アスリートからのメッセージ

第1回 古賀稔彦さんインタビュー(前編)

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古賀稔彦さんプロフィール


1967年11月21日生まれ。
佐賀県出身。
弦巻中―世田谷学園高―日本体育大学
87~92年全日本選抜体重別選手権優勝
89年~91年、95年世界選手権優勝。
92年バルセロナ五輪金メダル
96年アトランタ五輪銀メダル(94年以前は71kg級)
2000年に現役を引退。
現在は、「古賀塾」という道場を運営し、子どもへの指導を熱心に行なっている。

第1回目はバルセロナ五輪金メダルをはじめ数々のタイトルを獲得されてきた柔道家の古賀稔彦さんに登場いただきます。
中学時代から「天才」の名をほしいままに日本のトップに駆け上がり、20歳でオリンピック(ソウル大会)初出場。無念の3回戦敗退を喫したものの、雪辱を期してのバルセロナ五輪では直前の大ケガにもかかわらず悲願の金メダルを獲得し日本中を感動の渦に巻き込みました。
現役引退後は、町道場「古賀塾」を開設し子どもたちを中心に柔道を教えるかたわらテレビ出演、全国各地での講演活動、さらに環太平洋大学の教授&柔道部総監督をしながら、弘前大学に大学院生として通い勉学にも励んでいます。
そして、家庭では3児の父親。
2足3足のわらじを履き分けながらの多忙な毎日を送る古賀さんに、子どものころの話や父親としての教育の話などうかがってみました。


■子どものころ、身体は丈夫だったんですか?


小さいころは気管支ぜんそくで、柔道を始める小学校1年生くらいまでは、いつも寝てたり、咳きこんだり、病院に行ったり…そんな病弱で軟弱な子どもでしたね。

■では、柔道は体を強くするために始められたわけですか?


そうですね、親としてはそういう気持ちもあったと思いますよ。でも僕としては体が強くなったことはもちろんですが、それ以上に気持ちの面で大きく変化したと思っています。
柔道を始めてね、初めて誰かに負けたってことを経験したんですよ。柔道って1対1の個人競技だから、自分が強くなければ試合でどれだけ勝ちたいと思っていても勝てないってことを教わりましたね。
だから負けたときにものすごい悔しさを味わって、もう誰にも負けたくないなと。
じゃあ負けないためにはどうすればいいんだ、 強くなるしかないだろう、と。

■とにかく強くなりたい! という意識が芽生えたわけですね。


そうですね。柔道を始めて勝負という現実を経験したことで、強くなりたいっていう自分の目標を持てたわけです。
自分の生活の中で目標ができたんですよ。
そして、強くなるためには、いっぱい練習しなきゃいけない、ご飯もいっぱい食べなきゃいけない、好き嫌いしちゃいけない、どんなにきつくても頑張らなくちゃいけないと、何事においても意欲的に挑戦できる自分になれた。それが柔道と出会ったことで、僕が大きく成長できたところですね。

■まだ柔道を始めて間もない小さい頃から、自分をそういうふうにコントロールしようと意識し始めたんですか?


柔道を始めて3か月くらいたった頃からじゃないかなぁ……。

■3か月! さすが、金メダリストになる人は違いますね。


いえいえ、結局、子ども一人ひとりの持っている性格があるじゃないですか。
負けてものすごく悔しがるヤツもいれば、ヘラヘラ笑っているヤツもいますよね。人間のもともと持っている性格が、実際に勝負で負けたときにバーンって表に出てくるんですよ。 僕の場合は、もう悔しくて悔しくてしょうがなかった。
でも友達が周りにいるから泣いちゃいけない。
それで、もうこんな悔しい思いをしたくないと思ったんですよ。
遊びのつもりで柔道を始めたんですけど、たまたま試合に出してもらったときに負けて。
そのときから柔道に対する考え方や取り組み方が変わりましたね。
強くなるためにやるんだって。
たまたま父親に柔道の経験があったので、それじゃ強くなるためにあれやってみようか、 これやってみようかって協力してくれたんですね。
それで家庭も柔道を中心にした日常生活にかわりましたね。

■それから、家族ぐるみで柔道に本気で取り組むようになった?


そうですね、親も本格的に協力してくれるようになりました。
最初の頃は、親も体が動かせればいいんだとか、礼儀を身につけられたらいいんだ、くらいにしか思ってなかったんですけどね。
実際に試合に出たりすると親のほうが夢中になるんですよ。
自分の子どもが戦って、勝った負けたってやっているわけですから、親のほうが嬉しかったり悔しかったりするんでしょうね。
だから、僕が試合に出るようになるにつれて、親も僕のためになんとかしてやりたい、もっと強くしてやりたいって気持ちになってきたんだと思うんですよ。
それで一緒にトレーニングをやってみよう、と。

■お父さんは当時、どんなお仕事を?


普通に仕事をしていましたよ、サラリーマンというか。
自分で会社をやっていた時期もありましたけど、自分でやるとなるとなかなか子どものために時間を割けないからと会社勤めに変えたみたいでしたね。
で、その会社でも、練習に間に合うようにとか、大会に応援に行けるようにと自分の仕事を すべて調整してくれていましたね。
たとえば、夕方5時から練習やらなきゃいけない日だったら、朝7時から頑張って早く仕事を終わらせて、みたいにね。
道場まで車で20~30分かかるんですが、毎日送り迎えしてくれていました。

■古賀少年は家族の支えがあって、強くなっていったわけですね?


お母さんが協力してくれる家庭は多いと思いますが、お父さんが協力しているところの子どもって、いい意味で緊張感があるので中途半端にできないんですよ。
今のお父さんって結構優しいんですけど、昔は父親っていうと怖かったですから。
その父親が毎日自分のために一生懸命協力してくれるわけですから、 自分も真剣に柔道をやるようになりますよね。

■自然とお父さんへの感謝や尊敬の気持ちも?


それは、現役終わってから強く感じるようになりました。もちろん昔から感謝の気持ちはありましたけど、やっぱり冷静に振り返って感謝できるようになったのは現役を引退してからじゃないですかね。