いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その500;知らなきゃ、損、損🔥)

近代柔道が無くなったのは広く全国に知れ渡っているけど、柔道マガジンが創刊されたのは全く知られていない。永瀬、まだまだだぞ!!!

柔道マガジン創刊をいたるところで広めていただいている佐藤宣践先生から『喝!』が入りました。

6月に出した創刊号はまだしも、ひのまるキッズの情報をお知らせしている全国の道場へのDM、全柔連「まいんど」で取り上げていただいたり、各種大会会場でチラシ配りをしたりしてできる限りの宣伝活動をしたつもりの第2号。
見た人にはある程度の高評価をいただいているのですが、冒頭の先生のお言葉通り、

まだまだ・・、いや、
まだまだまだまだ・・、まだまだまだまだまだ!!!!

知られていません。

今から36年前。

25歳で近代柔道の編集長になって、会社的には諸先輩にたくさんのご指導をいただきながら、力の限り挑戦していたあの頃を思い出し、
まずは、あの時に満足いかなかった、

家族が、彼氏が、彼女が持ち歩いてもらえるような『格好いい』雑誌として体裁を整える

という面では、阿部兄妹の表紙、この二人に角田夏実さんを加えた巻頭カラー他のおかげで理想的なスタートは切れたと自負しています。

ただ、年に4回の発行ということで、限りあるページ数の中では、大会を追いかけるのが精いっぱいで、
企画ものは、気になる試合を選手の解説を交えて深堀していく『DEEP BOUT REVIEW』のみ。

ただ、これ以上ページを増やすことは経済的に厳しく、優秀な編集スタッフと頭を悩ましているところです。

そして、もっともっと残念なのが、創刊時の想いを具体化した『一人でも多くの人たちの名前を載せる』記録のページ。全中、インターハイ、学生、実業団に至るまでの全記録を掲載させていただいた25ページのこと。

特に、オープン参加の金鷲旗でも1回戦からの全記録を掲載と、これまでになかった試みを実施しました。

先日、出張先で後輩と食事をしているとき、そのことを話したら『え、じゃあ、息子も出ているってことですか?』と手元にあった柔道マガジンを手に取って『お、あった、あった、それも2回も載っている!これは我が家の宝にします』と、すぐに田舎のおばあちゃんに電話。

それを見た時、

全国書店で販売されている柔道専門誌に自分の名前が載っていることを知らない柔道家はいったい何人いるんだろうか?

と、悔しくて、悔しくて・・・。

編集者時代はもとより、これまで、

自分が掲載された近代柔道が今でも我が家の宝です。

という言葉をこれまで何回聞いたことか・・・。
そして、その夢が叶っていることを知らせることができていない自分の不甲斐なさをこれほど悔やんだことはありません・・・。

ただ、こんな時は、

永瀬君。新聞記事見たよ。
ありがとう。
近代柔道の想いを受け継げるのは、君しかいないと思っていたよ。
本当に感謝します。

ただ一つ、決して焦らないように。
雑誌というものは、徐々売れるもの。
焦らず、良いものを作るんです。

多くの人々からの評判『口コミ』が一番発行の助けになります。
君ならできる。頑張れ!!


君ならできる。頑張れ!!

3月に朝日新聞のコラムで、柔道雑誌復刊の記事を読んだかつての上司(当時は雲の上の役員)から直筆で手紙を読み返し、こんな時こそ、この言葉を噛み締めて、踏ん張りたいと思っています。

いまから、ここから🔥

500回目の独り言。ここまで、色々なことがありましたが、その都度、たくさんの人に支えてもらいました。心から感謝申し上げます。
そして、初志貫徹。子(柔道家)と夢をつなげるこの事業、力の続く限りやり切りたいと思っています。はい、いまから、ここから。これからもよろしくお願い申し上げます。





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