『先輩、ちょっとお願いがあります。時間をください』
2019年、夏。かつて、同じ職場だった山田利彦から受けた一本の電話。
つい数日前、スタッフから「山田先生はTOKYO2020組織委員会で頑張っている・・苦労が多いみたいですが・・」と聞いたばかりだったので、何か相談でもあるのかな?と軽く電話を受けたところの第一声がこれ。
いつもの柔らかい言い方は変わらないものの、何か引くに引けない雰囲気を感じました。
会話はこう続きました。
『先輩しか、いないんです。先輩しか思い浮かびません。何とか引き受けてもらえませんか?』
いきなりなんだ??
と思いつつ詳細を聞くと、TOKYO2020組織委員会に所属して、日本武道館におけるメディア対応責任者を引き受けて欲しいということ。
すぐに断りました。
でも、最終的には恩師の言葉、そしてなにより利彦の情熱に絆(ほだ)されました。
それがすべての始まりでした。
そして、もろもろの事情から準備不足の中、オリンピック開幕
とにかく、20年ぶりの大舞台。
周りにいる人のほとんどが見知らぬ人状態の中、正直、最初のうちはかつての思い出と重ね合わせて悦に入っていた自分がいました。
ところが、日を追うにつれて、そんな思い出も丸ごと上書きされる出会い、感動が押し寄せてきました。
空手に大切なことを教わり
今まで接触が薄かった人々からも新たな感動をいただきました
そして、本日、パラリンピックが閉幕します。
人生の最終コーナーであえて挑んだ大きな壁。前にも書きましたが、冗談抜きで『知力、体力、気力』をとことんつぎ込む機会をいただきました。
実は、パラリンピック柔道が終了し、事実上、業務を終え残務整理をしていた私の頭から離れなかった疑問、それは、
浦島太郎のその後
でした。
何度も言うように、私にとって、20年ぶりに戻った大舞台では当初、本当に浦島太郎状態で、人、モノ、言葉に至るまで、異次元と言っても過言ではありませんでした。
ただ、この二ヶ月。そのギャップは徐々に埋まり(と信じ(笑))、たくさんの新たな絆が生まれました。失ったものは・・体重くらいでこれも良し!です。
そして、今、こう思っています。
私にとって、この2カ月は、ひのまるキッズを興してからの12年間、そして、その後の未来へのカンフル剤。
『お前、まだまだ終わってないよ。少し、気合を入れてあげよう!』
という神様のお告げだった、と。
なので、この浦島太郎の玉手箱開封はお預け、さらに挑むことに己を尽くしていこうと思っています。
勇気をもって
誰よりも先に
人と違うことをする
そして、最後にこの二か月間でかかわったすべての人、そして、わがまま代表の背中を力強く押してくれたスタッフのみんなに心から言わせてもらいます。
Thank you for everyone!!
本当にありがとうございます。
いまから、ここから、そう、玉手箱開封の時が来るまで!!
永瀬義規
素晴らしい、只々、ご苦労様でした。
苦労が多かった分、実りも多かったですね。
この歳になって心底思いました。
人生、死ぬまで修行です。
永瀬社長、2か月以上に亘る、組織委員(メデイア対応責任者)としての重責を任され、見事に大役を全うなされました事、本当におめでとうございますまた、お疲れさまでした。
このコロナ禍における大会運営、傍で見ている私したちには到底分からない、いろいろな問題があったことでしょう・・ご心痛も多々あったことでしょうね。
またお会い出来ました際には、どうか【秘話】を教えてくださいませ。
ひのまるキッズ大会もこれから一気に巻きが入るのでしょうが、どうか御体くれぐれもご自愛くださいますよう、お願い申し上げます。
川越社長、ありがとうございます。
はい、一夜では到底話し切れないお話満載ですよ!!!
詳細はお会いした時に!!!