いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その124:認められるということ②)

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今月の初めに引退セレモニーを行った野村忠宏氏。先日、その時の写真が送られてきました。

そこには、家族四人で最高の笑顔。

本当にこれまでの業績を称え、今後のご活躍を祈るばかりです・・・。

さて・・・、

以前にもご紹介しましたが、彼との絆はアトランタ五輪から。

その時、私は五輪と全柔連の広報担当『二足のわらじ』状態で毎日どこかで記者会見や公開取材を仕切らせていただいていました。

特に五輪直前の公開取材では、メダル候補盛り沢山の柔道に取材陣は集まり個人インタビューもかなりのリクエストがあり、てんてこ舞い。

そんな中、野村氏はいつもポツンと道場の隅っこで・・・、

『永瀬さん、どうせ僕には来ないですから・・・』

みたいなオーラを出していたのを昨日のように覚えています。

でも見事に金メダルを獲得!!!

ただ、その時のトップ記事は

『YAWARA、まさかの銀メダル』でした。

そして、4年後のシドニー五輪。

光栄にも同じポジションで東西奔走していた私でしたが、野村氏もアトランタとは違い、

金メダル2連覇の有力候補として注目され、見事にその栄冠を獲得しました!!

ただ・・・、

優勝直後の会見や、各テレビ局ブース出演の時でも、

『永瀬さん、明日の一面は、やっぱり田村ですよね・・・』

と気にしていた野村氏の想像通り、一面は田村。

そして、私は古巣にもどりテレビで応援していたアテネ五輪で、彼は見事前人未到の三連覇の大偉業を達成!

正直、その翌日の新聞一面の記事はよく覚えていません・・。

そんな、野村氏が40歳まで現役を続けていた、いや、続けられた訳の一つは、

「認めてもらえたい」気持ちがあったからだと思います。

彼の場合は、世の中に十二分認められているのですから、

果たして、誰に?? 何に???

正解は彼の中にあればいいです。でも、冒頭の写真。一番大切な家族とのこの笑顔が、それを達成した証拠となったと思います。

野村氏のように自らステージを確立し、モノにできる人間はほんの一握りです。

ひのまるキッズは、

当たり前のことを当たり前にできた子供たちを、

試合で親が、

イベントで講師が、

認めてあげるステージ作りが最大の仕事です。

これは、今後ぶれなく続けていこうと心に決めています。

最後に、前回の投稿に寄せられたコメントをご紹介します。それこそ、『感無量』になりました(笑)

6年連続出場させて頂きました。
まさか表彰していただくとは!
息子の名前を呼ばれ、驚き!! 改めて1年生から頑張ってきたんだなぁと思い、ジーンときてしまいました。
毎年、目標を掲げて参加してきましたが成績は残せず悔し涙を流す息子を隣で見てきました。
でもイベントなどに参加して帰る頃には「また来年も来る❗️」と笑顔。
そんな息子に引かれて6年間、2年前には私自身も道着を着るようになり、
今年は昇段試験まで受けさせていただきました。
今回の連続出場の表彰、本当に嬉しかったです。6年連続出場させて頂きました。
まさか表彰していただくとは!
息子の名前を呼ばれ、驚き!! 改めて1年生から頑張ってきたんだなぁと思い、ジーンときてしまいました。
毎年、目標を掲げて参加してきましたが成績は残せず悔し涙を流す息子を隣で見てきました。
でもイベントなどに参加して帰る頃には「また来年も来る❗️」と笑顔。
そんな息子に引かれて6年間、2年前には私自身も道着を着るようになり、
今年は昇段試験まで受けさせていただきました。
今回の連続出場の表彰、本当に嬉しかったです。
柔道大好きな息子と、監督である主人、そしてわたしと、またこれからも柔道頑張って行こうと思います!

いまから、ここから、ブレずに進みます!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その124:認められるということ②)” への1件のコメント

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