昨日、野村忠宏選手がその現役にピリオードを打ちました。
そして、昨日、今日とその試合の模様と、これまでの偉業を振り返るテレビ番組でその姿を拝見しました・・。
残念ながら、大会会場には行けませんでしたが、その前に、本人とメールでやりとりはできましたので、ただただそのテレビの画面にくぎ付けになり、熱いものが込み上げてきました。
「永瀬さん、自分なんか、相手にしてもらえないですよ! 今のうちにYAWARAちゃんのサインでももらっておこうかな(笑)!」
正直、アトランタ五輪前の取材日で、個人インタビューの時にたくさんの人が群がる田村亮子の陰でボソっと私に語った大学生が、まさかここまでの大偉業を達成するとは思いませんでした・・・。
アトランタ五輪では、一緒に開会式も参加し(ちなみにその時に参加した中村選手、恵本選手も金メダル獲得)との時も
行進中に、私に向かって、
「凄いですね!でも、一生で一度のことですから(笑)、しかし、田村、騎手って大変ですね」
なんて、言っていました。
ところが、金メダルととって、注目され、4年後のシドニーでは、
「なんでまた、田村と同じ日なんですか!こうなったら二連覇するしかないですね」
そして、堂々、金メダルととった直後の記者会見を終えて私のところにきての第一声は、
「あ~あ、田村も金メダルとったから、これで明日の新聞の一面持っていかれたな・・・」
と言いながらもその顔には絶大なるオーラを感じました(ちなみにそうなりましたが(笑))。
その4年後のアテネで柔道初の三連覇の偉業を成し遂げ、
その翌年には、『近代柔道杯』のテレビにてナビゲータとして出演を皮切りに、私のオファーは
全て二つ返事で(陰では文句を言いながらも・・(笑))引き受けてくれました。
2013年の震災直後のひのまるキッズ復興支援プロジェクトにも一番最初に協力してくれて
青森まで足を運んでくれたのも彼でした。
その後、年に二回程度しか会うチャンスはなく、と言っても何かの時には連絡は途切れたこともありませんでした。
そして、彼が引退すると聞いて、自分に何ができるか・・出張先でも会社でも気が付くと考えている自分がいました。
結果は、冒頭にありましたように、メールを交換しただけでした。
ただ、アトランタ、シドニーと、どうやったら彼の頑張りを一人でも多くの人々に知ってもらえるか鼻血が出るほど奔走していた者の一人として、今回の報道は感無量の一言です。
ヒロ、長い間ご苦労様でした。君の大偉業に心から敬意を表すると共に、これからの限りない可能性を応援します!!
そして、たまにはひのまるキッズにも顔を出してください!!頼むよ!!!!
いまから、ここから、
そう、
まさに、いまから、ここから、です!!!
永瀬義規
野村選手ご苦労様でした❗後輩達の指導お願いします❗
野村さんのこれから‥に、
沢山の幸せがありますように…