんな事があったから
心から言える。
父さん、ありがとう!
昨日は、生きていれば83歳の父親の誕生日。私が起業した年に亡くなったので、もう12年になります・・。やっと言えました。
いまから、ここから、いま、を惜しみなく生きる。
永瀬義規