先週、いつもご指導いただいている方を訪ねて、永田町に行きました。
帰りは国会議事堂前駅から会社に戻ろうと、衆議院議員会館からの地下通路を歩いていると、すれ違う警察官が全て(大袈裟ではなく少なくても7.8人は)が私に向かってご挨拶をしてきました。
最初のうちは、こちらも
あ、こんにちは❗
程度の会釈はしましたが、さすがに最後の方はどうしていいかわからず、まさか敬礼するわけもなく、改札口向かって駆け足状態になっていました😀
完全に誰かと間違われていました。
かつて、東日本大震災後の被災地巡りをしたときに、途中で寄った温泉の露天風呂で、入った時に突然数十人のゴツい男たちに一斉に敬礼されたことはありましたが(全国の警察官の待機場所だったらしく)、その時はスッポンポンの身体(とふてぶてしい態度)を見て間違われても仕方がないと理解しました。
ただ、今回はなぜかわからず、帰ってパートナーに聞いたら
「マスクしていたからでしょ!」
と一言。
確かに、通勤途中で行き交う人たちの顔を見ても、今は全員がマスクをしているため、ほとんど顔の判別はききません。
特にお化粧バッチリの女性は、アイライン、アイシャドウ?のお陰で、皆さん同じ顔に見えてしまいます(失礼)。
眼は口ほどにものを言う
と言いますが、あらためて全体があってのパーツだと感心してしまいました…。
間違われたことに納得しました。
先日、スタッフと受けたセミナー。
愛と感謝と海
の話の中でも氷山の一角の話がありました。
そのお話は、たとえ氷山の全てが見えても、そんなことより、その下の海ではみんながつながっているということが大事という内容。
これだけでは何を言っているかわからないかもしれないでしょうが(ぜひ岡田先生のセミナーをお聞きください)、
今回の『間違われて敬礼事件』、
我々の見えているものは、本当にその一部分で、常にそれに振り回されているんだということが証明された経験でした。
そして、先日の岡田先生のセミナーをフェイスブックでご紹介したとき、岡田先生を引き合わせてくださった盟友・入澤氏の書き込みに一本とられました。
御縁は元来、根で繋がっていて良縁か悪縁はその後のお付き合い次第だと思います。
いまから、ここから、縁を絆に…何をすべきか、少し見えてきました。
永瀬義規