いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その489;穏やかな日々を家族と過ごす幸せ)

義規、そんなこともわからないのか?
それはね・・お前が生まれたからだよ。
兄貴は新たに授かった幼い命にすべてをかけたんだよ

15年前、父親が亡くなり、一夜を明かした告別式会場で、若き日の父親が学生ベンチャーの走りだったり、様々なヤンチャをしていたのにも関わらず、25歳で全てを辞めて若夫婦二人でお弁当屋さんを始めたことに疑問を感じた私に、瞬時に冒頭の答えを返してくれたのが、父のすぐ下の弟でした。

その人の一番最初の記憶は、真夏(だと思う)のある日、小学校に上がる前によく遊びに行った中野のオンボロアパートで、たくさんの本に囲まれてランニング姿で勉強している姿。

子ども心に、

大人になっても勉強しないといけないんだなぁ・・

と強く思ったことをよく覚えています。

そして、しばらく顔を見なくなったと思ったら、小平の実家に遊びに来て、

当時、お城にはまっていた小学生の私に

義規、今、一番行きたいお城はどこだ?と聞いて、答えた会津若松城にすぐに連れて行ってくれ、長い階段を「きつい、きつい」と言って一緒に登ってくれたことが2番目の印象。

税理士となってからも、定期的に遊びに来てくれて、やっと(失礼!)お嫁さんをもらって子供ができたときは嬉しそうに

義規、この子が成人式の時は俺は還暦の爺さんだよ!お前は早く結婚して、兄貴を安心させないといけないぞ!

といいながらも満面の笑みで会うたびに連呼していたのを昨日のように覚えています。

その叔父が先日亡くなりました。

83歳。

亡くなる前日まで元気で、朝、起きて来なく気が付いた時には脳内出血で意識がなくすぐに病院に運ばれたものの帰らぬ人となったそうです。ただ、家族全員が病院に駆けつけることができ、最後を看取ることができたことが何よりでした。

父の後を追いかけて佐賀から上京し、父と同じ早稲田大学に進学、野球部に所属し怪我で苦しみながらも地道に活動をしていたと聞きます。その一方で父の仕事も手伝っていたようで、その派手な姿を見ていたので卒業後は税理士という堅い職業に就いたのでしょうか・・。税理士までの道のりは相当な苦労があったと察します。
それから3人の子どもを育て上げ、4人の孫に恵まれて、晩年は本当に幸せそうでした。

私にとっては、叔父ではなく、父の三人の弟の一番上だったので、しっかり者の長兄みたいな存在でした。

どんなことがあろうとも、常に冷静に、そして私の意見を一番に尊重し、いつもニコニコ見守ってくれていました。

父が亡くなった後は、残された永瀬家一族の最年長者として、本当に全ての身内にたくさんの愛を注いでくださいました。

告別式が終わり、長男の最後のあいさつに彼の一生の全てが表されていました。

父は、私たちが幼いころから決して大声で怒ったりしいたことはなく、いつも温和で、本当に穏やかな人でした。そんな父が少し前に兄弟を集めて言った言葉を忘れません。
『何があっても兄弟3人、力を合わせて家族を守っていくように』その言葉を胸に我々は力を合わせて、穏やかな家庭をしっかり築き上げていきたい。

そこに集まった3兄弟。それぞれの家庭には、その想いはしっかりと伝わり、絆は深く結ばれていました。

永瀬泰造、享年83歳。

寡黙で実直、でも実は頑固一徹の葉隠れものが残したもの・・

穏やかな人生、最高でしたよ! 泰造兄ちゃん! 

合掌。

永瀬義規



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