いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その402;父の形見)

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今日は4月25日。

私の父の誕生日。生きていれば84歳、亡くなってから12年と半年が経ちます。

今朝、ふと父が私の歳の時は何を考え、どう生きていたんだろう・・。と考えていました。

私の歳、58歳の時、私は33歳。

私自身は、大役を任された幕張世界柔道大会を終えホッとする間もなく、アトランタ五輪に向けて寝る間もなくバタバタしていた・・のは覚えているのですが、正直、たぶん実家には1年以上帰っていなく、時々、母とは電話で話をしたくらいで、当時の父が何を考えどう生きていたのか、正直、全く見当もつきません。

ただ、そのちょっと後、オリンピックから帰国した後にお土産を持って帰省した際、夕食前に、冬でもないのにガサガサな手にハンドクリームを黙々と塗り込んで「やっぱりこれが一番効くんだよね」と言っている父の姿を見て(仕出し弁当店を営んでいたので、いつでも洗い物で手が荒れていました)、

もうそんなになるまで働かなくてもいいのに

と思っていた記憶はあります。

その気持ちは年々強くなり、2008年3月に念願の会社を立ち上げ、そろそろ父にもゆっくりしてもらえるかな?と思った矢先、その半年後に旅立ってしまいました。まさかの急死でした。

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父の遺品を整理していた時に、早稲田大学学生ベンチャー(?)で成功し、次から次と出てくる派手やかな若き父の写真を見て、一緒にいた叔父に『父さんはなんでこういう世界から一転して弁当屋さんなんか始めたんだろう』と聞いたことがあります。以前もここで書きましたが、その時の答えが

お前が生まれたからだよ

父は25歳でした。

私が渡米した際に現地に遊びに来た時に『いやあ、店始めて初めて定休日以外の休みを取ったね』を母と笑っていた時、私は28歳。父は、53歳28年間、休みなしの人生をさらりと言ってのけている父に驚かされました。

ある意味、私と妹、子供を育てることに自分の人生をかけた父。

私の起業が父のゴールみたいな結末になってしまいましたが、果たして父はそれで良かったのだろうか・・としみじみと思ってしまいます。

明らかに父と真逆な人生を歩んでいる私が、もういない父に親孝行ができるとすれば、父が命をかけて育ててくれた私自身が、天国で父に『よくやった。お前の人生、なかなかだったぞ』と言わせることだと思っています。

それには、まだまだ、です。

よく考えてみれば、モノは何にも残してくれなかった父。

残してくれた頑丈な身体と、不屈の精神で、天国の父に会えるその時まで、ただひたすら愚直に人生を全うしたいと改めて思います。

感染予防で洗いすぎて、ガサガサになった手にクリームを塗りながら(笑)

ある意味、このクリームが形見(モノ)ですね!

いまから、ここから、ハッピーバースディー、父さん

永瀬義規

 

 

 

 

 

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