いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その60:忘れもしない、日本武道館の天井・・すべてはそこから始まった)

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あれは、今からもう三十年以上も昔のことになります。

当時、中大3年生の春。

一般生として入部し、賢明な努力をした(つもり)で、春の個人戦の選手にギリギリ選ばれた私は、
絶対に勝って全日本学生に進出し、そのあと秋の団体戦(当時は今と時期が逆)になんとかひっかかればいいな・・。などと、希望をもって大会に臨みました。

希望の階級には空きがなく、一つ下の階級、78kg級なら・・という条件でしたが、試合に出れればなんでもこい!状態でしたので、すぐに買って出て、やりなれない減量をし、と言っても勝つ気満々でした。

そして、大会当日、確か初めのほうだったと思います。

結果は、日大の一年生に10秒で背負い投げの一本負け。

減量失敗でフラフラ??

試合勘が蘇ってなかった??

体が回りすぎて一本ではなかった??

後でいろいろ言われましたが、とんでもない。正真正銘の一本負け。
組んですぐに、「あれ、組手ヤバいな・・引手切らないと・・」と思った次の瞬間、私の目に入ったのが日本武道館の天井に掲げてあった大きなひのまるの旗でした。

そして、その旗が、ジーンと涙で曇ってきて、

「あ~あ、終わっちゃったよ」

と思いました。

試合が終わって、下がった武道館の廊下で、スタスタと近づいてきた選手が「先輩、どうもありがとうございました」とまだ、高校生のようなほっぺたを赤くしてしっかりと礼をしてきました。

それに対して、

「おう、俺の分も頑張ってな」となんとか返すことはできた(と思いますが)ものの、そのあとは当時のコーチに「おい、何やってるんだ。仲間がまだ戦っているんだ、しっかり応援せんかい!」と呼び出されるまで数時間も控室でずっとうずくまって泣いていた記憶しかありません。

その相手は、あれよあれと決勝まで進出、周りから大注目を受けていました。

その男の名は、持田達人

のちに78kg級では世界屈指の業師としてその名をとどろかせた柔道家です。

その負けをきっかけに、コーチをある約束をした私は、その約束を守るべく、本当に口にすることができないほどの稽古に明け暮れ、その一年後に、なんとか団体戦(この年から春の団体戦、秋の個人戦)のレギュラーに中大史上・一般生では初めて選ばれることになります。

そして、その修羅のごとくと言われた稽古に共に付き合ってくれた同期たちが今でもかけがえのない友達として太い絆で結ばれており、また、どんな苦難に会おうとも『あの時と比べたら・・』と思える貴重な経験ができたのも事実です。

つまり、今の私があるのは、この負けがあったから・・・・。

本日、ぎっくり腰の痛みをこらえて、後輩たちの試合を見に来た日本武道館。
「腰、痛いなあ・・」と思わず顔を上げた時に目に入った天井とひのまるの旗を目にし、少し弱っていた気持ちにガツンと気合が入った夏の一日でした。

いまから、ここから、すべては明るい未来のために!! 気張っていこう!後輩たち!!!

永瀬 義規

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