初めて会った(見た)のは彼が中学三年生の時。もう30年以上前のことです。
近代柔道の取材で全国中学生大会に行ったときでした。
その時は、
古賀稔彦の出身地の中学生が全国3位になったということで注目され、表彰式で顔を見て『三五十五みたいな凛々しい顔をした少年だなぁ・・』と思ったことを覚えています。
3年後、
今度はインターハイの会場。
中大のスカウトで来ていた監督に「あの選手、良いんだけどね・・。彼を取れれば中大復活のきっかけになるんだけど」と言われ、試合場に目を向けるとそこにいたのがその生徒でした。凛々しい顔は全く変わりありませんでした。
佐賀商業高校の原力くん。
中大に入学した彼は監督の期待通りの活躍をし、4年生の時には主将として母校を全国ベスト8にまで引き上げてくれました。
NTTに就職をして実業団で柔道を続けていた彼から連絡をもらったのは、彼が30歳を越えたあたりだと思います。
仕事として柔道にかかわりたい。
当時の会社の門をたたいた彼をすぐに受け入れたのは言うまでもありません。数年後、独立した時も、14人のメンバーの中に彼の姿はもちろんありました。
ジャパンスポーツコミッション創業メンバー
ただ、創業以来、年を追うごとに苦しい姿を見せていた私のことを心配し、まずは子飼いの自分から・・と、一番最初に会社を離れたのも彼でした。彼らしい心配りでした。
そして、その後、数年が経ち、また縁があって戻ってきてくれた彼は、スポーツひのまるキッズ協会の事務局長として、その人柄から常に周りの信頼を得て、営業で全国を飛び回る私の代わりにしっかりと大会運営責任者の重責を果たしました。
2年前。
彼には夢がありました。
道場をやってみたい。
自分で喰っていきたい。
ちょうど、私が独立した年齢となっていた彼の気持ちは痛いほどわかり、希望を受け入れなければならないことはわかっていました。でも、当時、新しい事業スキームを組み、新人二人を一人前にするまでは・・と慰留し、彼はそれを受けてくれました。
そして、その期限である6月30日。彼はスポーツひのまるキッズを卒業しました。
コロナ禍で、事業を興すにも大変な時期になってしまいましたが、何も言わずサッパリと事務所を後にしました。
もちろん、これが今生の別れではありません。いや、むしろこれからお互い事業家として、盟友としてタッグを組む機会があると信じています。中大柔道部の先輩後輩として会う機会もむしろ今以上に増えるかもしれません。
漢の中の漢
どこまでも真面目で生一本
原力の前途に、大いなる希望の光が注がれることを心より願っています。
ありがとう、チカラ!!
気張れ!! 原力!!!!
いまから、ここから、盟友の門出を祝って。
永瀬義規