「つらさに耐えられたのは、自分で決めたことだったから」

ebinuma sensyu

全国の柔道大好き親子&指導者向けのフリーペーパー
『スポーツひのまるキッズ通信』の第三弾を現在、鋭意制作中なのですが、
今号の目玉企画、「世界王者・海老沼匡選手のインタビュー」を
先日、所属先であるパーク24の道場で行なってきました。

詳細は、来月初旬発行予定(全国の道場に発送します)の
『スポーツひのまるキッズ通信 vol.03』をご覧いただきたいのですが、
ここでは、海老沼選手と話していて印象に残った話を、
少しだけご紹介します。

海老沼選手と言えば、古賀稔彦さんや吉田秀彦さんなど、
多くの一流選手を育てた柔道の私塾・講道学舎の出身であることは
皆さん、ご存知だと思います。
講道学舎の過酷とも言える練習は、非常に有名であり、
私自身も何度か取材に行って目撃していますが、
まさに言葉を失うような内容だったことを覚えています。

海老沼選手が講道学舎に入ったのは、
「オリンピックで金メダルを取りたい。そのために強くなりたい」という
夢があったからだそうです。
5歳上の聖さん、2歳上の毅さんというお兄さんたちが
講道学舎に入っていて、そのお兄さんたちが講道学舎にいたことも
親元を離れることに関して、ハードルを下げてくれていたとは思いますが、
「お兄ちゃんがいるから」という気持ちだけで、
講道学舎の練習、生活についていくことはできることではありません。

まだ小学生だった海老沼選手が講道学舎に入ることについて、
親御さんは、「入れ」とも「入るな」とも言わなかったそうです。
あくまで本人の意志に任せ、海老沼選手の決断を応援してくれたそうです。

海老沼選手は、当時のことを振り返り、
「もしもあのとき、講道学舎に行くことを、
父親や母親、兄たちに勧められて決めていたとしたら、
いまの自分はなかったと思うんです。
講道学舎に入ること、そして、強くなって
オリンピックで金メダルを取るという目標を、
自分で決めたからこそ、どんなにつらいことでも耐えられた。
講道学舎時代、何人かは途中でやめていきましたが、
自分は、講道学舎を途中でやめることなど考えられませんでした。
「やめるときは、死ぬとき」という覚悟を持っていましたから。
実際、練習や生活がつらくて、死のうと思ったこともありました。
でも、そんなとき、耐え抜くことができたのは
それが自分で決めたことだったからです」

12~13歳の子供とは思えない壮絶な決意。
これこそが、海老沼選手が放つ「凄味」なんだなぁと
改めて実感したのでした。

(写真)すごい内容の話を笑顔でさらっと話してくれた海老沼選手

スポーツひのまるキッズ事務局 林

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です